横浜市教育委員会は、横浜市立大学と共同研究契約を締結し、子どものこころの状態を収集、可視化し、個別の支援につなげる「横浜モデル」の構築を進めている。児童生徒から集めたデータを安心な学びの環境づくりに生かすにはどうすればよいのか、横浜市教育委員会の教育長らによる鼎談が実施された。
※本記事は、2024年11月21日に開催された「第2回横浜教育データサイエンス・ラボ」における発表内容を編集したものです。

こころの状態を可視化し、26万人のデータの収集・蓄積を開始

横浜市教育委員会は、未来の教育の実現に向けた「横浜教育DX」を策定し、教育の質向上を図るため、教育ビッグデータの分析・利活用を推進している。教員、大学、企業が連携して研究・共創に取り組む「横浜教育データサイエンス・ラボ」も設置した。

同ラボの研究テーマの1つは、子どものこころのケアをするためのデータの利活用だ。横浜市教育委員会は、株式会社内田洋行と協力し、「横浜Stu☆dy Navi」(以下、横浜スタディナビ)を開発。モデル校での試行検証を経て、2024年6月、市立小・中・義務教育・特別支援学校496校で本格運用を開始した。

「横浜スタディナビ」は、学校生活や学習に関するデータを児童生徒、教職員、教育委員会が共有・活用するための学習支援システムである(図1)。市内約26万人の児童生徒の心身の健康、学力・学習状況、体力・運動能力などのデータを収集・連携・蓄積してデータベース化し、それらを分析することで児童生徒へのきめ細かいサポートや学校運営の改善に生かすことを想定して開発した。

図1 「横浜スタディナビ」の概要

「横浜スタディナビ」の特徴的な機能の1つは、児童生徒が毎朝、こころの状態を自分で記録する「毎朝の健康観察」だ。「よい」「すこしよい」「ふつう」「すこしわるい」「わるい」の5段階で評価する。多くの学校は朝の会などに児童生徒が入力する時間を設け、毎日データを残している。2024年9〜10月に全市立小・中・義務教育学校及び一部の特別支援学校から収集したデータを見ると、こころの状態が「よい」「すこしよい」「ふつう」と回答した児童生徒は63.4%で、「すこしわるい」「わるい」と回答した児童生徒は7.3%だった。

「毎朝の健康観察」で児童生徒のこころの状態に関するデータが蓄積されているが、どのような状態の児童生徒に対して、いつ、どういった支援を行えばよいのかという活用までには至っていなかった。そこで、児童生徒のこころの状態をより的確に把握する機能を追加し、具体的な支援につなげる取り組みをスタートさせた(詳しくは後述)。

子どもの不調のシグナルをデータで受け取る

「集めたデータをどのように具体的な支援につなげていけばよいのか」。この課題をテーマに横浜市立大学研究・産学連携推進センターの宮﨑智之教授、横浜市教育委員会の下田康晴教育長、ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンターの小村俊平センター長による鼎談が行われた。

鼎談に先立ち、宮﨑教授が、「横浜スタディナビ」に追加した、児童生徒のこころの状態をより精緻に捉えるための新機能「こころの温度計」について説明した(図2)。従来の5段階評価を改善し、指で0から100までの値にスライドさせてこころの状態を示す温度計としたのが特徴だ。

図2 「こころの温度計」

宮﨑教授は、それは医療業界で一般的に用いられている手法であり、例えば、患者に手術後の痛みを数字で答えてもらうよりも、指でスライドして痛みの度合いを示してもらう方が正確に痛みを評価できるとされていると説明。「この機能の追加により、子どものこころの状態をより正確に可視化できます」と述べた。新機能は、2024年11月中旬から、市立小・中学校各1校のモデル校で運用し、データに基づいた個別ケアを本格化させていく。

横浜市立大学研究・産学連携推進センター 宮﨑智之教授

加えて、今後、こころの状態をより的確に把握するため、「こころの定期健診」を月1回実施し、幸福度や抑うつの状態をチェックし、必要に応じて医療的なケアにつなげる考えも示した。

それを受けて小村氏は、東京大学社会科学研究所とベネッセ教育総合研究所が実施した「子どもの生活と学びに関する親子調査」のデータ(図3)を示しながら、近年、「学校に行きたくないことがある」「勉強しようという気持ちがわかない」と回答した児童生徒が増加していると説明した。そして、「『自分は今、幸せだ』『自分は将来、幸せになれる』と感じる児童生徒が減少しています。こころの不調を抱える子どもが全国的に増えており、幸福度も低い傾向が見られます」と話した。

図3 こころの不調を抱える児童生徒が増えていることを示す各種データ(出典:東京大学社会科学研究所・ベネッセ教育総合研究所「子どもの生活と学びに関する親子調査」)

不登校の子どもも共助を学べるように  

鼎談ではまず、「こころの不調、何が問題?」をテーマに語り合った。宮﨑教授は、「小村さんのお話から、不登校の児童生徒が増加傾向にあることが分かりました。こころが元気でなければ、学校に通えず、勉強をする気も出ませんし、友達と遊ぶことも難しいと思われますが、それによって具体的にどのような点が課題になるでしょうか」と問いかけた。

小村氏は、「学校は、学習するだけでなく、共助を学ぶ場でもあります。『困っていたら助けてくれる友達がいる』『困っている友達がいたら助けよう』といった思いを育むことが、学校生活で非常に重要だと考えています」と述べた。

