未来をつくる大学の研究室 神経発生学
VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
  PAGE 2/5 前ページ  次ページ

研究テーマ
科学的手法で「心」の問題にアプローチ

 神経発生学とは無縁に思われるかもしれませんが、私は大学では歯学を専攻していました。周囲の学生が歯科医を目指す中で、私が興味を持ったのが「人の顔はどのように発生し、形成されていくか」というテーマでした。
 顔はどのようなプロセスでつくられるか知っていますか。初期の胎児はのっぺらぼうで、顔がありません。だんだんとくぼみができて目や鼻になり、次第に顔が整っていきます。そのプロセスの大半は、遺伝子のプログラム通りに進むと考えられています。
 ところが、プログラムの異常が原因と考えられる症状が存在します。その一つが、唇の一部が裂けた状態で生まれる口唇口蓋裂(※4)(こうしんこうがいれつ)という先天的な症状です。この症状は歯科にも関係が深く、顔全体の形成にかかわる遺伝子のメカニズムを解明し、原因や予防法を探るのが、私の研究でした。ただ、この研究は神経発生学とのかかわりは深いのですが、厳密にいえば、その領域からは少しずれています。

写真

 私が本格的に神経発生学の道に入ったのは、1990年に顔の形成に関連して始めた研究からでした。私の研究内容を知る人が、数匹のラットを研究室に持ってきてくれました。そのラットは目が異常に小さく、明らかに突然変異体でした。遺伝子レベルの異常を調べれば、突然変異の原因がわかるかもしれない。私はそう考え、ラットの遺伝子を調べたところ、PAX6(※5)と呼ばれる遺伝子の異常が見つかりました。最初、PAX6は目だけにかかわる遺伝子の異常だと考えましたが、研究を進めるにつれて、ほかにも脳の多くの部位に影響を与えていることを発見しました。
 これを機に、脳と遺伝子のかかわりに関心を持ち、神経発生学の研究を始めたのです。
 PAX6のラットの研究はさまざまな方向に発展し、現在も続けています。中でも力を入れているのが、遺伝子変異と精神疾患の関係です。例えば、PAX6遺伝子に変異が入ったラットでは、社会性が低下する、引きこもり傾向が強まる、外の刺激に過剰に反応する、といった症状が現れることがわかりました。その中には、人間の統合失調症(※6) ADHD(※7)に類似する症例があります。

写真
写真1 研究に欠かせないのが実験動物の存在。遺伝子解析のしやすいラット、マウスといったげっ歯類などの脳から組織を取り出し、細胞を培養したり、遺伝子の働き方を調べる
用語解説
※4 口唇口蓋裂 口唇裂は主として上唇、口蓋裂は口蓋(上あご)が生まれつき裂けている状態。およそ500人に1人の割合で発生するといわれている。
※5 PAX6 パックス・シックス。脳の形成に重要な役割を果たす遺伝子の一つ。
※6 統合失調症 妄想や幻覚、思考障害、認知障害、意欲の欠乏などを引き起こす精神障害。遺伝的要因と環境的要因が組み合わさり起こると考えられている。
※7 ADHD 注意欠陥・多動性障害のこと。注意力不足、衝動性や多動性を特徴とする行動障害。社会的な活動や学業の機能に支障をきたす。中枢神経系の機能不全が要因と推測されている。

  PAGE 2/5 前ページ 次ページ