杉山知之(すぎやま・ともゆき)

デジタルハリウッド大学学長

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私は、これからの時代に必要な力は「デジタルコミュニケーション力」「教養」「エンターテインメント力」の3つだと考えています。いずれも未来を生きる若者だけでなく、彼ら、彼女らのメンターとなる教師にとっても重要な力です。今回は、それらの力がなぜ重要で、どのように育まれるのかをお話しします。

教師にこそ求められるデジタルコミュニケーション力

私は25歳から70歳を過ぎた現在まで、教師として現場に立ってきました。その経験から、教師の本質は一人ひとりの生徒・学生に寄り添って、彼らの学習プロセスに伴走することだと思っています。これまでは、1人の教師が多くの生徒・学生を見取る必要があったため、多くの教師は個別に向き合う時間を十分に確保することができませんでした。しかし今後は、生成AIの活用によって個別最適化された授業を行うことができるようになります。一人ひとりの理解度に応じて学習コンテンツを提示し、習熟を促す作業は、人間の教師よりもAIの方が得意と言ってよいでしょう。そのため、人間の教師には、メンターとしての役割が一層重視されるようになると思います。生徒・学生の心に寄り添いつつ、成長を促すことは、人間だからこそできる高度な仕事です。

これからの時代に必要な力は何かと問われたら、私は「デジタルコミュニケーション力」「教養」「エンターテインメント力」の3つだと答えます。教師はメンターとして、それらの力の大切さを生徒・学生に伝え、それらの力を育成していくことが求められます。

そもそもなぜ、それらの力が必要なのでしょうか。私は、人間社会のすべての基盤がデジタルになると予見してきました。デジタルという基盤の上では、皆が対話をしたり、表現したり、ビジネスを展開したりする際に様々なコミュニケーションスキルが求められます。それは、かつての「読み、書き、そろばん」に相当する基礎力と言えるでしょう。私は義務教育の中に、そうした基礎力を養成するカリキュラムがあってほしいと願っています。例えば、スマートフォンやSNSの活用、インターネット上での買い物、株式投資の方法などについても学ぶべきです。最近はそれらの一部を授業で扱うようになりましたが、取り組みの質や量については学校間でばらつきが大きい状況です。そうこうしているうちに、子どもたちは学校で得られない情報をインターネットから自主的に収集し、その情報に関連することに教師よりもはるかに詳しくなるでしょう。その中には反社会的なことが含まれる可能性もあります。義務教育を担う教師には、これからは子どもたちに対して適切な情報リテラシーやデジタル活用の基礎を指導することが求められるのではないでしょうか。そのように考えると、「デジタルコミュニケーション力」が必要なのは子どもたちよりむしろ教師の方かもしれません。未来の創り手である子どもたちを育てる以上、教師は一般の社会人以上のデジタルコミュニケーション力を持つべきだと私は考えています。

日本で生活する私たちは、世界的に見ても社会が許容する範囲で個人の自由が広く認められています。自分の意思でできることが多い状況にあるからこそ、どう生きるのかという問いが突きつけられます。その際、教養というインプットがあれば、生きる意味や自分の存在価値を考えることができるのではないかと私は思っています。

22世紀に向けたリベラルアーツとはどのような科目群で、それらを子どもにどのように学ばせるべきかを真剣に考える必要があります。具体的な例を挙げましょう。現在、クリエーターになりたい中高生は多いと思います。ゲームはやっていて楽しいから、自分もゲームを作ってみたい。そこまではよいのですが、やって楽しいことと、作って楽しいことは大きく異なります。作るとなると、広範囲の勉強が必要になります。ゲームの世界観や物語は、これまでの人間の歴史を基に作られていますから、歴史、宗教、文化人類学といった教養が役に立ちます。また、ゲームにはビジュアル面のインパクトも必要ですから、美術的な観点も重要です。本物の芸術に多く触れることは、質の高いゲームを作ることにつながる経験となるはずです。ゲームを作るためにはプログラミングの勉強だけに注力すればよいというわけではないのです。

