VIEW21 2003.2  リーダー群像
 現状をどう捉え、どう行動したのか

 訪問当初、商談はなかなか進まなかった。筒井氏はラゴスの貿易商を訪れたが、数日間は全く相手にされなかったのだ。ところが、旅費も残りわずかになった頃、貿易商の祖母が亡くなるというハプニングが起きた。葬儀は1週間にも及ぶ盛大なものであったが、筒井氏は進んでそれに参加した。
 「皆と一緒の衣装をまとい、同じ食事を取り、昼も夜も一緒に踊りました。でもそうやって1週間を一緒に過ごすことで、やっと貿易商に仲間だと認めてもらえたのです。彼は私をマーケットに連れて行き、商品を買ってくれそうな商人を何人も紹介してくれました」
 筒井氏の作ったビニール製の紐は飛ぶように売れ、アフリカ中で大ヒットになった。その結果、70年はかかると思われていた負債をわずか7年で完済できたのである。
 このような筒井氏の類い稀なバイタリティは、高校時代に培われたものだ。高校では柔道部に入部したが、師範の特訓は「死んだ方がまし」というくらい凄まじいものだったという。しかし、猛特訓の成果があって、58年に母校は初の全国優勝を成し遂げたのである。この経験が大きな自信につながっていた。
 「柔道部での全国優勝と、父親の会社の借金完済という2つの経験が、私の人生観に決定的な影響を与えました。人間は、何か目標や到達点をつくれば必ず達成できる。努力すれば十の力を百にすることも不可能ではない。だからこそ、その後の困難も乗り切れたのだと思います」


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筒井宣政
1941年生まれ。愛知県出身。64年に大学の経済学部を卒業後、東海高分子化学に入社。次女の心臓病を契機に医療の世界に足を踏み入れ、81年、東海メディカルプロダクツを設立。89年、バルーンカテーテルの国産化に成功する。02年、黄綬褒章を受章。柔道は四段の腕前。


64年
東海高分子化学入社
大学卒業後、父親の創業した会社に入社。折しも「40年不況」と言われる大不況期で、同社は多額の負債を抱えてほとんど倒産に近い状態になった。倒れた父親に代わり、借金返済に奔走する。

70年
髪を縛る紐をアフリカへ売りに行く
アフリカ人女性の髪を縛る紐を開発して大ヒット。70年分の借金を7年で完済した。アフリカ行きを前に、英語ができなかった筒井氏は、名古屋のホテルに出向いては手当たり次第に外国人に話し掛けて英会話を練習したという。

81年
東海メディカルプロダクツ設立
次女・佳美さんの心臓病が契機となり、人工心臓の研究を始める。売上げのなかった創業当時からシンポジウムを開催し、積極的にネットワークの拡大を図る。

89年
初の国産バルーンカテーテルの開発に成功
大学病院の協力の下、初の国産バルーンカテーテルの開発に成功する。3年後、佳美さんは他界するが、同社の製品で命が助かった人は、現在までに3万人以上に上る。


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