特集 つなぐ教師の教科指導力
栗木晴久

愛知県立一宮高校

栗木晴久

Kuriki Haruhisa
教職歴16年。同校に赴任して8年目。進路指導部。愛知県立豊田西高校、愛知県立松平高校で教壇に立つ。

VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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【インタビュー】 私が考える教科指導 国語

「言語運用能力」を伸ばす指導が
いま求められている

愛知県立一宮高校 栗木晴久先生

栗木晴久先生は、「大学で必要な力と高校の国語科教育は
つながっていないのではないか」と自身の体験から疑問を抱き、言語運用能力の
育成を目標とした指導スタイルを実践する。テストは能力規準で作問し、
習得した知識や技能を活用できる能力が高まっているのかを測っている。

高校で学んできたことが大学で通用しない

 学生時代、私は大学での勉強にかなり戸惑った記憶があります。
 優れた大学の教師は、学生を徹底的に鍛えます。「このテキストの1章分を、来週までに原稿用紙3枚に要約してきなさい」「この問題について、4000字のレポートを書きなさい」といった課題をどんどん与えていきます。ところが、入学当時の私は、テキストを要約しようにも、どのように読めばよいのか、どのように書けばよいのか、全く見当がつきませんでした。ともかく課題をこなして提出するのですが、初めのうちは全くうまくいきませんでした。しかし、読むことと書くことを繰り返しながら、大学で求められる言語運用能力を少しずつ身に付けていったのです。
 このときに痛感したのは、「高校までの国語の勉強が、大学では通用しない」という事実でした。もちろん、中等教育と高等教育との間に差があるのは当然です。しかし、私が感じたのは、単なる「段差」では済まされないものでした。
 大学の学びで求められる言語運用能力とは、論理的に書かれた文章を的確に読む力、そして書く力です。ところが、私は、高校までの国語の授業で、論理的な文章を読む力、書く力を鍛えるための指導をさほど受けていませんでした。大学で論理的な言語運用能力が必要とされているのであれば、本来なら高校でもその能力を育てるための指導が必要なだけ行われるべきです。
 私は、大学教育と高校の国語科教育がうまく接続されていないのではないか、と感じながら教師になりました。
 国語科教育において、文学的な文章や韻文を味わい、情景や心情を捉える力を生徒に身に付けさせることが、人格形成の上で不可欠なのは言うまでもありません。しかし、もう一つの柱として、論理的な文章を読みこなし、趣旨や論理構成を理解する力を生徒に身に付けさせることも、同じように重要です。ところが、従来の国語科教育は、前者に偏っていたのではないかと思います。
 実は1982年に施行された学習指導要領以降、国は「文学教育としての国語」だけではなく、「言語の教育としての国語」を重視すると、明確に打ち出し続けています。また、センター試験や国公立大の個別試験の国語の問題を少し丁寧に分析すると気づくことですが、大学入試においても言語運用能力を測る問題が数多く出題されています。
 言語運用能力の育成は、国の方針であり大学の要請でもあるのに、肝心の高校教師が十分にそれを認識し実践していない。これは、今の国語科教育の大きな問題だと思うのです。
 普段、学校現場で忙しく働いていると、どうしても日々の授業や指導にばかり追われがちです。しかし、「自分の担当教科では、今、何をどのように教えることが求められているのか」を知るために、中央教育審議会の答申や学習指導要領を読み込むなどして、国の教育政策に関心を持つことが大切です。国立教育政策研究所のウェブサイト上の読解力に関する資料も参考になります。
 また、「大学教育が高校教育に何を求めているのか」を把握するには、大学入試問題を自分で解いてみることです。例えば、評論のセンター試験問題を記述式問題につくり変えて、自分で答案を書いてみると、「大学教育が、高校卒業までに生徒に身に付けておいてほしいと考えている学力は何か」が見えてきます。国語科教育が目指すべきものと、大学入試との間に対立や矛盾はないことにも気付きます。

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