膳所(ぜぜ)高校の生物実験室では、実験観察用のゾウリムシが大切に育てられている。ある時、同校を卒業した大学生が、生物の増本俊幸先生のもとを訪ねてこんなふうに話した。
「先生、大学でもゾウリムシを使った実験をするんですよ。でも高校時代に扱ったゾウリムシの方が、環境がいいせいか顕微鏡で覗いたときにはっきりと確認できましたね」
ゾウリムシは「細胞と組織」の単元で、必ずといってよいほど出てくる繊毛虫類に属する単細胞生物である。だが実際には、同校のようにゾウリムシを培養している高校は少ない。ほとんどの場合、生徒たちは教科書だけでゾウリムシに備わっている大核や小核、細胞口などの器官について学び、知識として蓄えていく。しかし増本先生は「本物のゾウリムシを見せてやったときの生徒たちの食いつきは大きい」と語る。
教科書や講義形式
による知識吸収だけではなく、実験実習や観察を重視する。これは“ゾウリムシ”に限らず同校の理科教育全体を貫くスタンスだ。化学ではなるべく多く実験を行い、実験室の稼働率も高い。生物でも今年の1学期だけで一クラスにつき10回以上の実験を行った。ちなみに生物実験室にある顕微鏡は、古いものも大切に使って少しずつ台数を増やし、今では約50台になっている。授業中は生徒一人1台に行き渡る計算だ。また地学実験室には様々な岩石、鉱物、化石の標本が置かれ、生徒は実物に手で触れながら理解を深めることができる。標本の中には、旧制中学時代に収集されたものも多く、既に自然界では枯渇している貴重な鉱物も保存されている。
「僕も膳所高校の卒業生ですが、当時頭で覚えたことは消えてなくなっている。でもカエルの解剖をしたり、顕微鏡を扱ったことは鮮明に記憶に残っています。それは『これはすごい』『面白い』という感動があったからなんですね。学問に対する意欲は、まず感動や興味関心を持つことからスタートすると思う。そのチャンスを、僕は生徒に与えたいんです」(増本先生)
また化学の渕田豊朗先生は、次のように語る。
「化学の場合、教師の教え方の違いや、授業の進度の関係などで、毎年頻繁に実験を行ったクラスとそうでないクラスが出てきます。その結果を見てみると、実験回数が頻繁なクラス出身の生徒の方が、その後の文理選択で理系を志望する者が多数だし、成績も優秀です」
さらに同校が実験を重視するのは、生徒たちが大学に進学した後のことも射程に捉えてのことだと言う。渕田先生は言葉を継ぐ。
「理科の実験は、国語や地歴公民などの教科における小論文やディベートに該当すると思います。大学に入ることを目標に机上の勉強だけをしてきた生徒は、大学に合格した途端に燃え尽きてしまうかも知れません。しかし実験を通して学ぶこと、考えることの楽しさを体得した生徒は、大学生になってからより大きく伸びるはず。私たちはそういう人材を育てたいのです」
効率面だけで考えると、実験は準備などに手間や時間がかかる点が難点だ。ペーパーテストの得点を上げたいなら、教科書や問題集中心の指導の方が手っ取り早いと、実験や実習にあまり重きを置かない高校もある。また、今後完全週5日制が導入され授業時間数が減ると、実験の回数を減らす高校がさらに増えると予想される。しかし同校の理科の教師陣は、週5日制導入後も今の態勢を保持し続けたいと考えている。そして実験を重んじながらも、しかも学力向上にもつながる指導上の工夫にも取り組んでいる。
「かつて化学の授業では、実験後は結果を考察するだけで終わっていました。でも今は、実験の後にそれに類する練習問題に当たらせるようにしています。実験によって意欲を高め、同時に学力面も補っていこうという狙いからです。ただし生徒には『実験をすると問題演習をこなす時間がなくなるから、その分は家でやっておきなさい』と伝えています」(渕田先生)
教師が生徒に教え込むような、詰め込み教育はしない。実験で生徒の自学自習力を養い、その力をバネに生徒が自ら学力を伸ばしていく。それが同校の指導方針である。
生徒は普段触れることのない自然に対しながら、説明に熱心に耳を傾ける。旅行中のレクチャーはほとんど教師が行うが、野辺山宇宙電波観測所だけは、現地の職員に説明を依頼。
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