自分たちが手を動かして作った店だから 誇りを持ちたい
セーラさんが入社した当時の桝一市村酒造場は、まさに風前の灯火だった。大量生産の大手酒造メーカーの日本酒に押されて、伝統的な造り方を守る同社の経営は悪化し、廃業の危機に立たされていたのである。そこで、市村社長は起死回生を狙い、酒蔵の一部をドライブイン形式のレストランに改装する計画を立てる。桝一の日本酒とレトルトの食品を安く出す店だ。
「私は大反対しました。頼まれたわけでもないのに計画書を見せてもらい、『こんな上等な酒にレトルトの食品を出すなんて、絶対だめ』と言い張ったんです。目先の経営のことよりも、50年後にも残っていて、次の世代の人が喜んで来てくれるような、本当に価値のあるものをつくるべきだと思いました」
最初に異を唱えてから半年間、セーラさんは社長に会う度に「酒蔵にレトルト食品は似合わないと思うんです」と粘り強く訴え続けた。そして、ついに市村社長はセーラさんの意見を認め、酒蔵の改装プロジェクトをセーラさんに一任。セーラさんはそれを皮切りに、会社の改革を一気に推し進めていくのである。酒蔵を改装した翌年には、木桶仕込みを復活、その翌年には、酒を売る店舗の改装に着手した。
その際、セーラさんは以下のことをいつも気に留めるようにしていた。「本来の会社の姿は、ただ目先の利益だけを考えることではない。地域に貢献できるような文化を持った会社をつくろう」ということ。「お客様が喜んでくれるような店づくりをしよう」ということ。そして「社員全員が『自分たちで自分たちの店をつくったんだ』と思えるような店をつくろう」ということだった。
(写真上)
桝一市村酒造場本店。店の看板の文字は、セーラさんが発案したもので、プラチナ箔製。
(写真中)
店の中に整然と並ぶ、桝一のお酒。
(写真下)
「小布施ッション」の一場面。司会はいつもセーラさんが務める。
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