幅広い領域で精力的に取材や執筆活動をされている、編集者・ライターの太田美由紀さんによる連載コラム「子どもと教員がいきいきと動きはじめる学校」です。
第2回は、子どもの声や様子に「応える」。今回は、子どもたちの思いや考え、アイデアや意欲を大切にはぐくんでいくために、先生(大人)は何ができるかを考えます。
※筆者プロフィールは末尾リンクから

必要に応じて「子ども」を「先生」に置き換えて

本連載の第1回「できる・できない」からの解放 では、「できない」「わからない」という体験からこそ「問い」が生まれ、どうすれば「できる」のかという試行錯誤や主体的な学びがはじまるとお伝えしました。

そして、子どもたちがのびのびと自分の意見を表明できるようになるまでの経緯や、週に1時間、自分でテーマを設定する自由な「探究」の時間によって、子どもたち、先生たちが変わる様子を紹介しました。その大前提として重要なのは心理的に安心で安全な環境でした。

第2回となる今回は、子どもたちの思いや考え、アイデアや意欲を大切にはぐくんでいくために、先生(大人)は何ができるかを考えます。これは、連載の後半でお伝えする予定の、自分とは異なる価値観や考えを持つ相手と対話のための重要な布石となります。ジリジリと焦らしつつの連載ですが、すべての回は複雑に絡み合っています。行きつ戻りつしながら読み進め、皆さんもぜひ「問いと答えの間」(大田尭/※第1回参照)を楽しんでください。

すでにお気づきかもしれませんが、この連載のテーマはどれも、子どもたちに限った話ではありません。職員会議、校内授業研究会や校内研修の場面など、先生の置かれた状況にも深くリンクするテーマです。必要に応じて、「子ども」を「先生」や「親としての私」などに置き換えて読みながら、さまざまに応用していただければと思います。

子どもたちの自由な「つぶやき」を拾い、応答的対応を

さいたま市内の公立小学校、5年生の算数。指導案をしっかりと準備していたある先生の授業の様子をのぞいてみましょう。単元は、「角柱と円柱」です。この時間は、正三角形と正方形のポリドロンという教具を使いながら正三角柱の展開図を考えました。

正三角柱の面を一つ減らした場合の展開図を考えるという問題を出し、「ポリドロンで展開図を作り、写真に撮ってタブレットで共有してください」と声をかけると、子どもたちは教室内で自由に試行錯誤をはじめます。この先生の授業では、ほかの人の学習の妨げにならなければ、話し合うことも立ち歩くことも自由です。近くの席の数人で一緒に考える、離れた席の友達のところに移動して二人で案を検討する姿も見られました。
 

黒板にポリドロンを貼って展開図を考える子も見られた
(さいたま市立桜木小学校 黒須直之先生/撮影:株式会社デザインオフィス・キャン 加藤武)

 
先生は、「間違っても大丈夫。試してみるのはとてもいいことです」と念を押します。普段から、自由に自分の意見を表明できる安心・安全な環境が整っている学級のように見受けられます。

一般的に指導案が準備されている授業では、想定を逸脱した考え方や脇道にそれる発言は拾わずに、時間内に設定したゴールまで展開させることが目的になってしまいがちです。子どもの自由な発想や興味を優先すると時間内に指導案どおりに展開することが難しくなることも多いのですが、この先生は、想定外の子どもの行動やひらめき、発言を楽しみ、できるだけ拾い上げ、寄り添いながら授業を進めていきます。

「面を一つ減らす」という条件を忘れ、すべての面を使って展開図を作っていた3人のグループがありました。子どもたちは「たくさんできたよ!」とうれしそうに声を上げましたが、「ちょっと待って。面を一つ減らすのを忘れているよ」などと言いたくなる場面です。しかし、そこでの先生の声掛けは次のようなものでした。

「たくさん展開図ができてすごく面白いね。友達はどうやっているのかも見てみようね」
子どもたちはうれしそうに顔を上げ、ほかの友達がどのように取り組んでいるのかを見ようと動き出します。

この授業では、「正三角柱の展開図について考え、具体物を用いて構成することができる」という目標が設定されていましたが、ポリドロンを使わず、ひとりで黙々とノートに展開図を描いている子や、タブレットの画面上で展開図を作っている子もいました。「今の時間は、ポリドロンを使ってください」と声をかけたくなりますが、ノートで考えている子もタブレットで考えている子も、とても集中しているように見えます。

