私は8歳から陸上競技を始め、全国大会の舞台に立つようになったのは中学生の時。その後、世界を相手に競技人生を続け、25年間の選手生活を送りました。オリンピアン、世界大会のメダリストとしての私をご存じの方にとっては、常に華やかな表舞台を歩んできたと思われるかもしれません。しかし、実際は違います。入賞や決勝進出を逃したことは何度もありましたし、成績が好調の時は様々なサポートや優遇を受けられましたが、一度不調に陥ると、環境はがらりと変わりました。スポーツ界の厳しい現状や人間関係の難しさも痛いほど感じてきました。
それでもスポーツは面白く、自由で、それまでの自分の常識から解き放たれ、限界を超えることもできる。そう思っています。私がスポーツを通して学んだことは数えきれないほどありますが、今回はその中でも、自分の生き方や考え方の根っこに強くつながっているものを、いくつかお話ししたいと思います。

スポーツを通して学んだ3つのこと

1つめは、「学び方そのもの」です。私は選手生活を通して、特定の指導者を置かなかったため、不調の時は、その原因と対処方法を自分で見極め、立て直さないといけませんでした。トレーニングのやり方がよくないのか、精神状態が不安定なのか、食事の内容に改善が必要なのかなどと、今の自分がどのような状況なのかを考え、何とかして解決策を探そうともがきました。そうした試行錯誤の経験から、「なぜだろう?」と思ったことは、ジャンルを問わず、自分なりに調べたり、人に話を聞いたりしながら仮説を立て、その仮説を検証してみるといったアクションを取る習慣がつきました。
2つめは、「自分の考え方や感じ方の癖を知ること」です。個人種目が中心の陸上競技は、成績を伸ばすための方法を考えて実行した結果が、タイムや順位という明確な数字となって表れます。自分のやってきたことを振り返る際に、「どうしてあんなに練習したのにうまくならなかったのか」だけではなく、「どうして数ある練習方法の中で、あの練習が最適だと思うようになったのか」などと、自分の考え方の癖を知ろうとしないと、強くなれません。何かをしようとしている自分を、もう1人の自分が少し高いところから眺めてチェックしている感覚です。
3つめは、「なるようにしかならないという考え」です。先の2つのことを実行して、自分なりに一生懸命努力しても、うまくいかなかったことはたくさんありました。そんな時は、いくらじたばたしても仕方がありません。今の状態に一喜一憂せず、執着せず、「なるようになるものだ」と思うようにすることは、自分の精神状態を落ち着かせ、結果を引きずらずに前に進むために必要な考え方だと思うようになりました。
3つのことに共通するのは、それらを学んだのは好調の時ではなく、不調の時が多かったということです。人は逆境にある時ほど、それを解決しようとしたり、乗り越えようとしたりして、自分も知らなかった能力を発揮します。私の場合は、何か特定の時点での不調で学んだというよりも、10代の頃から何度も訪れた好不調の波をくぐりながら、徐々に学んでいきました。

全日本中学校選手権100m決勝。中学校時代は順調に記録が伸び、いくつもの種目で中学生新記録を打ち立てた。選手生活を通して、特定の指導者を置かなかった為末氏だが、中学校の顧問の先生が、選手自身で目標や計画を立てることを重視していた指導スタイルであったため、どうやったら強くなれるのか、いつも自分で考え、実行する癖が自然に身についたと言う。

