「何か変えよう」から始まったIPT活動
IPTが文字通り型破りな活動になったのは、その誕生のいきさつと深くかかわっている。金津高校はおとなしくて真面目な生徒が多く、そうした生徒を補習によって鍛え、それなりの進学実績を上げてきた。しかし、数年前、進路指導部の教師から「本校の生徒は面白みが足りず、個性的な生徒が少ないのではないか」「もっと個性を引き出す仕掛けが必要なのではないか」といった声が上がり始めた。
また、進学実績の面でも補習の充実などによって国公立大合格者が30名から100名くらいまでは順調に伸びたが、その後頭打ち傾向だった。補習に関しては、「もう限界」(西川先生)というところまで実施していた。そこで「通常の授業、補習以外に何か手を打つべきでは?」と、'96年に小論文指導とディベート活動の導入を決め、補習の時間を充てて週1時間行うことになった。
「補習を減らすことに疑問を持つ先生もいましたが、今のやり方は壁にぶつかっているという認識をかなりの先生が持っていました」(丹羽先生)
「何か変えなければ」という切実な思いがまずあって、動き出すことに価値を置いたため、活動の目標は必ずしも明確ではなかったと言う。金津高校は「走りながら目標を考える」ことを選んだのだ。
'97年度からは、IPTの実施主体が進路指導部から学年に移り、1年次から学年進行で本格的に実施することになった。「何か変える、常にチャレンジする」という開始当初の精神は今も教師の間に息付いていて、それが型にとらわれない活動を続ける原動力になっている。
表1 ● IPT活動内容
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