特集 つなぐ教師の教科指導力
VIEW21[高校版] 新しい進路指導のパートナー
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問題集は「能力を鍛えるための手段」ではない

 生徒の言語運用能力を育むために、国語では具体的にどのような指導をすればよいのでしょうか。
 私は、「質の高い評論文を数多く読ませること」と「論理的な文章を書く機会を増やすこと」に尽きると考えます。ただ、「数多く読ませる」「書かせる」というのは、単にたくさんの問題文に当たらせるという意味ではありません。
 先日、私は予備校の先生と接する機会がありました。予備校の場合、預かった受験生を指導できる期間は1年程度です。時間が限られているために、その受験生が現状で持つ言語運用能力をいかに試験の点数に変換していくか、という技術を教えることで精一杯だと話していました。得点力の大前提となる言語運用能力を伸ばすことに関しては、その方向性を指し示すことしかできていないというのです。
 一方、高校教育には、3年間という時間が与えられています。生徒が現状で持つ言語運用能力を前提とした指導ではなく、言語運用能力自体を「伸ばす」ことができるのです。
 ところが、多くの進学校で行われているのは、大量の問題集を生徒に課すことです。中には、2年生の早い時期から、教科書主体の指導から問題集主体の指導に移行する高校もあります。そして、「丸2年間も演習問題に取り組ませたのに、結局、生徒の学力はあまり伸びなかった」という結果になりがちなのです。
 しかし、これはある意味、当然の結果です。問題集に取り組ませることは、「言語運用能力を点数に変換する技術を身に付けること」にはなっても、「言語運用能力自体を伸ばすこと」には直接つながらないからです。
 そもそも、国語の問題は「能力の状態を測定するための手段」であり、「能力を鍛えるための手段」ではありません。確かに、優れた問題は能力を測ると共に、能力を鍛えてもくれるでしょう。しかし、「能力の育成にはならない」と断言してもよい問題が数多くあります。本来の目的が異なるものを用いて、言語運用能力の育成を図っても非効率的です。
 また、問題集を順番に解かせる学習方法では、一つひとつの文章が内容的な連関を持たないために、生徒が議論の本質をつかめないまま、ただ設問に答えていくという学習に陥りかねません。文章の構造や、筆者がどのような論理を展開して、どのような主張をしているかを的確に読み取り理解する力を生徒に身に付けさせたいと思うのなら、細切れの問題文ではなく、一定のまとまりのある文章を一つのテーマについて複数読ませる必要があります。
 生徒に数多くの文章を読ませ、書かせることによって、言語運用能力を育成しようとするときに重要なのは、3年間を見通す力です。「高校卒業時に、生徒はこういう能力をこの程度身に付けている」というゴールを見据えた上で、どの時期にどのような文章を読ませたり書かせたりするのか、学年ごとの年間計画を立て、教材を選び、配置するのです。
 例えば、本校では、現代文分野の学習指導で育成すべき言語運用の基礎能力を整理して明文化しています()。3年間でこれらの能力を確実に高めさせるために、「教科書のそれぞれの教材は、どういった能力を伸ばす上で効果的に活用できるか」「効果的な教材の配置はどうあるべきか」ということを考えながら教材を並べ、生徒の言語運用能力がスパイラルに伸びていくことを期しています。
 更に、授業と教科書だけでは読む量が少ないため、家庭学習の教材として評論文の選集を与えて授業と関連する形で読ませ、要約を書かせています。また、生徒には新書レベルの書物を読みこなせるようになってほしいので、長期休暇等には文芸作品だけでなく新書を課題図書として読ませています。
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