70年代後半から進展した高校教育の多様化は、80年代半ばから“多層化”の傾向を強めました。ここでいう多層化とは、教育内容の多様化ではなく、偏差値による高校の序列化が進んだという意味です。その背景には進学率の上昇や、バブル経済の進行など多様な要因が絡み合いますが、共通一次試験の影響も見逃せません。
共通一次試験の見直しを求める論議では、「輪切り現象」「大学の序列化」という二つの問題点が指摘されました。生徒が共通一次試験の得点を第一に考えて進学先を決める「輪切り」が生じ、漠然としていた大学間の序列が明確になったのです。
そうした状況下で84年から87年まで臨時教育審議会(以下、臨教審)が設置され、「教育の自由化」が議論されました。その流れは、90年に共通一次試験が大学入試センター試験(以下、センター試験)に移行されたことと無関係ではありません。共通一次試験が教科・科目を定めた“定食メニュー”だったのに対し、センター試験は各校が教科・科目を自由に選べる“アラカルト方式”です。つまり各大学の裁量を拡大し、いわゆる「輪切り」「序列化」をやわらげようとしたのです。しかし、それによって入試に関係のない教科・科目を勉強しない生徒が増加するという別の問題を生み出し、高校での授業運営に大きな影響を与えました。また、センター試験開始に伴い、国公立大では各大学で実施する個別学力試験の受験機会が2回になり、更に私立大がセンター試験を利用できるようになりました。
90年代前半は、第二次ベビーブーム世代の受験期でもあり、92年には志願者数がピークに達しました。それに伴い、大学合格率は60%前後に落ち込み、不合格者は四十数万人に達して社会問題にもなりました。
バブル経済の進行と期を同じくして大学の“ブランド志向”が強まったことも見逃せません。生徒や保護者が大学入試をステイタス感覚で受け止めるようになり、“大都市志向”も強まって、地方国立大よりも都心の私立大に人気が集まる現象が見られました。バブル経済の終息と共に「国公立回帰」の時代が訪れますが、従来の物差しでは測り難い現象でした。
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