VIEW21 2001.12  指導変革の軌跡 京都市立堀川高校

専門学科「探究科」
(人間探究科と自然探究科の2学科)を堀川高校が開設したのは'99年。しかし、学校改革の素地は、'93年頃からつくられていた。
 それまで京都では、独自のカラーを持つ私立校が人気を集めていた。そのような中で公立高校としていかに自校の魅力と特色をつくり出すか。それが京都府にある公立高校が持つ共通の認識だった。また'93年当時は、都市部の交通の便の良さからも、本来なら地元の堀川高校を希望する生徒が、郊外の公立校や私立校に流出していた。教頭の荒瀬克己先生は当時を次のように振り返る。
 「その頃、私たち教師には、授業を面白くしたいという夢がありました。大学のように90分授業にし内容の濃い授業を行うことや、そのために校内研究授業を行うなど、教科指導の改革に向けて、理想の授業について教師同士で侃々諤々と語り合ったものです。その過程で、ただ単に大学に入学させるだけの指導ではなく、大学に入ってから、さらには社会で活躍できる生徒を育てることを目指すために、専門学科の設置をしようという構想が、数年かけて練られたのです」
 '95年度に「新堀川構想委員会」を校内に設置し、京都市教育委員会に対して新学科開設を要望した。折しも同年、京都市教育長の諮問機関として「京都市立高等学校21世紀構想委員会」が立ち上がり、次世代の理想の高校像について模索していた。堀川高校内部からの動きと京都市教育委員会の動きとがぴったりと重なって、同校は「21世紀構想委員会」のパイロット校として指定された。夢が現実に向かって動き出したのである。

さらに具体的な内容を
協議するため、新堀川構想委員会は'97年度に「新堀川準備委員会」に発展。さらに'98年度には、現在の「企画部」の前身となる「準備部」によって、7時間授業、2学期制の導入、制服の導入、シラバスの整備、などといった取り組み実行項目について、具体的にどう展開していくのか詳細を詰めていった。そして様々な調整を経て、'99年度、新設専門学科「人間探究科」と「自然探究科」の2学科から成る「探究科」が開設されたのだった。
 「開設前年の8月に京都国際会議場で、中学校向けの説明会を行う際、事前に準備部の担当者が、足を棒にして京都府中の中学校訪問をしました。結果、説明会には約2300名が集まったのです。私たちがこれから始めることへの強い手応えと責任を感じました」(荒瀬先生)
 さらに、総工費64億円の未来的な都市型校舎の新築、校内LANシステムの構築などハード面を一新し、交通至便の、新しいタイプの専門学科を設置する高校として再スタートを切った堀川高校の改革は、生徒を引きつけるのに十分なものだった。
 「準備部の努力もありましたし、我々が提示したソフト、ハード面の魅力も大きかったと思います。しかし、継続的に生徒を集めるには、私たちにも中学校に対して、継続的な広報活動が必要だと思いました」(荒瀬先生)

写真
互いを高めるため、学校をよりよくするために常に本音で話し合う堀川高校の教師たち。一人ひとりの熱い思いが学校改革の原動力となった。



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