VIEW21 2002.10  リーダー群像
 現状をどう捉え、どう行動したのか

「変だ」「変えたい」と思ったことは
どんどん提案していこう

 セーラさんがアメリカから来日したのは93年のこと。当初は、長野オリンピックの組織委員会のボランティアスタッフとして、5年間の予定で長野にやってきた。長野市内にあるシンクタンクに務め、オリンピックの準備に携わっていたが、「英語ができるから価値があると思われる」「役職に就かないと、中身の濃い仕事をさせてもらえない」会社に限界を感じ、退社。翌年、「この会社の社長に会ってみたらどう?」と元上司から紹介され、桝一市村酒造場の門を叩いた。そこで、セーラさんの人生の転機となる同社の社長・市村次夫氏との出会いがあった。
 地方の企業では、まだまだ外国語の教師以外の職で外国人を雇うことは少ない。しかし、市村社長はセーラさんにまず、「入社しても英語を教えてはいけない。最初はなかなか形にならないかも知れないけれど、私があなたに求めているのは、言葉ではなく、違った価値観から会社の経営を考えることだ」と伝えたのである。
 「嬉しかったですね。『ここに居たい』って思いました。でも、実際のところは全く期待されていなかったんですよ。社長は、私を雇えば少しはオリンピックに貢献できるんじゃないかと考えていたようです」とセーラさんは笑う。
 とは言え、「20代の今の時期は、これからの私の将来のためにも大切な時期。若い時に頑張っておかないと、自分のためにもならない。社長が言ってくれたように、アメリカ人の自分から見て『変だ』『変えたい』と思ったことはどんどん提案していこうと決めたのです」


桝一市村酒造場改装プロジェクト

97年6月
酒蔵の一部でレストランを経営することを決定
経営の危機に陥った桝一市村酒造場を立て直すため、使用されていない酒蔵でレストランを経営することを決定。当初は、ドライブイン形式のレストランにする計画だったが、セーラさんの反対により計画が変更される。

98年12月
木桶仕込みでの酒造りを復活させる
廃れつつある木桶仕込みの酒造りを復活。00年には、桝一の新しい銘柄酒を発表した。

01年8月
「小布施(おぶせ)ッション」開始
ゾロ目の日に、芸術・文化方面で活躍している人物を招き、講演をしてもらう「小布施ッション」を開始。町の文化事業にも貢献している。


<前ページへ  次ページへ>

このウェブページに掲載のイラスト・写真・音声・その他のコンテンツは無断転載を禁じます。

© Benesse Holdings, Inc. 2014 All rights reserved.