教育ジャーナリストの後藤健夫さんがお送りする連載「大人たちのアンラーニング」のススメ。第7回より「探究学習」をテーマに展開しています。今回は、約半年間に渡った連載の最終回です。これまで「大学入試」と「探究学習」を語ってきましたが、最終回では「探究学習」が展開されることで見えてきた「新しい高大接続の方向性」を述べて締めくくります。

学び続ける「意欲」がウェルビーイングに繋がる

これまで、11回にわたって、保護者世代の経験した大学入試がいま様変わりしたことを書いてきました。特に今回の学習指導要領で登場した「探究」に注目しましたが、さて、18歳人口が減少し続けるなかで、これから大学入試はどのようになっていくのでしょう。

基本的には、多くの大学で受験生を選抜する機能が既に弱まっていますし、それがますます加速することが容易に予想できます。実質的にはほとんど選抜試験が機能せず「フリーパス」になっている大学もあります。この連載にも書き続けてきましたが「大学教育にふさわしいか」を入学者選抜では問われます。しかし、学習者の理解度や到達度は様々です。だからここで言う「大学教育」も様々で良いのだと考えています。誰もが高度な学問を修得する必要はなく、高等教育、「第3の教育」といったほうが適切かも知れませんが、個々の学習者がより豊かで幸福な生き方ができるようになれば良いのでしょう。物事の理解が早い人も遅い人もいます。理解が早い人に合わせてみんな同じ速度で学ぶ必要はないです。

かつて、予備校で浪人生の伴走者を務めていましたが、問題意識が高いけれど試験勉強ができない生徒、リーダシップは十分なんだけれど難関大学には届かない生徒など、ダメな部分だけに目を向けたら浪人などすることは時間の無駄ではないかと思う生徒はいっぱいいました。しかし、彼らにはなにかを成し遂げたい意欲があり、うまく問題を解けなかったり理解が追いつかなかったりすることを克服するために、多感でエネルギーに満ちた時間を浪人というモラトリアムな時間に費やしていました。それは彼らの長い人生においては決して無駄な時間ではなかったでしょう。
現役の合格率がプロ野球の首位打者の打率に負けてしまいそうな、伝統的な公立高校の校長らと話すと「最近は保護者が現役で大学に入って欲しいという意識が強すぎる」と嘆くことがしばしばあります。現状に鑑みれば、学習教材は動画授業を含めて充実していますし、終身雇用が崩れつつあり生涯賃金が長く勤めたからといって多くなるわけではありません。

ラグビーで活躍した福岡堅樹さんは、ラグビーを辞めて大学の医学部に進学しました。プロ野球選手の中には引退後に大学院で学ぶ人が増えてきています。私の知人である、東大野球部からドラフトでロッテに入団した小林至さんは、プロ野球引退後、コロンビア大学でMBA(経営学修士)を取得してアメリカでしばらく働いた後、日本で大学教員、そして、ソフトバンクホークスで取締役としてGM(ジェネラルマネージャー)を務めて三軍制を導入、さらに早稲田大学で博士号を取得して、いまは桜美林大学の教授であり理事として大学経営にも携わっています。

重要なことは、自分がそのときにエネルギーをかけられることに注力することであり、その機会を見極めることです。プロスポーツ選手として、いま輝けるのであればその機会を大切にすべきであり、大学院で博士課程に進んでいては「旬」を逃します。
生涯を考えたときに、自分がより輝ける時間をどのように設定するのか、それを実現するにはどんな準備とその時間が必要なのかを落ち着いて考えたいところです。なにがなんでもストレートに生きていく必要はなく、たまには寄り道したり立ち止まったりしながら、知見を広げたり力を蓄えたり思考を含めたりすることが、ウェルビーイングに繋がるのではないでしょうか。

その一助となるのが「探究学習」です。
「探究学習」は、受験のような競争に駆り立てられるものではなく、もっと純粋に、自分が好きなことや興味を持ったこと、自分の課題意識など、意欲的に取り組める題材を深掘りして学ぶものです。
「好きなことは?」と聞くと、「ない」と答える子どもが昨今多いですが、本当は好きなことはあって、でもそれを口にすることが恥ずかしかったり、それはダメだと言われたらどうしようと思ったりしてしまっている結果、言い出せないのではないかと思います。
「探究は勉強がデキる子どものためのものだ」と公然と語る教員がいますがそれは大きな勘違いです。主体的に学べれば「探究」は自然となされています。「探究」は使役的に勉強させられている生徒たちを解放するものです。むしろ勉強が苦手な生徒を救うものであると認識してもらいたいものです。
寄り道したり立ち止まったりしながらも、時間を忘れて没頭できるものがあれば自ずと主体的に学び始めます。自分がエネルギーを注いで成し遂げたいことやもっと知りたい、もっとうまくできるようになりたいことに注力するのが「探究」なのです。
そして、その「探究のタネ」を生徒と一緒に見つけて、より深く思考したり没入できるようにしたりするように誘うことが、伴走者としての教員の役割になるのです。
生徒よりも知識がないといけない、専門性がないといけない、そのようなことはなく、生徒と一緒になって知識や専門性を新たに磨いていったらいいのです。

