私は国際情勢を取材する新聞記者です。そのキャリアを生かして執筆した地政学の入門書を、中高生を始め、多くの方に読んでもらえていることを大変ありがたく思っています。地政学と聞いても、ぼんやりとしたイメージしか湧かない方もいるでしょう。そこでまずは、地政学の概要と意義について、堅苦しくならない形でお話しします。そして、皆さんや皆さんの目の前にいる子どもたちに、地政学を学ぶことによって身につく「相手の立場に立って考える力」や、その大切さについてお伝えできればと思います。

地政学を学ぶことは、人を思いやることにつながる

私は大学卒業後、すぐに新聞社に入社しました。新聞記者として今年で27年目になります。政治部や経済部、国際部、社会部などに所属し、モスクワには海外特派員として4年半駐在しました。現在はウィーンを拠点に、主にウクライナ戦争を取材しています。先日はブラジルのリオデジャネイロに飛び、ウクライナ戦争についても議論されたG20首脳会議(サミット)を取材しました。

地政学とは、地理的な条件を軸に、国と国との関係性や安全保障、経済などを考える学問のことです。例えば、日本から8,000km以上も離れているウクライナの情勢によって、世界のエネルギーの需給バランスが崩れ、日本の家庭においても光熱費は上がり続けています。そうした因果関係を分析・考察するのが地政学です。あるいは、もっと根本的な地理の視点から、欧州は地続きのために近隣国からの影響を受けやすい、日本がこれまで国全体が侵略されなかったのは島国だからといったように、歴史上の様々な事象を考えるのも地政学です。

国家間の対立の様子を見ると、地政学とは、単なる学術的な領域の1つというよりも、相手の立場を考える学問であると強く感じます。私は地政学のアプローチ、つまり地理的な条件を軸に、国と国との関係性等について考えることを通して、相手の立場に立ってものを考える行為がいかに大事であるか、それを皆さんに伝えたいのです。

国は一人ひとりの集合体ですから、人と国は同じような行動形式を採ります。世界の国々を受容的に捉え、相互の関係を考えることは、自分自身の立場を客観的に見ることや、身近な相手の立場に立ってものを考えることと同じことです。本来、地球上のどこにいても人間は皆同じで、それぞれの置かれた環境によって考え方や行動形式が変わっているだけに過ぎません。しかし、そうした基本的なことが認識できないために、人間は優劣をつけてしまったり、争いを起こしてしまったりします。ですから、地球儀を見ながら世界の地理的な条件の多様さに思いをはせるだけでも、人間の基本を見つめ直すとてもよい機会になります。一人ひとりが様々な国や相手のことを学ぶことで得た見方・考え方は、国が争いを避けることにも必ずつながります。

偏見を持たない訓練を子どものうちから積む

本記事の取材はウィーンで受けています。その数日前は日本の裏側、リオデジャネイロにいました。そして明日はローマに行きます。普段は自分が取材する側であり、世界中を飛び回っています。その経験から強く感じているのは、地球上で起きている事象はすべて自分にもつながっているため、「自分にとって完全に他人事」であってよいことは1つもないということです。そのことについて未来を生きる子どもたちに伝えたくて、そして地政学の視点を持って他者、世界と接してほしいという願いを込めて、「13歳からの地政学」を書きました。

「13歳からの地政学」(東洋経済新報社) 3児の父親でもある著者が、子どもと会話をした実際の内容も盛り込みながら、世界の仕組みを地政学の視点から対話形式で解説している。高校生・中学生の兄妹と年齢不詳の男「カイゾク」との会話を通じて、地政学を楽しく、そして分かりやすく学べる。

「他人事であってよいことは1つもない」ということが分からなくなってしまう最大の原因は、無知や偏見です。特に偏見については、昔から存在するヘイトスピーチ*がその代表例と言えるでしょう。現在は、SNSなどの普及によって容易に攻撃的な言説が拡散されるようになりました。いったん偏見を持ち、それが拡散されてしまうと、後で間違いに気づいても取り返しがつかず、不特定多数の人々によって再拡散される負のスパイラルが生じます。ですから、一人ひとりがいかに偏見を持たずに物事を捉えられるようにするかが、極めて重要です。その訓練は、子どものうちからやっておく方がよいと私は強く思っています。地理的な条件を軸に、立場や文脈によって国や人の行動は変わること、その中でよりよい世界を築こうとすることの大切さ、そして誰かが絶対的に正しいとは考えずに、謙虚で柔軟に、偏見を持たずに学ぶこと。それらの必要性を、世の中の動きを素材として子どもたちには自然に感じ取ってほしいと思っています。それは、地政学を学ぶメリットの1つでもあります。拙著がそのきっかけの1つになれば幸いです。

*ヘイトスピーチ:特定の個人や集団を標的に、その人種や宗教、ジェンダーなどの属性に基づいて攻撃的言説を述べること

大人になっても読み返せるような本に出合ってほしい

私が中高生の時に読んで印象に残っている本は、「ソクラテスの弁明」というプラトンの著書です。初めて読んだのが13歳の時で、対話形式で表現される哲学に強い衝撃を受けました。最近改めて読み返してみると、プラトンはあらゆる西洋哲学の源流であると言われるくらい現代的であるとともに、師であるソクラテスが多数決で死刑にされたことから、民主主義に対して批判的な面を持ち合わせていることに気がつきました。プラトンの哲学は、現在の中東情勢にも強い影響を及ぼしています。

そのように、哲学に限らず、古くても今日的な本を読むことをお勧めします。1回読んで印象深かったら、人生の中でその本を何回も読み返してみると、読後感は都度異なるでしょうし、作者の思いにより迫れるようになったり、理解が深まったりします。私も「ソクラテスの弁明」は折に触れては読み、その度に新たな気づきを得ています。そうした読み方ができる1冊に、若いうちに出合えるとよいと思います。

地政学を学ぶことは、
偏見を持ちにくくするワクチンを打つようなもの

グローバル化が進むほど、地球の裏側で起きた出来事も、対岸の火事では済まされなくなります。特にここ数年、ウクライナ戦争や米中の緊張関係などから、「地政学的リスク」といった言葉を耳にする機会が増えました。そうした中、相手の立場に立って物事を考えること、つまり、地政学的な視点を持つことが、偏見を持ちにくくするワクチンのような効果をもたらします。国際政治そのものに興味を持たなくても、世界中で起きているいろいろなことは、巡り巡って自分の日常にもかかわってくるという感覚を持つ子どもが1人でも増えてほしいと願っています。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

田中孝幸(たなか・たかゆき)

国際政治記者。

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