世界史を学ぶ意義を問い直す

近年、教養としての歴史が注目を集めている。高校では2022年度、近現代の日本史と世界史を横断的に学ぶ科目「歴史総合」が新設された。これを受け、2023年10月、ベネッセ教育総合研究所「生徒の気づきと学びを最大化するプロジェクト」の第13回トークライブ「なぜ、いま教養を身につけ歴史を学ぶのか?」がオンラインで開催された。新著『教養としての教養』を出版したバラエティプロデューサーであり、文化資源学研究者の角田陽一郎氏と、『岩波講座 世界歴史』の責任編集を務め、歴史対話や歴史実践を提唱する高校の歴史科教員の小川幸司先生が、歴史を学ぶ意味や教育のあり方について語り合った。

■登壇者
長野県伊那弥生ケ丘高校 教諭 小川 幸司
文化資源学研究者、バラエティプロデューサー 角田 陽一郎

■モデレーター
ベネッセ教育総合研究所 教育イノベーションセンター長 小村 俊平

左上/小川先生 右上/角田氏 下/小村

横のつながりが重視される時代

登壇者の角田陽一郎氏は、『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』などの人気番組を手がけた元TBSテレビのプロデューサーだ。独立後はバラエティプロデューサーとして活躍するかたわら、2019年から東京大大学院人文社会系研究科文化資源学研究室に在籍し、メディアやエンターテインメントをテーマに研究している。

小川幸司先生は、『岩波講座 世界歴史』の責任編集を務めた世界史教育のスペシャリスト。長野県の公立高校の世界史教諭や校長を務めた後、2023年度から教諭に戻り、学校現場の最前線で生徒と向き合っている。経歴が全く異なる2人だが、同じ東京大学文学部人文学科西洋史学専修課程出身であり、フランス革命史の大家である故・遅塚忠躬教授に学んだ。

トークライブは、角田氏の専門分野であるメディアの解説から始まった。角田氏は現在、大学院で、テレビ・新聞といった従来型のマスメディアと、インターネットのソーシャルネットメディアとの比較研究を行っている。両者の最大の違いは、前者が大量の情報をほぼ一方的に上から下へ流していくのに対し、後者は横のつながりが強く、インタラクティブに情報が伝わっていく点にあるという。

「ソーシャルメディアが盛んになった今、新しい生き方や働き方を考えるためには、学校の授業も教員と生徒とのインタラクティブな対話によって行うべきではないでしょうか」と、角田氏は問題提起をした。

暗記中心から、問いが連鎖する歴史教育へ

続いて、小川先生が「暗記地獄の世界史から、問いが連鎖する世界史へ」と題して、ローマの宗教家アウグスティヌスを例に、自分が現在行っている授業について解説した。

従来型の授業は、教科書を読み、「アウグスティヌス」「教父」「著書『神の国』」などの用語を暗記するといった形態がほとんどで、定期考査の問題は覚えた知識を穴埋め形式で答えさせるものが多かった。それに対し、小川先生は次のように授業を展開する。

生徒にまず『神の国』の一節を読ませ、強者が弱者を支配するローマ帝国の衰退期に、アウグスティヌスは愛により人々が平等につながる関係を説き、それを「神の国」と呼んだことを理解できるようにする。次に、人間同士の横の関係が広がれば、性暴力を受けた女性はさげすまれる存在から、擁護すべき存在になる可能性があるという叙述に着目し、それを近代の戦場における性被害と関連づけて考えさせる。

そして、アウグスティヌスが「歴史は循環する」と考えられてきたギリシャ哲学の思想を逆転させて「歴史は未来に向けて前に進む」と説いたことに着目し、現在の日本も過去を見て後ずさりする歴史認識から未来を見つめて歩む姿勢への転換が起こったが、それはいつだったのか考えてみようと問いかける。また、愛の重要性を説いたアウグスティヌスもある愛の形だけは「情欲」として否定したが、それは何かを考えさせる。

そうした授業を行った上で、定期考査では授業で読んだ史料を一つ取り上げ改めて考えたことを論じるという問題を出す。そして、生徒の解答の中で興味深いものを授業で紹介し現代社会の問題と関連づけて、生徒に考えさせる。

そうした授業や定期考査のよさについて、小川先生は、「教科書を読んで暗記するだけで終わっていた単元も、問いの工夫や生徒とのインタラクションの中でどのようにも発展させることができます。生徒の世界はどんどん広がっていき、私自身も面白く授業をしています」と述べた。

さらに、小川先生は世界史授業を改革する理由も語った。

「歴史叙述には危険な面もあり、利用の仕方によっては他者を傷つける思想を広めることにもなりかねません。角田さんが著書で『一つの価値観にとらわれるのではなく、物事を様々な側面から見て判断し、行動することを学ぶ、その意味でバラエティの世界史である』と書かれていましたが、私もまさにそうした様々な社会や文化のありようを学び、異なる発想を持つ人々と共存できる力を育てることが重要だと考えています。授業はそのためのトレーニングをする場としています」

