教育ジャーナリストの後藤健夫さんがお送りする連載「大人たちのアンラーニング」のススメ。今回からしばらく「探究学習」をテーマに展開します。まず、探究学習の特長を踏まえながら、これまでの学び方をアンラーニングできたら、いま学校で展開されている学習指導要領への認識が深まるのではないかと考えています。

どうして、探究学習なのか

さて、「探究学習」ですが、この「探究」とはなんなのでしょうか。
昔から「学び方には2通りある。広く浅くか、狭く深くかだ」と言われてきました。「探究」は、この「狭く深く」に該当するでしょうが、少し漠然としています。これをもう少し見方を変えて、ごく簡単に言えば「探究」は<「問い」を立てて考える方法>となります。そして、この方法を学ぶことが「探究学習」です
「問い」は「仮説」と置き換え可能で、そのほうが「探究」をイメージしやすくなる人もいるかも知れません。「問い」(課題)から「解」(解決)を見いだすときに「仮説」を「検証」することが必要ですから。
「探究」は方法ですから「探究」を学ぶわけではありません。「探究」という考える方法を学ぶ、つまり「問い」を立てて学ぶのです。「探究」は目的ではなく手段です。

「探究学習」はアンラーニングと親和性がある

「問い」を立てるなんて言うと、少し難しく感じるかも知れませんが、実はそれも慣れれば難しくありません。ごく簡単な「問い」の立て方は断定的な物言いを疑問形にするだけでできます。例えば「探究学習はそんなに難しいものではないのだ」を「探究学習はそんなに難しいものではないのか」とすれば良いのです。「だ」を「か」にひと文字変えるだけです。
こうして日常の生活習慣や当たり前に思っていたことに「問い」を立てていくとアンラーニングもしやすくなってきます。アンラーニングは無意識でできるものではなく意識的にアンラーニングするものです。だから敢えて当たり前に過ごす日常生活に「問い」を立てると良いのです。日本ハムファイターズの新庄剛志「BIG BOSS」が就任当初、外野手に内野を守らせたりリリーフ投手に先発投手を任せたりしていましたが、あれもアンラーニングだったのではないでしょうか。外野手としての足の運びなどを違ったポジションを担うことでアンラーニングするのです。
「探究学習」はアンラーニングと親和性があるので、是非、日常的に「問い」を立てることをオススメします。

「問いの連鎖」による「探究学習」

もちろん、「問い」を立てるだけでは学ぶことはできません。この「問い」の「解」を見つけ出そうとすることで、自ら考えはじめる、そこに学ぶ意味があります。
「問い」を立てて、その「問い」を考える。その「問い」から「解」を見つけ出してもまた新しい「問い」が生まれます。その「問い」から生まれた新しい「問い」を大切にして、さらにその「問い」を考える。ある程度、考えがまとまったら、自分が考えたことを他の人に話して意見や感想をもらうと良いでしょう。他人に話すと、また新しい「問い」が見つかります。その新しい「問い」を大切にして、その「問い」を考える。こうしたことを繰り返すのです。
こうして「問い」が「問い」を生む「問いの連鎖」が生まれると、どんどん深く考えるようになります。
これが「探究」であり、この手法を学ぶことが「探究学習」です

「探究」はメタ認知、批判的思考につながる

「問い」を立てて考えることに慣れてくると、俯瞰して見たり、違う角度から多面的に考えたりすることができるようになります。つまり、メタ認知、批判的思考ができるようになるのです。
「問いの連鎖」は「○○だから○○だ」と1つのことから他のことに押し広げていく演繹的な思考です。しかし、1つの課題に対して「問い」は1つ立つわけではなく「解」を見いだすためにはいくつもの「問い」(仮説)を立てて検証する必要があります。解決に向けて、それらのいくつかの「問い」を並べて眺めてみて、一般化、抽象化できることはないかを考えることも必要です。これは帰納的な思考です。
この演繹的な思考と帰納的な思考を行ったり来たりしながら考えていくと「より良い解」を見つけ出せるでしょう。そして、その過程で俯瞰的に「問い」やその「解」を眺めることでメタ認知ができます。また、メタ認知をしながら、他の「問い」の可能性を考えることで、事象を多面的に捉えることができて批判的思考ができるようになります。

「総合的な探究の時間」に注目が集まる

2022年度から高校でも新しい学習指導要領での教育が始まりました。新しい指導要領には「探究」を組み込んだ科目がいくつかあります。「世界史探究」「日本史探究」「理数探究」等、それだけをみると教科の中で「発展」を扱うようにも感じますが、「総合的な探究の時間」はどうでしょう。
従来の「総合的な学習の時間」からの名称変更ですが、「総合的な学習の時間」は高校でも持て余していた授業ではなかったでしょうか。それが「探究」となり突然注目を浴びることになりました。背景としては、学習指導要領を改訂する議論のなかで「アクティブ・ラーニング」が提唱されたこと、それを受けた「主体的、対話的で深い学び」といったスローガンが登場したこと、それらを取り上げた書籍が何冊も発刊されたことなどがあるでしょうが、そもそもは人工知能の発達が予見されたり少子高齢化が激しくなったりと時代に押された側面があるのです。

学び方を学ぶ

冒頭で触れた2つの学び方、なぜ、いま「広く浅く」ではなく「狭く深く」なのでしょうか。
「広く浅く」はどうしても知識に偏重していまいがちです。「狭く深く」を「探究」という考える方法を学ぶことで「学び方を学ぶ」ことができます。学び方を学んでいたら、技術を学ぶときも、いま持っている技術が陳腐化しても新しい技術を早く手にすることができます。いま獲得した知識が陳腐化しても新しい知識を得ることで、知識を再構成していけば良いのです。
それに「広く浅く」学んで知っているだけであれば、情報技術が高度に発展した社会では、コンピュータやロボットに置き換えられてしまいます。ですから、学んだ知識を活用して「考える」ことや課題解決をすることを求められます。
一方で、PISA調査を実施するOECDの教育・スキル局長であるアンドレアス・シュライヒャーは「日本の生徒はよくできる。でも、シンガポールの生徒は、皆、研究者のように学ぶ。日本もそうあるとなお良い」と、講演でPISA調査の結果を評していました。この「研究者のように」と表現された部分が「探究的」と置き換えられるのでしょう。社会が複雑化して複合的な課題解決が求められる時代です。第4回でも触れたように、実社会では正解が一つとは限らないのです。
広く興味関心を持つことは大事です。それがいつ「探究」のタネになったりヒントになったりするかもしれません。ですが、そうした興味関心から没入感をともなって深く考えたいことを見つけると知らず識らずのうちに「学び方を学ぶ」ことができるようになるのではないでしょうか。

どうして、探究学習なのか。人工知能の発達など、社会的な背景もありますが、シュライヒャーが指摘するように、「探究」という「問い」を立てて考える方法を学ぶことで、よりよく学べるようになるのです。

次回からは、教育の変化を表すキーワード「探究学習」をテーマに、大学入試等におけるアンラーニングの必要性を考えていきたいと思います。

後藤 健夫

教育ジャーナリスト

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