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当時の松江北高校の進路検討会は、休日も返上して、それも深夜に及ぶ密度の濃いものでした。個々の生徒の課題から各教科の指導法、更に組織の見直しを含めて学校全体をいかに効果的に動かすかまで、時間をかけて熱く意見を交わしていました。そこには「『無理』は教師がするものであり、生徒がすべきものではない」という鞁嶋先生の考えがありました。学力不振や進学実績の低迷などの事態に直面したときに、それを生徒のせいにするようになったら即座に職を辞すべきだという覚悟と信念が私たちの中にも当然のように存在していたと思います。
生徒の可能性を伸ばせるシステムと、それを機能させる人材育成のノウハウを学びながら、自らも悩み、工夫を重ねました。私が求めていた進学指導や学校の在り方が着実に具体化されていく濃密な日々でした。
同校での2年目、私は3年学年主任となった鞁嶋先生の下で、クラス担任を務めました。学校全体を把握して大きな流れをつくりながら、担任の個性を生かして学年を経営する手腕に感動しました。そして翌年、先生は松江北高校を去られました。共に働けたのはわずか2年間でしたが、「鞁嶋先生が灯した明かりを消してはならない」と心に期するものがありました。そして6年後、私が同校で9年目を迎えた2000年度、鞁嶋先生は校長として帰ってこられました。大きな力で支えられ、新たな手応えを感じつつ、同校で最後の2年間を過ごすことができたと思います。
一緒に仕事をさせていただいたのは4年間だけでしたが、担任、学年主任、進路指導部長、そして校長としていかにあるべきか、先生から数多くを学びました。趣味も違うし、プライベートの接点もないけれど、いつでも高校教育の未来について率直に話ができる。大先輩に対して大変失礼とは思いますが、同じ志を持つ同志…そう思っています。
私たちの仕事は、人と人とのぶつかり合いそのものです。そこには本来、たくさんの出会いがあります。ただし、出会いは志を持っていてこそ、見逃すことなく自分のものにできるのだと思います。
教師として、目の前の生徒たちと、その後に続く未来の高校生たちを育てていくために、今、自分は何を学び、いかに成長すべきか。後輩の先生方にはそういう志を持っていただきたい。そうすれば自分のまわりに素晴らしい出会いがあることに気がつくはずです。出会いはいくつになっても遅すぎることはありません。教師は1人では何もできないのですから。 |
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