変化の激しい現代社会において、コミュニケーション力、とりわけ言葉を使ったコミュニケーション力の向上は、「以心伝心」や「周囲との同調」に価値を置いてきた私たち日本人にとって喫緊の課題です。私自身も、海外生活を送る中で自分を表現する文化の違いにカルチャーショックを受けたことがきっかけで、2003年にNPO法人を立ち上げ、子どもと親などを対象とした、コミュニケーション力の育成活動を始めました。これまでの私の経験や社会の変化を踏まえて、なぜ、どのようにコミュニケーション力を高めるのかについて、2回に分けてお話しします。

コミュニケーションって何? なぜ必要?

「コミュニケーション」は多くの人にとって非常に身近で、よく使う言葉です。だからこそ、意味や目的を改めて聞かれると戸惑うかもしれません。「コミュニケーション」を辞書で引くと、「社会生活を営む人々の間で行う知覚・感情・思考の伝達」(広辞苑)とあります。私は、「コミュニケーション」とは、「人と人とが、感情や意思、情報などを、言葉や表情、しぐさなどを使って分かち合うこと、伝え合うこと」だと考えています。

では、コミュニケーションはなぜ必要なのでしょうか。私が考えるコミュニケーションの目的は次の3点です。

1つめは、人間関係を良好にするためです。人は社会的な生き物ですから、他者とうまくやっていかないと生きていくことができません。社会情動的スキルに代表されるように、コミュニケーションを通じて相手を理解したり、関係を広げ、深めたりすることは、社会生活上不可欠です。

2つめは、稼いで生きていくためです。一部の例外を除き、コミュニケーション力が高い人の方が仕事に就ける可能性が高く、得られる収入も高いと言われています。企業の採用担当者と話をしていても、採用時に最も重視するのはコミュニケーション力という傾向は、何年も前から変わっていません。

3つめは、平和をもたらすためです。言葉の発達が十分ではない幼児期の子どもは、自分が欲しいと思った友だちのおもちゃを勝手に取ってけんかになりますが、「それ、貸して」「一緒に遊ぼう」などと、言葉を使って依頼や交渉ができるようになれば、対立を回避することができます。個人間のみならず、国家間の対立も同様です。高度な外交交渉などは、コミュニケーション力の有無や優劣で結果が大きく変わってきます。

コミュニケーションはラテン語の「communis:共有する、分かち合う」が語源であると言われますが、その点からも分かるように、ポイントは「双方向」です。しかし、互いのことを伝え合うのは簡単なことではありません。自分の気持ちや考えを言語化するのは難しいことですし、実際に伝えられるのは頭の中にあることの一部です。それをどういう言葉の選択によって表現するかは、とても難度が高いことなのです。難しいからこそトレーニングが必要であるとも言えます。

自分を表現するトレーニングを幼児期から行っている米国

私が言葉を使って自分を表現することの大切さを実感したのは、夫の転勤に伴い、米国で生活していた時でした。ある店で購入したサンドウィッチのレタスに泥がついていたので、取り替えてもらおうと店に持っていき従業員に見せました。するとその従業員は、「あなたは私に何が言いたいの? どうしてほしいの?」と言わんばかりの怪訝な顔をしました。日本であれば、すぐに「申し訳ございません。新しいものと交換いたします」などと言うのが一般的かと思いますが、その時の従業員は察してくれなかったのです。「察する」「以心伝心」のコミュニケーション文化の中で生きてきた私にとって、まさにカルチャーショックでした。世界では、言葉によって自分の意思を表現しないと相手に伝わらない、生きていけないのだと痛感しました。

米国では、幼稚園、小・中学校、高校で、言葉を使ったコミュニケーションに関する教育が行われていました。プレゼンテーション力を例に挙げると、1人でブレーンストーミングをすることを経験させながら、自分の考えや話したいこと、調べたいことをまとめられるよう、指導します。そして、考えを表現する際に必要なスキルや構成の仕方、質疑応答の方法についても教えます。小学校3・4年生になると、私が日本の大学で卒業論文の作成時に教わったような内容を学びます。そのようにして、幼児期は人前でうまく話せなかった子どもも、トレーニングを経ると、堂々とプレゼンテーションをすることができるようになることを目のあたりにして、練習次第でコミュニケーションは上達すると確信したのです。

また、米国では、乳幼児の頃から子どもも意思を持っている1人の人間として大人は接する考え方があり、子どもによく質問をします。子どもの意思を察してあげる傾向のあるアジア圏の文化とは異なるのです。

講演会の様子。全国を回り、自身のアメリカでの体験などを通じて、コミュニケーション力を高めることの必要性を伝えている。

身につけさせたい「セルフアドボカシー」

帰国後、家庭向けのコミュニケーショントレーニングの書籍を出版することになり、日本の保護者たちにヒアリングをしました。すると日本の保護者たちのニーズは、「プレゼンテーションよりも、子どもが『言いたいことが言えない』『嫌だと、言えない』ことに困っている。自分の気持ちや考えを言葉で言えるようになってほしい」でした。そこで、米国の教育や家庭で行われていたコミュニケーション方法の要素を抽出し「7つの力」(度胸力、論理力、理解力、応答力、語彙力、説得力、プレゼン力)のトレーニングとして提言しました。そのトレーニングは、「家庭の中で、言葉を使って伝える力を育てていこう」という内容でした。自分の気持ちや考えを言葉で伝えられるようになることは、自分で自分を守ることにもつながるからです。

近年、子どもの権利を守り、尊重しようとする世界的な流れを受けて、日本でも関連する法律が改正され、こども家庭庁も発足しました。「子どもは弱くて大人から守られる存在」というだけではなく、「1人の人間として人権を持つ『権利の主体』」と、日本社会においても、子どもの存在に対する考え方に変化が見られます。2016年に児童福祉法は質的な大改正が行われ、改正後は「子どもの意見をまず尊重する」と明記され、子どもは児童福祉の対象から児童福祉を受ける権利主体へと大転換したのです。さらに、23年4月には、こども家庭庁が発足し、こども基本法が施行されました。

「子どもアドボカシー」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。アドボカシーは「擁護」「代弁」といった意味で、権利を侵害されている子どもがいた場合、子どもの声を代弁することを言います。こども家庭庁の政策として、現在は福祉の分野で、子どもが自分の意見や考えを表明できるようにサポートする「意見表明支援員」(アドボケイター)の養成が始まっています。

子どもの権利が適切に行使されるためには、大人の理解とサポートはもちろんのこと、子ども自身が自分の権利や利益などを主張する「セルフアドボカシー」ができる状態が理想です。私たちが03年から行ってきたコミュニケーション育成プログラムは、言葉を使ったコミュニケーション力を身につけるトレーニングであり、セルフアドボカシーにあたると考えています。どんな子どもも、意思を持っている1人の人間であり、日本でも自分を表現する言葉の力の必要性が広がっていくことを願っています。

今回は、子どものコミュニケーション力、特に言葉を使って自分を表現する力の必要性について、いくつかの側面からお話ししました。次回は、私がNPOの活動で得た経験も踏まえながら、コミュニケーション力の育成のポイントをお話しします。

子どもアドボカシーの活動にも注力している。写真は、児童養護施設に入所する子どもたちの状況について、自身の実践や米国の視察結果などを基に、社会人にレクチャーを行っている時の様子。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

 

髙取・しづか(たかとり・しづか)

JAMネットワーク前代表、「ことばキャンプ」主宰

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