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朝補習廃止か存続か会議で徹底的に議論 |
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佐世保南高校では、授業時数の確保を理由に、従来の50分6コマの授業を取り止め(02年度は50分授業と45分授業の併用制)、03年度から45分7コマの授業をスタートさせていた。加えて朝補習が45分。これが「とにかくせわしない」という多忙感を生みだしていたという。
「持ちゴマ数が多くなり、教師は空き時間も授業の準備に追われていました。とても朝補習に力を注げる状態ではなくなっていたんです。朝補習に来ない生徒に注意をしたり、朝補習の教材作成に時間を割くといった余裕が持てなくなった。そのため朝補習の出席率は、各学年共に8割前後にまで落ち込んでいました。また、成績も伸び悩み傾向にありましたね」(宅島先生)
そうした中で、議論の対象となったのが朝補習及び45分授業の廃止論だった。廃止を提起したのは、新しい学校づくりのためのアイディアを出すために、00年度から発足していた30代の教師10名で構成される企画委員会。山田先生もその委員会のメンバーだった。
「伝統的に行われてきた45分の朝補習を廃止する代わりに、45分7コマ授業を50分7コマに変更する。そうすれば生徒が学校で学習に取り組む総時間はほとんど変わらないし、生徒も教師も授業に集中できる。我々は授業で勝負すべきではないかと、職員会議で提案したんです」(山田先生)
ちょうど学区内の佐世保北高校や佐世保西高校も50分7コマ授業を実施しており、「比較的うまくいっている」という話を耳にしていた。佐世保南高校でも50分7コマ授業を提起すれば、すんなりと教師の賛同は得られるかと思われた。だが朝補習と45分授業の廃止が決定になると思われた寸前のところで、少なからぬ教師から「朝補習をなくすわけにはいかない」という声が上がったという。
「朝補習を廃止すると、生徒が演習に取り組む時間が少なくなってしまう。それでは生徒の学力を確保することができないという危機感を、多くの先生方が抱いていたのです」(宅島先生)
職員会議での議論は、白熱した展開となってきた。「今のままの朝補習では意味がない」という発言をしたのは田川祐治教頭。
田川教頭は03年度に佐世保南高校に赴任して以来、朝、学校の校門近くにある橋の脇に立ち、朝補習に通ってくる生徒の様子を見守っていた。また、補習時間が始まってからは、各教室で生徒が学習に取り組む様子を、廊下を歩きながら見て回った。それだけに「生徒も教師も、朝補習に対する意欲が感じられない。これだったら補習なんていらない」という田川教頭の言葉は、他の先生方にとって、ずしりと重く響いたという。
一方、補習続行を求める意見として大きな存在感を持ったのが、佐世保南高校の男子バレーボール部顧問を務める北島出先生の言葉。佐世保南高校の男子バレーボール部は、03年夏のインターハイで全国準優勝、04年春の高校バレーでは全国優勝を遂げたほどの強豪チームだ。
「北島先生はバレーボール部の指導を長年続けてこられた方です。その先生が自らの立場を超えて『バレーボールだけでは、生徒は将来を生き抜いていくことはできません。心配です。勉強させてやってください』という発言をされたんです。本校の教師としての生徒に対する使命が何なのか、改めて考えさせられました」(宅島先生)
こうした議論の結果、佐世保南高校では04年度以降も、朝補習45分と45分7コマ授業を継続するという結論に達した。山田先生は「今振り返ると、この時点で学校のあるべき姿を徹底的に確認し、議論を尽くすことで先生方の意識改革ができたことが大きい」と話す。
「議論を契機として、朝補習に対する先生方の意識が大きく変わりましたね。今では補習を担当しない先生方も朝早くから出校してきて、生徒の指導に当たっています。全員参加が前提のため、出席率の悪い生徒には、きちんと注意も行うようになりましたし、生徒の方も、登校途中に朝補習の時間の予鈴が鳴り始めると、急いで教室に駆け込むようになりました。形は同じ朝補習でも、中味は03年度と04年度ではまったく異なりますね。朝補習廃止、50分授業という大胆な提案をしたことが現状の教育の在り方を再考し、問題意識を喚起させる機会となりました」(山田先生)
ちなみに、ひどく慌ただしいと感じていた45分7コマ授業も、2年目に入ると「きついという感じは少なくなった」(宅島先生)という。
「慣れというのも大きいですが、やはり意識が変わったことが一番大きいでしょうね。あれだけ議論して朝補習+45分7コマのままにした意味を全教師が納得し、これまで以上に限られた時間を創意工夫していこうと心掛けるようになったからだと思います」 |
▲県立の「佐世保青少年の天地」で行われる宿泊研修の風景。
集団行動や自学自習により、生活習慣と学習習慣の確立を図る。
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