職業にしたいと思わないまでも、「人生で重要なことは漫画やアニメ、ゲームから学んだ」という人は少なくないでしょう。私たちは、現代のエンターテインメントコンテンツが「教養」の中心になっている現実を認めるべきです。「日本のエンターテインメントコンテンツ=オタク文化」などと捉える時代は終わっています。それは世界の子どもたちにとっても、私たち大人にとっても、メーンカルチャーであり、日本の国力の源泉ともなるソフトパワーなのです。その広がりを教育の世界にも融合し、日本全体のエンターテインメント力を高めるべきだと私は考えています。

世界は「答えが見つかっていない問題」と「答えが無限にある問題」でできている

AIは非常に速いスピードで発達を遂げています。2025年半ばの現在でも、ビジネスパーソンが既存の生成AIサービスを使って生産性を格段に向上させています。それは少子高齢化が進む日本にとって朗報と捉えるべき現象です。例えば、企業の中間管理職1人が、10人の部下がいなくても、その人数の部下がいたのと同程度の成果が出せるようになります。
日常的な問いは、AIに尋ねれば模範解答以上の答えをとりあえず出してくれます。それは教育的な視点から見ると、「記憶力がよい子どもは頭がよい」という物差しを捨てる時が来たということだと思います。とりわけ初等中等教育においては、知識を記憶させる教育よりも、好奇心を育て、失わせない教育をもっと推進すべきです。世界は「答えが見つかっていない問題」と「答えが無限にある問題」でできています。そのことを子どもたちに伝えないといけません。AIとともに知の大海に漕ぎ出すには、教養という航海術と、好奇心という羅針盤が必要です。将来、人間が行う仕事がなくなって、ベーシックインカムだけで暮らすことになっても、好奇心を失わなければ、人生は豊かで美しいものであり続けるはずです。

AIからAGIへ、そしてその先のASIへ

AIの次の進化の姿も見え始めています。それは汎用人工知能(Artificial General Intelligence:AGI)と呼ばれるもので、人間のように幅広い仕事をこなすとともに、AI自身が経験から学び、未知の問題にも柔軟に対応できると言われています。AGIが普及する頃には、子どもたちがAIの友人兼メンターを持つようになることでしょう。つまりそれは、「AIに育てられる」という状況を意味します。AIは自分のことを保護者よりも理解してくれて、教師よりも上手に伴走してくれる存在になるかもしれません。ただし、AIに育てられることが長期的には人格形成にどのような影響を及ぼすのか、その研究は始まったばかりです。

今の子どもたちは2100年を迎えることができる世代です。AGIの次は、人工知能が人工知能を育てる時代です。それは人工超知能(Artificial Superintelligence:ASI)と呼ばれています。ASIが人間の知性をはるかに越えた時、科学技術が爆発的に進化すると予想されています。多くの肉体労働は、人工知能が操るロボットたちが行うことでしょう。そうした変化は、ロボットが仕事を奪うと考えるのではなく、人類が労働から解放されると捉えるべきだと私は思っています。人類90億人が生き延びるためには、根本的な社会システムの変革がおのずと必要になるのではないでしょうか。

AIの進化フェーズと特徴

2025年現在、不特定多数のタスクを処理する生成AIの活用が急速に進んでいます。次のフェーズへの進展については専門家の見解が分かれるところですが、多くは、AGIが2020年代中に登場し、その数年後にASIが現れると予測しています。
※図はVIEW next編集部にて作成。

歴史は常に変化してきましたが、AIの変革はこれまでとは全くスピードが違います。保護者や教師が適応するよりはるかに早く、子どもたちは人工知能ありきの人生に染まってしまいます。皆さんが今すぐ始められることは、スマートフォンを手に取り、無料公開されている生成AIに自分の悩みを打ち明け、親友のように接してみることです。ひと月もすれば、あなたにも近未来が見えてくるでしょう。それをネガティブに感じてもポジティブに感じてもよいのです。重要なことは、未知なものを恐れず、回避せず、自分の感覚で感じてみることなのです。

 

(本記事の執筆者:神田 有希子)