一柳 多角的な読みを促すという意味では、芥川龍之介の『羅生門』もよいでしょう。同書には、昔から多くの研究者によるさまざまな「読み」があります。
「主人公の下人は、本当にエゴイズムによって堕落していった」という読み方もできますし、「実は下人が解放された」とも読める。さまざまな「読み」の形があることを紹介するだけでも、生徒には刺激になるでしょう。
清水 『羅生門』は初出の文末と全集に掲載されたときの文末が変わっているんです。その二つを比較して、どちらがよいのかというアプローチもあります。
筆者が結末を変えたのには、変えなくてはならない根拠が文章中にあったはず。それによってこの作品がどのように変わったのかを考えさせるのは、まさにPISAが重視する「熟考・評価」の問題だと思います。
私は『羅生門』を読ませ、生徒に「それからの羅生門」という作文を書かせたことがあります。残念ながら「大盗賊になって豪邸を建てた」などという安易な結末が多かった。
しかし、こういうときこそ、深い「読み」を促すチャンスです。改めて「なぜそうなったと考えるのか」という問いかけをすることで、生徒は再びテキストに立ち返って、自分の主張の根拠を考えようとするはずです。積極的に発言をする生徒の良い部分を生かしながら、生徒に揺さぶりをかけていくことが大切です。
一柳 同感です。「こんな作文はけしからん」と切り捨てるか、「面白い視点だね。こういう考え方もあるんだね」と言うか。あるいは、「大盗賊になったとしたら、この下人はどこかで何かを断ち切っているはず、それは何だと思う?」と生徒に投げ返すのか。
教師の扱い方次第でどのようにも指導の方向性を形づくることができます。その意味では、教える教師の側の力量が試されることは間違いないでしょう。
清水 限られた時間の中で、そうした対話を試みるのは簡単ではありません。しかし、方法自体は、実はディベートや小論文指導などを通して、多くの学校が行っている指導とさほど違いはない。
授業以外の日常生活においても、PISAが重視する読解力を身につけさせるための方法論は、いくつもあります。テレビや新聞、大人の会話に対して批評を加えることも一つの方法でしょう。こうした読解力は国語に限らず、教科を横断して養成する視点も見いだせると思います。
まず教師が、日常的に生徒に問題提起を行う意識を持つことが大切なのではないでしょうか。
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