私は広島で育ったということもあり、子どもの頃から憲法9条や平和主義などの問題に興味がありました。弁護士かジャーナリストになりたいと思い、一橋大法学部に進学しましたが、ゼミで学んだフランス革命期の憲法に刺激を受け、憲法研究の道に進みました。
ジェンダー研究を始めるきっかけとなった出会いも、この頃にありました。フランス留学中、ジャコバン憲法(※1)について調べている時、フランス革命期のオランプ・ド・グージュ(※2)という女性が書いた女性の権利宣言の存在を知りました。当時はまだフランスでも知られていなかったその権利宣言の資料を日本に持ち帰って翻訳し、『法律時報』という雑誌に発表したのが、私のジェンダー研究の第一歩になりました。
その後、法学の世界に飛び込んだのですが、そこは完全な男社会。「女性は憲法の研究に向かない」「ジャーナリストになった方がいい」と言われたこともありましたが、研究の面白さから国民主権や選挙権など憲法の王道ともいえる研究に進み、実績を積み重ねました。今では選挙権は国民に平等に与えられている権利ですが、歴史的に見ると女性に選挙権がない時代が長く続きました。憲法の王道を研究し続けることが「ジェンダー法学」という新たな領域を耕すことへとつながったのです。
また、学会の活動にも積極的に参加するうちに、先輩方に「どの学会に行っても受付に座っている」「いつも発表しているね」と声を掛けられるようになりました。ひたむきな努力を認めていただけたのです。
ジェンダーに関する研究に本格的に取り掛かったのは、90年代に入ってからでした。グージュの書と出会ってから、十数年がたっていました。
その後、男女共同参画社会基本法(※3)の制定、ジェンダー法学会の設置など、日本のジェンダー研究を取り巻く環境は大きく変化しました。私は研究活動と同時に、東北大の男女共同参画委員会の副委員長としてさまざまな企画を実施しました。その実績を基に、03年度には21世紀COEプログラムに、08年度には「グローバル時代の男女共同参画と多文化共生」の研究がグローバルCOEに選定されました。現在は多文化共生の視点も入れながら、研究を拡大、深化させています。 |