第5回で述べたように、大学も高校と一緒になって生徒の意欲や興味関心、課題意識を引き出していくのです。これがこれからの高大接続の在り方です。意欲はペーパーテストで測るものではなく、その意欲が自大学で継続して発揮できるのか、それを実現するための準備ができているのかを見極めるのです。
研究大学であれば、高度な学問を学ぶ意欲があり、その準備ができているかどうかを確認する必要があるでしょう。幅広い分野の基礎学力は必要になるでしょうし、学問的な素養として、人文・社会科学系であれば英語や国語の自然言語のスキル、自然科学系であれば数学や理科、プログラミングといった概念やスキルが十分であるかを確かめることになるでしょう。
社会に出るために必要な能力を養うことを主眼とした大学は、探究の学び方を身につけているか、それを学び続ける意欲があるかを確認することになるでしょう。すべてが十分でなくても大学4年間を通して、まだ十分に理解できない分野を克服できれば良いでしょうし、得意分野を見つけ、それをさらに理解したりできるようになったりすれば良いのではないでしょうか。理解の速度は様々ですから、場合によっては4年間ではなく、5年、6年と時間がかかってもいいでしょう。その間に、インターンシップや海外研修などで視野や知見を広げ、学ぶ視点を変えて理解を促すこともあるでしょう。基礎学力は担保すべきでしょうが、それが基礎学力テストのようなものである必要はありません。その大学で学ぶために必要な基礎学力を確認できれば良いのです。例えば、APU(立命館アジア太平洋大学)国際学生との交流により知見を広げたり活躍の礎を築いたりするところでは英語の能力は担保するべきです。ですからAPUでは民間英語4技能テストのスコアを要件にしています。英語ができなくてはAPUの教育にふさわしくないわけです。

高大接続は、元来は大学を個性化するものです。これから大学入試での選抜機能が弱まり、多くの大学が「偏差値」のような序列がない「横並び」になります。そうなったときに大学がどのような個性を輝かせるのかで、受験生を集めることになります。その個性は、どのように学ぶか、なにができるようになるのか、なにを理解できるようになるのかによって決まることでしょう。

いま、日本は「課題先進国」ではあるものの、「課題“解決”先進国」とは言いがたいです。少子化や産業構造の転換、エネルギー問題などなど課題は山積しています。
しかし、この課題に立ち向かうためには教育、とりわけ高等教育は重要なものです。
未来をより良くしたいという意欲や自己肯定感が若者たちになければこうした課題を解決できないでしょう
私がアドバイザーを務めた公立高校では、教員のみなさんが話し合い、「探究」の目標を「生徒の自己肯定感をあげること」としました。残念ながらその高校では「探究」を始める以前は、集会などで騒がしくする生徒がいて、教員が大声を出さなければおさまらない状況がありましたが、教員のみなさんが「自己肯定感」を上げることに注力を始めたら、そうした状況はまったくなくなりました。生徒は自己肯定感が上がり主体的になれば大声で従わせる必要などなくなるのです。

教育は若者の未来のためにあり、その未来を共有するために学校はあります。
若者のウェルビーイングを実現させるのも教育です。

この連載コラムも今回で最終回となります。この連載コラムを通して「探究」を語ってきましたが、ここでいま一度、第2回で触れた、文部科学省が掲げた「学力の三要素」や「大学入学者選抜要項」を見てみてください。ここにこれからの教育の在り方が詰め込まれています。そこには若者をウェルビーイングに導く方策が語られているのではないでしょうか。

最後に、この連載コラムを半年間続けるにあたり、これを読んでくださったみなさんはもちろんのこと、業務多忙にもかかわらず良き伴走者であった担当者の山下真歩さんに感謝するとともに、毎週水曜日に「生徒の学びと気づきを最大化するプロジェクト」で対話の会を主催してくれた小村俊平・ベネッセ教育総合研究所教育イノベーションセンター所長、そのアシストをしてくれた芦野恒輔主席研究員をはじめメンバーのみなさん、そして、なによりもその対話の中でいつも私をインスパイアーしてくれた参加教員のみなさんに大いに感謝いたします。この連載コラムは教員のみなさんの問題意識を私が代表してここで述べたに過ぎないものでした。ありがとうございました。

後藤 健夫

教育ジャーナリスト

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