幅広い領域で精力的に取材や執筆活動をされている、編集者・ライターの太田美由紀さんによる連載コラム「子どもと教員がいきいきと動きはじめる学校」です。
今回は、前回の「学びの主体」になるとはどういうことかに続き、そのために必要な環境デザインのお話です。
※筆者プロフィールは末尾リンクから

「子どもたちを応援していく教育」を目指して

第8回 子どもが「学びの主体」になっているか?では、「学びの主体」になるとはどういうことかについてお伝えしました。では、そのような環境をデザインするにはどうすればよいのでしょうか。子どもの「学びたい」が動き出すために、先生は何ができるのでしょう。

このことをお伝えするために、これまでの連載の8回分があったと言っても過言ではありません。まさにここが本丸です。

書籍『学校とは何か 子どもの学びにとって一番大切なこと』の編著者である汐見稔幸さんは、「はじめに」で次のように述べています。

教育は、子どもの苦手なところを見つけ、それを訓練して得意なことに変える、という仕方ではうまくいかないということは、つとに指摘されてきましたし、そう実感している方も多いでしょう。苦手なことをさせられると、そもそも学ぶということ自体がおもしろくない、辛いと感じてしまう子どもが多くなるからです。

そうではなく、子どもたちの興味を持っていること、関心が高いことを、なるべく子どもたち自身がやりたい方法で解明していく、それを応援していくという教育の仕方のほうがよく学ぶ、ということは、ある意味常識になってきています」(本文から抜粋して引用)

「子どもたちを応援していく教育」とは、具体的にはどんなことなのでしょうか。取材した多くの先生は、さまざまな工夫を凝らしながら「子どもたちを応援していく教育」を実践していました。そして、先生自身が、そのことに大きな喜びを感じていました。
 

子どもたちは大人の想定を超えてくる。それは大人にとって学びであり喜び

「子どもたちを応援していく教育」の本質は、「特別支援学級」や「学びの多様化学校」で、長年不登校だった子どもたちが学校に通いはじめる様子を間近で見てきた先生たちの言葉に如実に表れています。

「安心できる場所があって、友達に会いたい、一緒に遊びたい、学びたいという気持ちが出てくると興味が広がっていく。その時、自分が参加の仕方を選ぶことができれば、子どもたちは安心して世界を広げていくことができる。そのきっかけがなんなのかは、私にはわからないので、本人や保護者の方と何度も相談したり対話したりしながら一緒に考えます。子どもたちに教えてもらうしかない。いつも悩みながら探し続けています。新しいチャレンジをするときは、本人がいくつもの方法から選ぶこと、無理をしないことがとても大事だと思っています」(特別支援学級<小学校>の先生)

「教員が頑張って『主体的・対話的で深い学び』の場をつくろうとしている学校がほとんどだと思いますが、子どもたちは、目の前にやりたいことがあれば勝手に主体的に動くし、対話もする。そしてそれが結果的に深い学びにつながっていく。楽しければ探究だってどんどんする。私たち教員は、そういう場をつくって邪魔しない。実はとてもシンプルなことなんだと思います」(学びの多様化学校<中学校>の先生)

公立の小学校や中学校でも子どもたちがいきいきと動き出す実践は多様で、一見全く異なる方法のように見えることもあるのですが、それぞれの根底には必ず上記のような視点がありました。

そのような視点を持つと、板書の意味合いも変わります。取材先には、「板書を書き写すだけのノート」を廃止した公立小学校もありました。その学校では、授業中に生まれる子どもたちの問いや対話、脱線も含めたやりとりを、先生が逃さずにキャッチして、グラフィックレコーディングのように絵も交えながら見える化しようと試みていました。子どもたちの学びの足跡を整理し、記録するための板書です。

