「娘の命を救いたい」 この一念が医療の世界へ進むきっかけに
借金を完済し順調に会社を経営していた筒井氏ではあったが、実は大きな悩みを抱えていた。借金返済に奔走していた68年、次女の佳美さんが生まれたのだが、彼女は先天性の心臓病だったのである。
――何としてでも、娘の命を救いたい。
この時、積極的に行動したのは妻の陽子さんだった。どういう病気で、どのような手術をすれば治すことができるのか。陽子さんは、図書館に行っては医学書を読みあさり、心臓病の手術について徹底的に勉強した。そして、この知識をベースに二人で手術の方法について何度も話し合い、主治医を訪ねては手術の方法を聞いたり、また手術に関する様々な提案をしたりした。二人の熱心さは、主治医もあきれるほどだった。
だが78年、運命の時がやってきた。手術のための精密検査を受けた結果、佳美さんの治療は不可能であるという診断を受けてしまったのだ。
「医師の診断はこうでした。『たとえ、神業のような手術で人工弁などの医療器具を入れたとしても10年とはもたない。しかし、このままの状態で過ごせば10年以上は生きることができる…』。だから、娘に痛い思いをさせて人生を短くするよりも、このままそっとしておいて、短いけれども太く楽しい人生を送らせてあげようと思いました」
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(写真上)
クリーンルーム内で行われるバルーンカテーテルの生産・検査。製品はすべて厳しい検査を受けた後に出荷される。
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(写真中)
身体の大きさに合わせて、様々なサイズのバルーンカテーテルを用意。同社の製品は、国内はもちろん海外からも高い評価を得ている。
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(写真下)
同社の主催により02年9月に開かれた「生体材料研究会医療シンポジウム」。開会の挨拶は筒井氏自らが行った。
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