教室の中をゆっくりと歩きながらみんなの様子を見ていた先生は、その子たちにポリドロンを使うことを強要することはなく、そばに行って、「お、タブレットで展開図を作っているんですね。すごいね」と声をかけました。タブレットを使っていた子は、さらにやる気が出たようで、にっこりと笑い、その後も同じやり方で黙々と考え続けていました。

先生から提示されたアプローチで取り組む子が多数ではありますが、自分なりにやりやすい方法や試してみたい方法を見つけることができる子は、それを使って考えることが当然のように認められていました。先生はその様子をしっかり観察し、その子自身がある程度満足したところで、次の展開を提案していきます。選ぶのは子ども自身です。

時には、事前の準備とは違う展開で授業が進んでしまうこともあります。「対称な図形」という単元では、折り紙で線対称な図形を作って考える活動だったのですが、ある子が線対称なアルファべットをひとつ書いたことから、「線対称なアルファべット探し」で盛り上がり、最終的にはオリジナルの表の作成やそれを教材とした授業にもつながったと言います。

「教員に与えられた教材よりも、自分たちで発見した教材のほうが、子どもは意欲的に取り組みます。子どもたちの直感的な発見やつぶやきは、授業が楽しくなる大切なきっかけなのです」

 

「子どもたちの思考のプロセスへの確かな信頼とリスペクト」があるか

ここまで読み進めて、モヤモヤしている方もいらっしゃるかもしれません。
「それは落ち着いて学びに向かうことができる学級だからできること」
「教員が子どもたちから信頼されていてうらやましい」
もし、そんな思いがあなたの中にあるとしたら、そのような関係性をつくるためにぜひやってみてほしいことがあります。

前出の学級では、子どもたちが自分なりに取り組む姿がまずあって、そのつぶやきやその姿に先生が応答しています。先生の想定どおりに子どもたちが動かなかったとしても、このような姿勢を取れるのは、そこに、「子どもたちの思考のプロセスへの確かな信頼とリスペクト」があるからです。「教員が子どもたちを信頼しているからこそ、子どもたちから信頼されている」のです。

子どもたちは、自分なりのやり方や考え方を応援されたり、一旦受け入れたりしてもらえると、先生からの提案を自らの力で選び取ったり、自信を持って新たな局面に踏み出したりできるようになっていきます。先生の言動に嘘がなければ、確実にそうなっていきます。

今回紹介した先生の毎時間の狙いは、「その授業を指導案どおりに進めること」ではなく、「子どもたちが探究心を持って自分で学びを広げることができるようになる」という、より上位な目標にあります。

自身が作成した指導案の想定を超えてくる子どもたちが、自らの力で授業を楽しむことを応援できれば、授業が終わった後でも「じゃあ別の形はどうかな」と探究心を持って自分で学びを広げることができる。与えられた問題を解くだけでなく、主体的な学習者になれる力を培うことができるという確信がこの先生にはありました。

教えることが苦手な教科や、単元を進める日程に余裕がない時にチャレンジする必要はありません。まずは、多くのコマ数をかけて取り組む得意な教科や単元の中で、1コマだけ、もしくは半分だけ、10分だけでも、子どもたちの声に耳を傾け、子どもたちの様子をしっかりと観察して、そこにポジティブに応答しながら子どもたちについていくという試みをしてほしいのです。

「子どもと教員がいきいきと動きはじめる学校」というタイトルのこの連載が目に留まり、記事を読んでくださった皆さんなら、きっとすぐにでもできるはずです。授業中が難しいようなら、5分でも10分でも、休み時間の何気ない「つぶやき」に応えたり、その子が興味を持って取り組んでいることを観察したりすることからはじめてみましょう。

「へえ、おもしろいね」「どうしてそう思ったの?」「じゃあどうしたらいいと思う?」などと声をかけ、子どもたちと一緒に考えてみてほしいのです。そこに必要なのは子どもたちへのリスペクト。心からのリスペクトを維持できる関係性を少しずつ広げていくだけで、あなたからの子どもの見え方が変わり、確かな信頼関係が生まれ、子どもたちはいきいきと動きはじめます。
 

 
第3回 「自分で選ぶ」をはぐくむかかわりは、9月12日に公開予定です。
自分で選んだり考えたりすることが難しい子どもたちが、動き出すための環境について考えます。

 

※本連載は、太田氏が学校取材を担当した以下書籍より再構成したものです。詳しい事例については書籍をご参照ください。

『学校とは何か 子どもの学びにとって一番大切なこと』(汐見稔幸 編著)
本体価格 1,000円(税別)、出版社 河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631769/