ベネッセ教育総合研究所 ベネッセコーポレーション
目標・評価は、最低限まで絞り込もう
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目標・評価は、最低限まで絞り込もう
 以上、3つ言いましたが、そういう課題を考えてほしいなと思います。
 いま、「指導と評価の一体化」ということ言われております。別の言葉で言うと、目標があり、教育活動があって、評価があって、その3者がいわば裏表一体で、内側でつながったかたちでいかなければいけないと言われています。指摘した3点を、この目標・指導・評価という切り口から考えていってほしいと思います。
 細かいこと、具体的なことは、このあとの座談会で出てくると思いますが、目標・指導・評価がうまく動いていくためには、不可欠の考え方があります。
 まず、目標でいうと、知識・理解・技能だけでも、関心・意欲・態度だけでもいけない。少なくとも4観点、「我の世界」にかかわるものも「我々の世界」にかかわるものも目標にするように目配りしなくてはならないということです。
 私はこれまで、「開示悟入」という『法華経』の言葉を使って、指導のあり方を言ってきました。「お釈迦様はなぜこの世に現れたか」と人々に問います。すると、真理の世界を「開く」ために、人々に真理の世界を「示す」ために、「悟らしめる」ために、「入らしむる」ためにと、畳みかけて説きますが、この「開示悟入」というのは極めて大事な指導の原理だと思っております。
 先ほど述べた4つの学習の動機づけは、全部「開」にかかわります。「示」というのは、示すことで、これはこうだよ、こう考えようという、教師主導型の指示とか説明とかをいいます。「悟」は、悟らしむ。「自分でわかるところまで考えてごらん」というふうに、主体的なものにしていく、内面化していくもの。これは教師があまり主導的になったらダメで、子どもに任せなきゃいけないこともある。それから「入」は、大事な部分については身について離れなくなること。ものによってはそこまで子どものなかに定着させなければいけないというものです。指導には、教師の「出」と「入り」があります。どういう場面でどういうことを目指して出ていくのか、どういう場面ではどういうことを念頭に置いてあえて後ろに退くのかをはっきりしておく必要があります。
 それから評価は、必要不可欠なものをチェックします。なんでもかんでもチェックしてはいけない。「評価」と「子どもの実態把握」が混同されている部分があります。一人ひとりについての細かい資料を生真面目に集めて、単なる徒労に終わる実践があります。
 ある学校では、「評価規準表をつくったら厚さが6センチくらいになりました」とか、ある校長先生は「いやうちはもっと厚いものをつくりました」と自慢しておられました。その話を聞いただけで、「わかっていない」ということがわかるわけです。
 そんなにたくさん評価規準や目標を出してどうします? 使いようがないわけでしょう。日本には、プログラム学習のときの目標=評価の視点がまだはびこっています。いま言われているのは、プログラム学習を克服した後の、ベンジャミン・ブルームの理論なんです。これは、目標や評価規準は、「どうしてもこれだけは」という最小限・最低限まで絞り込むのが原理なんです。
 わけもわからず見よう見まねで評価をしている人が9割以上もいるから、間違うんです。
 評価にあたっては、評価の目標とか規準はごく少数にしなきゃいけない。そこをどこまで絞り込めるかがその人の教材研究の成果、子ども研究の成果にかかっているんです。
 絞り込むための一つの目安として、国が出した評価規準よりも評価する事柄が少なくならないといけない。
 あとで村松先生から話があると思いますが、静岡県では最初に出していた県の評価規準表参考案を大幅に縮めた新しいモデルを出しました。そこをまた市町村で、あるいは学校でもう一歩縮めてほしいということになりますが、その方向が大切です。
 それから評価の回数。「毎時間評価する」と自慢気におっしゃっていた校長先生がおられましたが、これは間違いです。毎時間評価をしていたら指導どころじゃないでしょう。せいぜい10時間から15時間に1回やれればいい。つまり、単元で1回か2回ぐらいです。
 もう一つ。「うちは、全員の子どものポートフォリオをつくっている。たくさんの評価資料がありますよ」と豪語している先生がおられました。そんなに集めて、いつだれが目を通すんですか? ましてや、それを子どもの次の学びのために使うことはできっこない。そんなものは、集めただけで終わりです。これは見解の相違ではない。間違いなんですよ。
 子どもの学びや成長に生きないような評価活動をやっても意味がない。じゃあどうしたらいいのか?
 放っておいてもBになる生徒、つまりある最低線をクリアしそうな子どもは、評価資料を集めなくてもいい。このままだったらCになる、学習指導要領の最低基準まで届かないという恐れのある子について、資料を集めればいいのです。例えばクラスに30人の生徒がいれば、それに該当する子は7、8人はいる。そういう子についての評価資料を集めなければいけない。そして、ただ集めるだけではなく、どう指導に活かすかを考えなくてはいけない。
 あとは、クラスに1人か2人、ほかの子どもよりずば抜けて優れている子どもがいるはずなので、その子の活動、成長の姿についての資料も集めておけばいい。ほかの子にもいい刺激になる。
 つまり30人のうち、7、8人のこのままならCになりそうな子について資料を集め、どう転んでもAになりそうな子について1人、2人集めておく。あとの20人ほどは「おおむね良し」でにこにこしておけばいい。
 この3つのレベルで、評価規準、評価の頻度、それから評価対象と絞っていけば、本当に教育活動に役立つ評価活動になるはずなんです。逆にいうとこの3つをおろそかすると、すばらしい資料や紀要はつくれても、教育とは縁もゆかりもない活動になります。
 
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