また、ある公立小学校の先生は、自らを「中間支援人」と称していました。子ども同士、子どもと保護者、子どもと地域、子どもと社会をつなぐ役割としての「中間支援人」です。保護者や地域の人をゲストティーチャーとしてどんどん学校に招き、時には子どもたちと一緒に地域に飛び出します。「子どもが一人きりで学ぶことが難しいのと同じように、教師一人だけで多くの子どもたちに世界を教えることはできない」と話してくださいました。

安心できる場をつくり、それぞれの子どもたちの興味を教えてもらいながら、一緒に考え、対話する。子どもたちの思考やその学びの足跡を整理し、記録する。そして、多くの人や世界とつなげ、さらにその興味を広げていく。すると、子どもたちは大人の想定を軽々と超えていくと言います。それは、先生にとっての新たな学びとなり、喜びとなるようです。
 

先生自身も「学びの主体」となれば、学校はもっと楽しい場所になる

子どもを応援するばかりでは、自分自身が疲弊してしまうという先生もたくさんいらっしゃると思います。先に紹介した先生の言葉に「新しいチャレンジをするときは、本人がいくつもの方法から選ぶこと、無理をしないこと」とありましたが、これは子どもたちだけでなく、先生自身にも言えることです。

無理をしてチャレンジしなくても、先生自身が興味を持って取り組めるテーマや教材を使い、楽しみながら学ぶ姿を見せることも、子どもたちにとっては新鮮に映るはずです。

ICTが得意な先生は、社会の授業で「教育版マインクラフト」(子どもたちに人気のゲーム「マインクラフト」を教材として使えるようにしたソフト)を使用していました。手書きのカードを使って学習する単元を織り込んだオリジナルのゲームを考えている先生もいます。畑作業が好きな校長先生は、小学校の屋上で有志の子どもたちと屋上農園をつくりました。

私自身も、記憶に残っているのは、自身の好きなことに熱中している先生です。授業よりも自らの作品作りに熱中していた小学校時代の図工の先生。図工準備室によく遊びにいきました。個人的に研究しているシダ植物の話ばかりする中学の理科の先生はかなりのコワモテでしたが、不思議なことに多くの生徒がシダ好きになりました。高校ではジョージ・オーウェルの小説『Animal Farm(動物農場)』の原著を1年がかりで読む授業が面白く、その先生が時折披露してくれるフランス語の響きに憧れて、大学で第二外国語にフランス語を選んだものです。

大半の大人はつまらなそうで、大変そうに見えました。そんな中で、楽しそうに学び続け、子どものように無邪気に話してくれる大人は、未来への希望になるのだと思います。

今回、冒頭でお伝えした汐見さんの言葉には続きがあります。

「教員が主導して学校を変えていく場合も原理は同じはずです。教員が苦手とするところを得意に変えて新しい学校をつくれ、というにおいが隠れている改革はうまく進まないでしょう。逆に、教員が得意な分野をうまく活かし、教員自身がやりたいと思っている方向で改革していこう、その進行を、社会が学校と教育に期待している方向とつなげていく、とするほうが、うまく進むはずです」(本文から抜粋して引用)

子どもたち、そして何より先生自身も、「学びの主体」となることができれば、学校はもっと楽しい場所になる。それは、公立学校でも十分に可能なのです。この連載を読んでいるあなた自身の得意な分野は何か、やってみたいこと、知りたいことは何か——。そのことを授業のエッセンスとしてほんの少しでも取り入れることができれば、あなた自身の「学びたい」も必ず動きはじめます。

 
 

 
 

第10回 「制限」がある中でできること は、2025年1月9日に公開予定です。授業時間が限られていても学習指導要領があっても、授業はもっと柔軟に変えていけるというお話です。具体的な実践も少しご紹介したいと考えています。

※本連載は、太田氏が学校取材を担当した以下書籍より再構成、改変したものです。詳しい事例については書籍をご参照ください。

『学校とは何か 子どもの学びにとって一番大切なこと』(汐見稔幸 編著)
本体価格 1,000円(税別)、出版社 河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631769/