銀行・生保・損保・信託、噴出し始めた文化の溝
グループ長に着任した上田氏の役割は、子会社の運営を軌道に乗せ、新規の顧客を開拓することだった。
「このプロジェクトでは、銀行はお客様を紹介する窓口となり、実際の業務はジャパン・ペンション・ナビゲーター(J-PEC)という会社が行うことになっていました。これは、三井・住友両グループの信託銀行、生命保険会社、損害保険会社、そして銀行が出資して設立する会社。この会社をどうスムーズに軌道に乗せるかに総力を注ぎ込みました。しかし、プロジェクトというのは、立ち上げるのは簡単ですが、難しいのは立ち上がってからの運営だとよく言われます。この確定拠出年金も例に漏れず、動き出してからが大変でした。銀行間の文化の差、銀行と保険会社という異業種間の考え方の差などが、徐々に出てきたのです」
このプロジェクトのために集まった人の数は、営業部隊、企画部隊を合わせると30~40人。他行に先駆けて、総力を結集して、顧客獲得に向かわなければならなかった。しかし、上田氏も言うように、このプロジェクトでは、住友・さくら両行に加え、保険会社の社員もメンバーとして加わっている。リーダーとしての上田氏に課された使命は、まずこれら銀行間、異業種間の文化の溝をどう埋めていくかにあった。
「住友・さくら両行の話し合いでは、細かい認識の違いが多く出てきました。例えば、確定拠出年金を企業がいつ導入していくのかという見通しについて、『まだ先』という考えと『いや、もっと早い』という考えのズレが出るなど。今までお取引いただいてきた顧客層の違いや、もっと細かいところで言うと用語の違いなんかも、実際に話し合ってみるとずいぶんありましたね」
しかし「銀行間の話し合いよりも、さらに難関だったのが、異業種間の調整だった」と上田氏は語る。
「例えば、銀行は半期、1年ごとの決算で物事を考えるのに対し、保険会社は30年、40年、短くても3年から5年のスパンで物事を考えます。そのような違いをどう捉えるかで、ぶつかり合いになることもありました」
年金は、生命保険会社がずっと専門で取扱ってきた世界だ。今まで積み上げてきたノウハウ、伝統、そして自負がある。一方、銀行側は既存のものの踏襲ではなく、新しいものをつくり上げていきたいという思いがあった。
確定拠出年金
アメリカの401kプランを参考にした新しい年金の形態。企業が導入し、決まった額を従業員のために積み立て、従業員が自分でその積み立て金を将来に備えて運用する。個人が自分で資産管理を行うため、転職をしても、移った先で運用を継続できる。
99年10月
住友銀行とさくら銀行が合併を発表
01年4月を目処に合併することを発表した。前年には、第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行がみずほファイナンシャルグループとして合併することを発表、三和銀行と東海銀行も、住友・さくら両行の合併発表と時を同じくして、合併を発表し、一気に金融業界の再編が進んだ。
00年4月
確定拠出年金の立ち上げを本格的に開始
「確定拠出年金プロジェクト」は初の住友・さくら両行の混成チームで行われた。商品の品揃えから組織体制、実際に年金業務を行う子会社の立ち上げなどについて話し合いを進めた。
01年4月
三井住友銀行誕生
住友銀行とさくら銀行が合併し、三井住友銀行として生まれ変わった。
01年9月
「確定拠出企業年金法案」が成立
国会で、「確定拠出企業年金法案」が成立し、これにより、制度としての「確定拠出年金」の形が整った。
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