指導変革の軌跡 富山県立高岡西高校「進学実績向上」
富山県立高岡西高校

富山県立 高岡西高校

2005年に創立98周年を迎える。「聡く、豊かに、たくましく」を校訓として、生徒の自己実現の可能性を広げる教育を展開。部活動はバドミントン、卓球、ソフトテニスが全国大会の常連。また、ボランティア活動も盛んに行っている。

設立●1907年(明治40年)

形態●共学/普通科・人間福祉コース(福祉系・体育系・芸術系)

生徒数(1学年)●約160名

05年度進路実績●国公立大には新潟大、富山大、富山医科薬科大、福井大、福井県立大など45名が合格。私立大には日本大、法政大、金沢工業大、立命館大、関西大など延べ169名が合格。

住所●高岡市横田町3-4-1

電話●0766(22)0164

WEB PAGE●http://www.tym.ed.jp/
sc349/


大代敏彦

▲富山県立高岡西高校

大代敏彦

Daidai Toshihiko

教職歴22年目。高岡西高校に赴任して19年目。教務主任。「いかに分かりやすい授業ができるかということを、常に考えています」

奥澤久夫

▲富山県立高岡西高校

奥澤久夫

Okuzawa Hisao

教職歴22年目。高岡西高校に赴任して18年目。生徒指導主事。「生徒が元気の出るような生活指導を心掛けていきたいですね」

大崎武治

▲富山県立高岡西高校

大崎武治

Osaki Takeharu

教職歴22年目。高岡西高校に赴任して5年目。進路指導部副部長・教務部副部長。「コツコツ努力をすることの大切さを伝えたい」

坂田悦康

▲富山県立高岡西高校

坂田悦康

Sakata Yoshiyasu

教職歴19年目。高岡西高校に赴任して4年目。進路指導主事。「学年、各分掌と連携を取りながら、生徒の進路希望を実現させたい」

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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指導変革の軌跡56
富山県立高岡西高校 「進路実績向上」

男女共学化を契機に進学校への脱皮を図る

女子校としての伝統か進学校への脱皮か

 1995年度末、富山県立高岡女子高校(当時)の教職員一同は高岡西高校の将来を左右する重大な決断を迫られていた。かねてより懸案となっていた「男女共学化」に対する最終的な結論を出そうとしていたのである。
  この2年間、高岡西高校では校長・副校長や各分掌の主任などで構成する検討委員会を組織し、男女共学化の是非を巡って議論を戦わせてきた。伝統ある女子校としての個性をアピールすべきか、男女共学化を機に進学校として生まれ変わるべきか―。
  教務主任の大代敏彦先生は、当時を振り返って次のように述べる。
  「本校は、県立女学校としてのブランドが地域に浸透していることもあり、当初は女子校としての存続を望む声が大多数を占めました。しかし、議論を重ねるうちに、次第に男女共学を望む声が大きくなっていったんです。それというのも、かつては数十名規模で輩出していた国公立大合格者が、男女共学化に踏み切る十数年ほど前から徐々に減り始め、男女共学を決めた95年当時には、国公立大進学者が1名いるかいないかという状況になっていました。進学実績の低迷に対する危機感から、最終的には男女共学化により進学実績の向上を図るという方向で、教職員の総意がまとまっていったんです」
  こうして男女共学化を決めた高岡西高校は、翌96年度の1年間をかけて、男女共学化へ向けて校名や校章、校訓、校旗、教育目標、管理指導計画など、あらゆる点で見直しを図った。
  校章は当時の美術科教師の手によりWをあしらったロゴが作成され、教育目標や管理指導計画は女子校色を排し、進学を意識させる文言へと改めた。更に、当時の高岡西高校には進学ノウハウを持った教師が少なかったため、市内の進学校から進路指導の経験を持った教師を招き、1学年主任として着任してもらうなど、着々と準備が整えられていった。そして97年4月、校名を富山県立高岡西高校に改め、進学校として新たなスタートを切ったのである。


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