特集 高校教育の「不易と流行」


岡山県立岡山朝日高校

◎2006年度に創立132周年を迎える西日本を代表する伝統校。旧制第六高等学校(現在の岡山大)の跡地に立地し、校内にはこれを記念した「六高記念館」が建てられている。科学者の仁科芳雄、実業家の岡崎嘉平太ら、著名な人物が輩出している。

設立●1874(明治7)年

形態●全日制/普通科/共学

生徒数(1学年)● 約320名

06年度進路実績●06年度進路実績 国公立大には、東京大22名、京都大14名、大阪大20名、岡山大68名、九州大8名など247名が合格。私立大には、慶應義塾大16名、早稲田大34名、同志社大56名、立命館大31名など延べ352名が合格。

住所●岡山県岡山市古京町2-2-21

TEL●086-272-1271

WEB PAGE●http://www.asahi.
okayama-c.ed.jp/asahi.htm

柴岡 元

▲岡山県立岡山朝日高校校長

柴岡 元

Shibaoka Hajime

教職歴38年目。岡山朝日高校に赴任して4年目。「生徒には市民の感覚を持った真のリーダーに育ってほしいと思っています」

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
  PAGE 10/24 前ページ  次ページ

【学校事例1】


岡山県立岡山朝日高校

理念とノウハウを不易として守り続け復活を果たす

高校入試制度の変化の中、かたくななまでに伝統を守り続ける岡山朝日高校。

単独選抜を機に、進路実績の復活を可能とした原動力は一体何か。

30年の取り組みの軌跡を振り返る。

結果を出せず苦しんだ総合選抜時代

 1950年、岡山県で総合選抜制度が導入され、岡山学区内で岡山朝日高校と岡山操山高校との合同選抜が始まった。学力上位層の生徒はこの2校に分散し、毎年、東京大・京都大に各10名以上が合格。好調な進学実績は3校総合選抜となってからも続いた。

 そんな岡山朝日高校の進学実績に変化が見え始めたのは、30年ほど前のこと。74年、4校での総合選抜となってから、それまでよりも学力面で多様な生徒が入学してきたことなどもあり、徐々に進学実績が低迷していった。

 80年に5校選抜になってから、この傾向は強まった。東京大、京都大の合格者数が1桁台の年や、90年代初めには東京大の現役合格者ゼロという年があり、卒業生や保護者から苦言を呈されたことも一再ではなく、進学面では不満の残る状況だった。

 県内外の国立・私立の高校が進学実績を伸ばしていった背景には、総合選抜制度により、公立高校がある一面で活力を失ったことにも原因があったようだ。岡山県高等学校長協会会長も務める柴岡元(はじめ)校長は次のように振り返る。

 「岡山操山高校との2校選抜時代は学校独自のカラーを保てました。しかし、総合選抜校が3校、4校と増えたことで、カリキュラムやクラス構成を工夫しても、それが独自色となって生徒の志望を集めることにはつながりにくくなり、次第に本校の独自色が薄れていったように思います。他校との比較の中で学校が評価されるわけですから、あの高校に勝った、負けたといった総合選抜の枠内での実績に気を取られるようになってしまった面もありました」


  PAGE 10/24 前ページ 次ページ