すると下田教育長は、横浜市では、不登校の児童生徒の支援策の1つとして、オンライン授業を受けられる教室を、市立中学校に設置したと説明。「横浜市には現在9,775人(*1)の不登校児童生徒がいますが、教室には入れないけれども、学校には来ることができる児童生徒もいます。そうした児童生徒が登校を続け、友達と交流できるような環境を整備しました」と述べた。

*1 令和5年度『神奈川県児童・生徒の問題行動・不登校等調査』結果より。横浜市立の小中学校に在籍する児童・生徒が対象。

横浜市教育委員会 下田康晴教育長

持続的に学ぼうとする力を育むことが重要

次に、「勉強に向かえない子ども、その原因は何なのか」を議論した。宮﨑教授は、「前向きに学ぶためには内発的動機付けが重要であり、勉強をやらされていると感じると、学びへの興味が失われるのではないでしょうか」と述べ、2人に意見を求めた。

小村氏は、「保護者世代では、入試や就職において競争に勝ち抜けば成功できると信じられていました。ところが現在は、公立高校の入試倍率は下がり、難関層を除けば競争は勉強に向かう動機付けになりにくくなっています」と指摘。加えて、「『夢ハラ』という言葉もありますが、保護者や教員の『好きなことを見つけてほしい』『夢を持ってほしい』という願いは、子どもにとって重荷になっている可能性があります」と話した。

さらに、「国際数学・理科教育動向調査」(2019年)のデータを紹介し、「数学や理科を勉強すると日常生活に役立つ」「数学や理科を使う職業につきたいか」の肯定率が、日本の中学生は国際平均を下回っている点に言及。「この点が日本の課題であると同時に、伸びしろでもあります。学ぶことが役に立つという思いを育むことが、これからの学校教育に必要ではないでしょうか」と述べた。

ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンター 小村俊平センター長

それに対して、下田教育長は、「勉強に向かえない子どもが増えている理由は、先行きが不透明な社会において、知識を身につければ困難を乗り越えられるという安心感が保護者や子どもになくなってきているからだと捉えています。学校は、子どもが多くの仲間とのつながりの中で、持続的に学ぶ力を身につけられるよう教育を設計することが、最も重要だと思います」と話した。

海外の同世代との交流が、子どもの世界観を変える

話題は、「日本の子どもだけが不調を抱えているのか?」に移った。小村氏は、日本財団が実施した「18歳意識調査」のデータを基に、日本の子どもが諸外国と比べて自己肯定感が低い傾向にあることを指摘。その課題解決の糸口として、「世界に住む同世代と交流する機会があれば、大きな刺激を受け、視野が広まり、子どもの世界観は大きく変わるのではないでしょうか」と提言した。

下田教育長は、横浜市では海外の学校とオンライン交流を行っている学校がある、と説明。「成績にかかわらず、海外の人から『すごいね』と褒められれば、自信が得られると思います。海外の子どもとの交流を通じて、自分が何者かに気づき、さらに興味・関心を広げて、学ぶ力を高めていくことがとても大切だと考えています」と述べた。

「リアル」「オンライン」「バーチャル」三層の空間による支援体制を

鼎談の最後に、宮﨑教授と下田教育長は、「横浜スタディナビ」を活用して構築中の「横浜モデル」について説明した(図4)。同モデルは、「横浜スタディナビ」で蓄積した児童生徒のこころの状態のデータを医療や心理の専門家が分析し、地域療育センターや児童相談所などの関連機関とも連携して、個別最適な支援を検討・提案する仕組みを目指している。AIチャット相談や、メタバース空間内でアバターを活用したバーチャル相談も実施予定だ。

下田教育長は、「『横浜スタディナビ』を通じて、リアル・オンライン・バーチャルと三層の空間による支援体制を構築し、子どもがどこにいたとしても見守り支援ができる仕組みを横浜から発信していきたいと考えています」と展望を語った。

グローバルモデル校では、既にモンゴルなどの学校とメタバースを活用した国際交流が始まっている。今後は、不登校の児童生徒がメタバース内で気軽に相談ができる仕組みを構築すると説明した。

図4 「横浜モデル」

小村氏は、「働き方改革が進む中、現場の先生方の負荷を軽減し、専門家を含めた支援体制を整えることで、必要な子どもに、必要な支援が届くようになることを願っています」と、「横浜モデル」への期待を述べた。

子どもが通うのが楽しみになる学校をつくりたい

鼎談の後は、教育委員会や大学、企業の関係者、教員の計85名の参加者によるグループディスカッションが行われた。「横浜スタディナビ」の活用状況について、現場教員が説明したほか、「横浜モデル」を運用する際の課題について活発な意見交換が行われた。

最後に、横浜市教育委員会事務局学校教育企画部の山本朝彦部長が、「私たちが目指しているのは、『月曜日に通うのが楽しみになる学校』であり、本日ご紹介した『横浜モデル』の開発はその第一歩です。子どもが授業で安心して手を挙げ、たとえ間違えていたとしても挑戦する気持ちを先生や友達に認めてもらえる。そうした経験を積み重ねて、将来への希望と自信を両手いっぱいに抱えて社会に飛び出せるような、そんな居心地のよい学校を目指していきます」と述べ、会を締めくくった。

ベネッセ教育総合研究所

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