学外では別の問題が持ち上がった。04年に長野県教育委員会は、教育改革の一貫として小・中・高校の統廃合を示唆したのだ。学区内には、望月高校と同じ地域高校(注1)の蓼科(たてしな)高校がある。望月高校が統廃合の対象に挙がることが予想された。
コース制が始まったばかりで、教師たちは学校を変えようと奮闘している。PTAや同窓会は「存続を願う会」を結成。百数十名ものボランティアが集まり、校舎のまわりに散乱したごみを拾い集め、教室や廊下をペンキで塗るなど、地域ぐるみで同校を支援する活動が始まった。
これを目にした当時の望月町(05年に佐久市と合併)の教育長が立ち上がった。統合案では、小学校4校の統合も示唆されていた。新しく統合校をつくっても、中身が変わらなければ教育は変わらない。長年、地域の子どもを受け入れてきた望月高校を失うわけにはいかない。同町は幼稚園・保育園から小・中学校、望月高校までが連携して地域の子どもたちの学びを支援する「望月教育プラットホーム」を立ち上げた(図2)。髙橋忠志校長は次のように振り返る。
「教師も生徒もどんどん替わっていきます。どんなに優れた教育でも、それを継続するのは容易ではありません。しかし、プラットホームという土台があれば、教える側・教わる側が替わっても一貫した教育ができるというのが、基本的な考え方です」
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