求めることなく、ただ話を聴いてくれた母。
自分が親になり、その勇気と気遣いに気づいた

これまでの数々の記録は、自分の力だけでなく、家族や周囲の理解と協力があったからこそ実現できたものです。中でも親の存在は、非常に大きかったと思っています。私自身が親になり、子どもの頃の親の言動の意味や、そのすごさが分かるようになりました。例えば、高校生の頃に母から言われた、「陸上なんて、いつやめたっていい」という一言。記録がなかなか伸びず、このままでよいのかと悩み、苦しんでいた時期にかけられた言葉です。「もう少し頑張ってみたら?」とか、「きっとまた調子が出るから」といった励ましの言葉ではなく、やめたければやめればいいと言われたわけですが、そう言われて改めて、「自分は何で陸上をやっているのだろう」と自問自答していった結果、「自分がやりたいからやっているんだ」と気づくことができました。それをきっかけに、陸上に対する姿勢や今後の方向性を再検討したところ、成果が徐々に出るようになりました。
また、母はいつも、私が「〇〇しようと思うんだ」と話すと、賛成するわけでも、反対するわけでもなく、「なるほど」「そうなんだね」などと、ただひたすら私の声に耳を傾けてくれました。私としては、判断に迷う部分もあり、母に相談するつもりで話しかけるのですが、母からは、答えやアドバイスは返ってこないため、結局、自分で結論を出さなくてはいけませんでした。母は、息子の人生の判断に自分が介入するのはおこがましいと感じていた節がありますし、家庭の中でも上下関係はつくらず、同じ人間として対等に私に接してくれていました。そして、私が競技で全国や世界レベルで好成績を上げても、母は浮かれることも、派手に喜ぶこともなく、普段と変わらない様子でいつも私を迎えてくれました。もちろん、私や私の競技に無関心というわけではなく、食事面でサポートをしてくれたり、試合に足を運んでくれたりしていました。親はつい子どもに期待を寄せてしまうものだと思いますが、私の母は私に何も求めず、強制しなかったことで、私を成長させてくれました。
子どもにかかわればかかわるほど、子どもをコントロールすることができるのかもしれませんが、それでは主体性はなかなか育ちません。反対に、子どもを完全に放任すると、広がる世界や可能性に限りがないため、芳しくないとされている方向に向かっていってしまう恐れもあります。実際、私が母に陸上を「やめたっていい」と言われた時も、もしかしたら私は本当にやめていたかもしれません。子どもに任せたらどちらに転ぶか分からないが、「それでもよい」と腹をくくる勇気のようなものを、どこまで親自身が持てるかという話だと思います。ただ、どの部分を子どもに任せ、どの部分は親の関与を強めるのかは、各家庭の方針や子どもの様子によって異なってしかるべきです。また、状況によってチューニングしていけばよいことだとも思います。

幼少時の為末氏。スイミングは4歳、ハードルは小学3、4年生の頃のもの。後者は、恐らく初めてハードルを飛んだ時の写真とのこと。幼少時から様々なスポーツに親しみ、身体能力は非常に高かったが、球技はあまり得意ではなかったと言う。

自分の判断と結果に納得し、責任を持ってほしいから、
子どもにはすぐにアドバイスはしない

近年、子どもの立ち居振る舞いに限らず、社会全体が他人の行動や言動を指摘し、過剰に抑制的であろうとしている気がします。本当に大切なことではないことまで注意しないといけない風潮は、私は好ましいとは思いません。私の小学生の息子に対しても、注意することは最小限にとどめているつもりです。もちろん、親として、常に息子の様子は気にかけていますし、彼の言うことには、心から耳を傾けるようにしています。まずはすべてを受け止めるつもりで話を聞き、意見やアドバイスを言いたくなっても、すぐには言わないように心がけています。息子に自分で判断することを促し、その結果がどうであっても受け止め、自分で責任を取れるようになってほしいと思っています。
もし、息子がかつての自分と同じように、何かを「やめたい」と相談してきた時は、心の手詰まり感や、スポーツの向き不向きなど、子どもの状況にもよりますが、単なる逃げや諦めだと感じたならば、「今回はやめたとして、これから先もそんなふうに生きていくの?」と問いかけると思います。あるいは、「何かから逃げる」のではなく、「よりよい選択をさせる」ために、予め複数のクラブや団体などに所属させ、本人に選択肢がある環境をつくるかもしれません。年齢によっては、自分で判断基準を持つことが難しい場合もあるため、比較する対象を親が示してあげることも大切だからです。
いずれにせよ、子どもからの相談や疑問には、親はまず傾聴し、子ども自身がもやもやとしながらも、自分であれこれ考えることが大切ではないでしょうか。そのうちに、子どもなりに考えたことを言葉で表現するはずです。そのような自分の内面に向き合う力は、将来を自分らしく生きるための原動力になると思っています。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

 

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