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学校にも慣れ、高校教師という仕事も大まかにわかってきた8年め。私は初めて進学クラスの担任として、受験を迎えることになりました。このときも白潟先生は同じ学年の担任として、私のそばにいました。しかし、3年間同じように指導してきたはずなのに、入試の結果は大きく異なりました。先生のクラスからは合格最低点で京都大に合格者を出すのに、私のクラスはすれすれのところで不合格になってしまう。模試の成績もそれほど変わらなかったのに…。微妙な違いが、最後に大きな差を生むのが高校の指導であり、しかもその要諦(てい)は解説書のようなもので説明できるものではない。教師の仕事は、職人のようなものなのだと気づかされました。
私は、初心に戻って、白潟先生がどんな指導をされているのか、懸命に追いかけました。違いは普段の生徒の様子の中にたくさん見つかりました。例えば、掃除をしっかりしていること、HRで担任の話にきちんと耳を傾けていること。文化祭やスポーツ大会でもよい成果を上げているのはいつも白潟学級でした。こうした日々の指導が最後の差になるのだと実感しました。
これはと思える指導は積極的に取り入れました。面談の進め方もその一つです。全員に面談したあと、時間をおかず気になる生徒には2回めの面談を実施する。すると、最初の面談で何も問題が見つからなかった生徒から「実は…」と進路や家庭の悩みなどが明らかになりました。
私も中堅といわれる年齢になりました。白潟先生から学んできたものは、若い人に受け継いでいきたいと思っています。けれども、大切なものほど言葉では説明できず、何年もかけて生徒と実際に触れ合いながら学んでいくしかない。私たちの仕事が生徒一人ひとりを育てるものである以上、時間がかかるのは当然なのだと思います。 |
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