VIEW21 2002.2  特集 「教育新世紀」に向けた学校改革

水野 「変化をチャンスに」という視点は、今回の改革を活かしていく上で重要な視点だと思います。しかし、国立大はセンター試験を原則、標準型の5教科7科目で行うという国大協の提言を聞いたときは、正直「私立と競合するような公立の進学校は死ね」と言われているようなものだと思い、当初は元気が出るどころか、元気がなくなりましたね(笑)。
 とは言え、この変化をプラスに転化させていかなければ先は見えないわけです。そこで本校では、「総合的な学習の時間」を考えるに当たって、まず初めに当該委員会の教師間で、「今の生徒に欠けているのは何か?」というテーマを議論したんです。本を読んでいないとか、社会に対する関心が低いとかいろいろな意見が出ましたけれど、それらを考え合わせていくと、結局のところ、生徒の知的バックボーンが非常に弱くなっているという結論が見えてきました。
 小池先生も、国語の授業の中でそういったことを感じていると言われましたが、私も英語の授業をやっている中でそれを感じていました。例えば、高校3年生ともなれば、文明論、歴史、政治などいろいろな題材の英文を読ませます。しかし、それらを読みこなせない生徒の様子を見ていると、どうも英語力が足りなくて読めないんじゃないんです。むしろ、知的レベルが低くて読みこなせないようなのです。
 そういった状況を打開するためには、やはり「総合的な学習の時間」の活用がポイントになると思います。まだ内容については検討段階なのですが、いろいろな題材の文章を読み、感想・小論文を書き、それに関して議論するというような、有機的に思考力や教養を養えるようなものにしていきたいと考えています。

高田 確かに生徒の思考力や教養が低下していることへの不安は、多くの高校の先生方が口にされています。しかし、今、大学が求めているのは、まさにそうした思考力や教養を持っている人材なのです。最近、ある大学のAO入試担当者に、「AO入試で本当に採りたい生徒はどんな生徒ですか」とお聞きしたら、「一言で言ったら大人の生徒が欲しい」と即答されました。つまり、自分で主体的に学び・考える、課題解決能力を持った生徒こそ欲しいというわけです。
 そういう能力を養う時間として「総合的な学習の時間」があるわけですから、それを一つの導火線として、教科学力の向上にもしっかりと結び付けていこうということですね。

「総合的な学習の時間」は「さまよえる時間」

石川 現実問題として、現行課程よりも単位数の減少する教科に関しては、ある程度パターン化した授業を行う必要があるだろうと感じています。特に数学の場合は中学校での学習内容が3割減になった分を、少ない授業時間の中で埋めていく必要があるわけですから、今まで以上に緻密な授業計画を立てることが求められます。だからこそ私は、「総合的な学習の時間」を、通常の授業ではなかなか得られない「逍遥する時間」、「さまよえる時間」にしたいと考えています。生徒がその過程で新しい気付きや、ものの見方を得たならば、それは教科学習とも密接にかかわってくるはずです。

布村 「さまよえる時間」というのはいい言葉ですね。高校における「総合的な学習の時間」は、課題解決能力や学ぶ方法を身に付けたり、自分の生き方、在り方を見つけていく時間ですから、「さまよえる時間」という表現は、その目的にもマッチしたものだと感じました。
 新しい学習指導要領については、「内容3割削減」「ゆとり教育」という言葉ばかりが先行していますが、それは「以前よりも教えなくてもいい」という意味ではありません。学習指導要領に書いてあることは確実に身に付けた上で、それプラス、自ら学び、自ら考える力を身に付けていくという意味なのです。ですから、「選択科目の拡大」や「総合的な学習の時間」の展開を各高校で創意工夫していただいて、学校の特色を大いに出していただきたい。学習指導要領にある「ゆとり」とは、学習内容の「ゆるみ」ではなくて、生徒が自ら考える時間を持つという意味であると理解していただきたいと思います。

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