「生徒の気づきと学びを最大化するプロジェクト」第105回 
「古文を学ぶー新教育課程での学びのあり方を考えるー」開催

ベネッセ教育総合研究所では、中学校・高校の有志の教員らが教育について自由に語り合う「生徒の気づきと学びを最大化するプロジェクト」を、2020年4月から週1回のペースで実施している。2022年7月の第105回では、これからの古文の指導をテーマとした対話会を行った。全国から参加した教員や教育関係者らが、古文指導を起点として、グループごとに対話を深めた。

話題提供は、二田貴広先生(奈良県・奈良女子大学附属中等教育学校教諭)

古典を学び、現代を相対化する

話題提供者の二田先生は、まず戦後の国語科の標準単位数や科目編成の変遷を示し、近年では古文を学習せずに高校を卒業することが制度上可能であると指摘。「時代を追うごとに、現代文の評論と小説、古文、漢文と科目が細分化され、指導が効率化されてきた経緯があります」と状況を説明した。

続いて、国語の教科特性について、「人間の『懊悩、親愛、憎悪、絶望、諦念、限界、煩悩、性愛など』を公の教育の場で取り上げ、読解し吟味して議論できるのは国語だけです」といった考えを語った。さらに、古文を学ぶ意味として、「私たちとは異なる観点や価値観、立場を知り、現代社会や現代人を相対化するものとして機能するのではないでしょうか」という視点を示した。

なぜ古文嫌いは多い?

そうした古文学習の重要性がある一方で、古文の学習を嫌う生徒が多いという。2013年度の文部科学省「全国学力・学習状況調査」の質問紙調査では、実に中学生の7割以上が「古文は好きではない」と回答。高校生を対象とした他の調査でも、5割近くが「古文を嫌い」という状況を、二田先生は説明した。

その原因について、「古文の授業といえば、原文の音読や品詞分解、逐語的な現代語訳を行うといったイメージがあり、それが生徒を古文嫌いにしているのではないしょうか」と指摘。そうした古文の指導に対する批判は、戦後すぐの時期からあったにもかかわらず、これまで大きな改善が見られなかった状況にも言及した。

二田先生は今後の古文学習を考える上で、「客観主義的パラダイム」「構成主義的パラダイム」という2つの学習環境デザインの観点を提示。大阪経済法科大学の久保田賢一客員教授の著書『構成主義パラダイムの学習理論』(関西大学出版部)などから次のように引用し、学習環境は従来の客観主義的パラダイムから構成主義的パラダイムへの転換が求められているという考えを語った。

◎客観主義的パラダイム
知識を状況から切り離し、それを分解し、易しい部分から難しい部分へと再構成し、学び手が知識として取り入れやすい形に細切れに分け、教師による一斉授業の形式で進めていく。教室は教授を行うに当たって、効率的であり、効果の上がる場所であるとみなされる。

◎構成主義的パラダイム
主体的に周囲と関係性をつくり上げていくための要件を、学び手がデザインしていくことが、自律的な学びを生み出していく。つまり、学習環境デザインとは、学び手が問題を見つけ、その解決の手立てとして周りの人やものをリソースとしてアクセスをするために構造化することである。

VR動画で構成主義的に古典を学ぶ

二田先生は構成主義的パラダイムの実践例として、2021年度から勤務校で取り組んでいる「古典文学作品のVR動画化プロジェクト」を紹介した。同プロジェクトでは、奈良や京都にある古典作品の舞台を訪れて、360度の動画を撮影。その動画を他校と共有して交流する活動を続けている。

この活動の中で、「現代の情景によって古典作品のイメージを構築することに問題があるのではないか」といった指摘が生徒から多く上がった。

「現在の映像を見ることは、当時の状況や情景を想像できる余地が残されているという面ではよいと思うが、答え合わせを用意されている気分になる」

「古典文学の作品には、自分で豊かに文字から想像力を働かせて、当時の作者の感情や風景に思いを馳せ、個々が違った感性で受け取るからこそのよさがあるのかもしれません。動画を見ることで、個人の抱いていた印象を180度変えてしまう可能性があり、それはあまりよくないかもしれません」

これらの声を踏まえて実施したアンケートでは、生徒が国語便覧の情報を信頼し、疑問を持たずに正しいとしてしまっていることが分かった。二田先生は生徒の学習観に触れ、「教師や文法書、国語便覧に『正解』があると考えていることが、古文の学びに『問い』や『疑い』が生じにくい原因になっているはずです」と指摘した。

生徒が古典作品を通して構築するイメージは、それまでの自身の経験から得られた情報を頭の中で再構成したものと言える。一方、360度動画は、確かに当時を映したものではないが、少なくとも場所という「事実」が含まれる。
「どちらが『借り物』の比率が高いかというと、経験から得た情報を頭の中で再構成したものでしょう。借り物の比率が高くても、『それでよい』と考えるとしたら、どうしてなのでしょうか」と、二田先生は疑問を示した。

そうした問いかけを通じて生徒の思考を揺さぶり、「文学作品の鑑賞はどのような行為であるのか、自分自身の認識のあり方と対比して向き合うようにしてほしいと考えています」と二田先生は語る。目の前の事象から解決すべき問題点を見いだし、周囲と対話を重ねて「納得解」を模索することが「構造的パラダイム」の学びであり、二田先生は「これからも古典を題材として生徒と一緒に考えながら学びを深めていきます」と今後の展望を語った。

各教科を学ぶ意味は何か?

続いて、二田先生の話題提供を受けグループごとに対話を行った。

あるグループでは地歴公民担当の教員から、「正直に言えば、何のために古典を教えるのか疑問に思っていた。ただ二田先生の話題提供を聞き、『過去の価値観から、今の価値観を相対化する』ことはむしろ自分も授業に取り入れるべきだと感じた」との発言があった。またその教員と同じグループで対話を行った教員らからは、「相対化するためにも、授業中に違和感を惹起することが重要なのではないか?」といった投げかけもあった。

別のグループでは、「自分が担当している教科での”できる”とは何か?」という論点で対話が進んだ。各教科の特性を踏まえた「見方」「考え方」とは何か、それらの育成をどのように行い、どうやって見取るのか。それぞれの実践を共有しながら、対話は進んだ。

対話の終盤にある教員からは、「1回1回の授業に直結する話であることを再認識した。対話での気づきを生かし、日々の実践に還元したい。そしてまた全国の先生と実践を持ち寄って対話したい」との発言があった。

学びの意味の問い直しが、新しい学びのデザインを生む

会の最後に、二田先生自らが振り返りを語った。

「私はこれまでも学びをメタ的にとらえることを試みてきましたが、VRという新たな技術が新しい問い直しの視点を与えてくれています。ICTは学びの「道具」でもあり、学びに新たなデザインをもたらしてくれるとも改めて実感しています。今回の対話では参加されたみなさんが、「学びの意義や意味」を相対化して話されたり鋭く問うていて、その姿に本当に励まされました。」

生徒の気づきと学びを最大化するPJ

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