前回は、人生100年学習時代の今こそ主体的に、生涯にわたって学び続けることが人生をよりよいものにするという「学習学」の考え方に基づき、これからの社会に必要な学びのあり方や、それらを実現する上での学校教育の課題についてお話ししました。今回は、教師の役割や子どもたちへの向き合い方について、教師も1人の学習者であるという側面も踏まえてお話しします。
学習者としてのロールモデルとなることが、教師の最大の役割
小学生の時にとても苦労して勉強した人がいるとします。その人にとっては、その経験自体がとても貴重な学びで、大人になってもきっと生きることでしょう。私の提唱する「学習学」では、そうした自分自身の経験から得られた学びをとても重視しています(「学習学」については前回参照)。しかし、ある時点の経験が、その後の人生のどのタイミングで生かせるかは誰にも分かりません。先ほど挙げた例においても、小学生の時の苦労を当時の担任が適切に評価することは難しかったはずです。では、学校教育において、教師はどのような役割を果たすとよいのでしょうか。
まず、教師に限らず、保護者や地域住民などを含むすべての大人に言えることですが、大人自身が学ぶことが最も重要です。人は生涯にわたって学び続ける存在であり、大人は子どもに教えるだけでなく、自分自身の学習履歴を更新し続けないと、変化の激しいこれからの社会に適応することはできないでしょう。
講演や研修の場で、「学び続けると言っても、社会人になってから何を学べばよいのでしょうか」といった質問をよくされるのですが、私はまず、「そうした、答えを教えてもらうというマインドセットを変えてみませんか」と返答しています。その上で、例えば「あなたの趣味は何ですか?」「子どもの頃に得意だったことや、部活動で打ち込んでいたことはありますか?」などと問いかけます。その問いに対していくつか挙がってきた答えのうち、声のトーンが最も高かったものをとことん研究してみることを勧めています。
教師の場合は、例えば、自分の専門教科に子どもたちをどんどん巻き込んでいきましょう。数学が専門であれば、世界を数字で表すことの素晴らしさを生徒に熱く語ってください。学びの楽しさを体現する学習者としてロールモデルになることが、教師の最大の役割です。
学びへの謙虚さを示すことも教師の大切な役割の1つです。もし、探究学習などで生徒が設定した課題が、自分の専門外の領域のものだったら、自分の世界を広げるチャンスでもあると捉えて、教師が子どもたちから学びましょう。私が主宰するオンラインの勉強会では、世代を超えた学び合いの場となっています。小・中学生や高校生が自分の探究学習の成果を発表してくれるのですが、それが私たち大人にとって非常によい刺激となっています。職員室や地域においても、教師と教師、教師と保護者・地域住民がもっと対話し、学び合える場をつくれないでしょうか。
失敗を恐れず、「トライ・アンド・ラーン」で進み、質の高い「未成功」を積み上げよう
学校の授業は、基本的には教科書を基に進めると思いますが、教科書の改訂頻度は約4年に1度です。社会の変化が今ほど早くなかった時代は問題なかったとしても、変化のスピードが速いこれからの時代は、教科書の内容はあっという間に古い情報ばかりとなってしまう可能性があります。過去の出来事を教科書で学ぶことはとても重要ですが、最新の情報は教科書では学べず、しかも学べない範囲がどんどん広くなっているのです。また、様々なハラスメントやコンプライアンスなど、昔は常識として通用していたことが許されなくなっているケースが山ほどあります。何年も前に得た知識や経験だけに頼って生きていくと、過去に足を取られて適切な行動ができなくなります。
変化が激しく、正解が見えにくい社会では、正解かどうか分からなくてもよいからチャレンジしてみて、そこから学んでいく「トライ・アンド・ラーン(Try and Learn)」を重ねることが重要です。チャレンジした結果が成功とは言えなくても、それは失敗ではなく、未成功なのだと考えましょう。質の高い未成功をたくさん積み上げていくことが大切で、正解が見えないから何もしない、変えないという姿勢は避けるべきです。同時に、チャレンジした末の失敗はマイナスなものとせず、再チャレンジできる仕組みや職場の風土、人事や評価の工夫なども考える必要があります。そうした結果、学校教育の場をトライ・アンド・ラーンに満ちた空間にすることができれば、それは素晴らしいことだと思います。
教師と学校の学習力を高めるためのポイント
ちなみに、学習者の姿勢として、五感を研ぎ澄ましておくことは、年齢を問わず、意識するようにしてください。受験勉強で詰め込んだ知識だけでは、世界のダイナミックな動きを説明することはできません。頭だけでなく、身体全体で感じるような、言葉にできない感覚(私はそれを「未言語」と表現しています)を学びの中で大切にしてほしいと思っています。言葉を介して情報を受け取り、考えることは非常に重要ですが、言葉に頼り過ぎてもいけません。事象そのものを自ら見聞きするのが1次情報の取得とすれば、マスコミ等がまとめたネット記事等で情報を得るのは3次、4情報となり、そうした情報ばかりに頼っていると、事実とかけ離れた情報を取得するリスクが高まります。人に生まれながらに備わっている五感を最大限に活用して情報を感じ取り、真実を見極める力は、全身を使って高めていきましょう。
人生に学びの時間を散りばめてほしい
人生100年時代を前に私たちは今、これまでの教育の枠組みにとらわれない学びの必要性に直面しています。100年間を1日24時間に換算すると、25歳は朝の6時、50歳で正午、後期高齢者と言われる75歳でもまだ18時です。18時は、友人と飲食に出かけたり、残業したり、余暇を楽しんだりすることも可能な時間帯です。学びは人生の栄養補給と考えましょう。多くの大人が25歳までに学び納めをしている現状では、朝6時以降、1日を飲まず食わずで過ごすことになります。そうした不健康で非効率な時間を過ごすのではなく、時折、心と身体に栄養を補給しながら、豊かな人生を過ごしましょう。人間としての基礎形成期に、子どもたちにとって最も身近な存在である学校の先生方には、人生のあちこちで学びに時間を費やすように過ごしていただきたいと思います。そのためには、先生方の過度な負担を減らす取り組みも必要でしょう。生涯を通して最新学習歴を更新し続ける生き方、そして学びそのものを楽しむことを大人自身が体現していくことができれば、その背中を見ている子どもたちにきっとよい影響を及ぼすはずです。
(本記事の執筆者:神田 有希子)