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先輩教師の言葉
互いの言動を認め
勇気を与え合う同志だった
島根県 東出雲町長 kawashima hiroaki
鞁嶋弘明
すべての教師は例外なく生徒に「勉強しなさい」と言います。「勉強なんてしなくていいよ」などという教師はいません。語る言葉だけを見れば、どの教師も同じです。しかし、40人の生徒を前にしたとき、一握りの生徒しか動かせない教師もいれば、柴田先生のように40人全員を動かせる教師もいる。何が違うのかといえば、それは情熱であり、3年間を見通した緻密な指導力です。生徒はわかっているんですね。人生においてなぜ今勉強しなければならないのか、そこまで考えた上での柴田先生の「勉強せい」の言葉だということを。
一緒に仕事をした4年間で、柴田先生の指導に不満を感じたことは本当に一度もないんです。彼の行動にどんな意図があるのか、私にはそれがよくわかったので不満を感じることがなかった。だから、校長として松江北高校に戻ったときも、進路指導部は柴田先生に任せて、私がタッチすることはありませんでした。それよりも、校長としての私の役割は、彼が仕事をしやすい環境をつくることであり、そして、お互い自分のやろうとしていること、考えていることを話し、認め合うことだと思っていました。学校を改革する過程では、ときには今までの常識からは外れた、思い切った動きも必要になります。そんなとき私と柴田先生は、お互いの存在から勇気をもらっていたと思うのです。方法がわからないから相談する、という関係ではありませんでしたよ。率直な言葉でわかり合える、まさに同志でした。
私と柴田先生は、性格も趣味も違います。学校でも、力仕事が得意な私が汗をかいて地ならしをして、緻密な指導力を持った彼が丁寧に種をまき、立派に花を咲かせる…そんな役割分担だったと思います。私にないものを持っている柴田先生だったから、自然にお互いを補い合えたのでしょう。
これまでの学校現場での歩みを振り返ると、輝いた時間には、いつも柴田先生がいるのです。
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