教室での通常の医学部の授業は詰め込み型の授業でした。秀才たちが黙々とノートを取る様子を一番後ろの席から眺めながら、「教えられたことをそのまま覚えるだけなら、医学の勉強はつまらない」と思いました。
ところが、臨床に進むと、患者さんの様子は一人ひとり異なり、教科書とぴったり合うケースはほとんどありませんでした。子どものころ、自然を「不思議だな」と思ったように、医学が次第に面白くなってきました。やはり、教科書だけでは生命の不思議はわからないんです。
医学部を修了し、私は、放射線でがん細胞を殺す方法を研究する放射線科に進みました。ここには医学部出身者と理学部出身者の両方がいることもあって、学際的でアカデミックな雰囲気でした。でも、当時の技術では患者さんを治すことはほとんどできなかったのです。治療の手立てがなくなった末期の患者さんが死んでいく様子をたくさん目にして、「がんの本当の性質をもっと研究しないと、がんを克服することはできない」と強く思うようになったのです。このままでいれば教授になれるのに…周囲は私に言いましたが、自分の納得できる研究をしようと決意して、私は東京大から癌研究所に籍を移しました。
そして、癌研究所からアメリカ留学、国立がんセンターと私の研究の場は変わっていきました。でも、どこにいても、私は、自分がやりたいと思った研究に取り組もう、そう考えてきたのです。
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