指導変革の軌跡 福岡県公立古賀竟成館高校
福岡県公立古賀竟成館高校

福岡県公立古賀竟成館高校

◎1951年設立の福岡県立粕屋農業高校古賀分校を前身として、古賀市などの2市1町(創立時は4町)が高等学校組合を組織して創設した「公立高校」。校訓は「自主 友愛 練磨」。09年4月に校名を変更し、普通科に進学に重点を置く特進コース、美術・デザイン系大学・学部を目指すベーシックデザインコースを新設した。

設立●1962(昭和37)年

形態●全日制/普通科・総合ビジネス科/共学

生徒数(1学年)●約200名

08年度進路実績●国公立大には山口大、北九州市立大に4名が合格。私立大には、中央大、東海大、関西外国語大、久留米大、第一薬科大、福岡大、西南学院大、九州産業大、立命館アジア太平洋大など延べ52名が合格。

住所●〒811-3103 福岡県古賀市中央2-12-1

TEL●092-942-2161

WEB PAGE●http://www.
kogahigh.com

大枝 均

▲福岡県公立古賀竟成館高校校長

大枝 均

Oeda Hitoshi
教職歴33年。同校に赴任して3年目。「『今日の努力は明日への成功』ということを生徒たちに伝えていきたい」

長友陛富

▲福岡県公立古賀竟成館高校教頭

長友陛富

Nagatomo Yoritoshi
教職歴33年。同校に赴任して32年目。「常に『前進あるのみ』という気持ちで、改革にあたっていきたい」


VIEW21[高校版] 新しい組織的な生徒指導による学校改革のパートナー
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指導変革の軌跡120


福岡県公立古賀竟成館(きょうせいかん)高校 「進路意識向上」

厳格な生徒指導と手厚い進路指導で
地域の信頼を取り戻す

変革のステップ
背景(STEP1)
実践(STEP2)
成果(STEP3)
◎学校生活の規律の乱れをきっかけに入学者が減り、廃校の危機に立たされる
◎生徒指導を厳格に行い、学校の雰囲気が落ち着いたころ、進路指導を充実させる
◎改革実施5年後には、4年制大への進学者が3倍以上に増える

地域が設立した学校が一転、 廃校の危機に直面

  2002年4月、新規採用で福岡県公立古賀高校に赴任した丸山貴与仁(きよひと)先生は、教壇に立って驚いた。授業開始から数分後、最前列に座っていた女子生徒が化粧を始めたのだ。「何をしているんだ」と叱ると、生徒は「乳液を塗っているんです」と答えた。その生徒だけではない。授業中にもかかわらず、ガムを噛んだり食べ歩きをしたり。制服のシャツの裾を出し、男子は腰パン、女子は巻き上げスカート。生徒の生活態度は、規律とは程遠いものだった。
 当時、同校は廃校の瀬戸際に立たされていた。近隣に県立高校がほとんどなかった1960年代前半、同校は古賀町ほか三つの町によって地域の人材育成を目的に設立された。県立高校が増え、志願者数が落ち込んだ時期もあったが、入試日程を変えるなどして、危機を乗り切ってきた。ところが、90年代に入り、再び成績上位の生徒の確保が難しくなった。同校に32年間勤める教頭の長友陛富(よりとし)先生は、こう分析する。
 「入試制度という器を変えることで、学校は息を吹き返したものの、それも一時的なことでした。数年経てば、成績上位の生徒は県立高校へと流れてしまった。それは、我々教師が『生徒を育てる方法』を持っていなかったからだと思います。県立高校は毎年、教師の異動があり、他校のノウハウを取り入れる機会も多い。しかし、異動のない本校では、他校の取り組みの情報がほとんど入ってきません。転任者から刺激を受けたり、ノウハウを吸収したりする機会が少なく、指導が我流に陥っていたのです。生徒の力を伸ばしきれず、中学生に『入学したい』と思ってもらえる学校になれなかったのだと思います」
 志願者数減少に伴い、生徒の問題行動が目立つようになり、地域から「古賀高校を廃校にしてほしい」という意見が公然と発せられるようになった。01年度には古賀高等学校組合教育委員会に「古賀高校活性化等検討委員会」が発足したが、議論の方向性は「廃校」に傾いていた。
 この危機に直面し、「廃校となれば、創立以来、本校を支えてきた先輩方に顔向けできない」「一度、思い切りやってみよう」という声が、校内から沸き起こってきた。

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