高校では新科目「歴史総合」が始まり問いから始まる授業の重要性が各学校に広まっているが、ディスカッションが型にはまっている傾向が見られると小川先生は話す。

「ディスカッションでは、最後がどうなるかわからないワクワク感を大事にしています。意見を出し合う中で、それまで気づかなかった歴史の側面や次に考えたいテーマなどが見つかることもあるでしょう。その上で、どうしたら今の命を未来につなげていくことができるのかを生徒と一緒に考えたいと思っています」

遠回りして失敗する経験が大切

小川先生の発言を踏まえ、角田氏が感想を述べた。角田氏がプロデューサーとして最も大切にしているのは、現場の雰囲気だ。それさえよければ、用意したシナリオがすべて使われなくても問題ないと考えている。実際、面白そうなネタを10個考えても、現場で使われたのは3個程度ということは珍しくないという。

「さんざん頭をひねって考えたネタが無駄になったとしても、そうした裏方の努力が現場の雰囲気を盛り上げ、視聴者に伝わると信じています。今は、『コスパ』や『タイパ』を重視し、いかに効率よく物事を進めるかに価値を置く風潮があります。大学入試にもそういう面がありますが、私はそうした風潮にあらがいたいと思っています。遠回りする中で、失敗したりヤキモキしたりした経験が重要であり、それが小川先生のおっしゃったような未来をつくることにもつながるのではないでしょうか」

シナリオを取捨・選択することは歴史の授業においても重要であると小川先生は語る。

「ともすれば歴史の授業は、教員がくまなく解説した教科書の内容を覚えさせることに偏りがちです。私の授業では教科書は一通り読ませますが、その中でスポットを当てる部分を決めておき、授業で扱うトピックはその場の生徒とのやり取りの中で生徒の状況を踏まえて決めています」

ただそれが成立するためには教室が柔らかい雰囲気であることが重要であり、授業の冒頭ではテレビ番組を収録する際に行われる前説のように、小川先生が授業とは関係ない雑談をして教室の雰囲気をなごませるようにしているという。

マジックをかけて、生徒の心を動かす

ここで、小村教育イノベーションセンター長が「視聴者の中には、小川先生の授業は、いわゆる学力の高い生徒が相手だから成立するのではないかと考える方がいると思います。その点ではどうでしょうか」と質問し、勤務校の状況について聞いた。

小川先生が勤務する長野県伊那弥生ケ丘高校は、大学進学から就職まで多様な進路を選ぶ生徒が通う学校である。「歴史総合」が入試科目として必要ない生徒が歴史に関心を持って学ぶ授業を目指すと同時に、試験で点数が取れる喜びを感じられ受験学力も身につく授業づくりを心がけている。

そのため、授業では問いを投げかけて考えさせる一方、定期考査の直前は点数を上げるためのコツを伝授し、すべての生徒が定期考査で成功体験を得られるよう配慮している。ただしその前提として、生徒本人が点数を上げたいと思うことが重要であり、歴史を深く掘り下げようとするマインドが醸成されていなくてはならない。「日々の授業で生徒に問いを投げかけ、考えさせ、意見を聞く活動を繰り返すことを通して生徒の心を動かすことを大切にしています」と、小川先生は強調した。

さらに世界史の暗記主義に対する批判、変化しつつある大学入試の状況について語り合った後、小村教育イノベーションセンター長が教育現場に根強い段階主義について言及。深い学びは基礎を身につけた後で行うべきという考え方に疑問を投げかけた。

それについて小川先生も、「学習が苦手な生徒は知識が少ないから思考できないという考え方には反対です」と語り、基礎学力よりもまずは生徒の心が動かすことが重要であると説いた。

続いて、角田氏は企業でのプレゼンテーションにおける「マジックとサイエンス」の概念との類似性を指摘した。企業がプレゼンテーションを行う際、市場のトレンドを分析した上で新商品をアピールする場合が多いが、その手法はサイエンスに寄りすぎていて魅力が感じられない。そうではなく、いきなりポケットから鳩を出して驚かせてからなぜ鳩を出したのか説明する。すなわち、最初にマジックをかけて魅力を感じさせた後に具体的な仕掛けとしてサイエンスを解説する方が人々を引きつけられると、角田氏は語る。ただし、マジックがありすぎるといかがわしいものになるし、サイエンスばかりでは退屈になるのでそのバランスが大切だという。

「基礎学力を先につけるという考え方は、このサイエンスを先に解説することに通じると思います。小川先生が言われるように、まず歴史のダイナミズムを感じさせるというマジックをかけた上で、インスパイアされたことをサイエンスとして解説する方が生徒の心にしみるのではないでしょうか」(角田氏)

想定外のハプニングを楽しむ

ここで角田氏から小川先生に、なぜ校長職を退任し現場の教員に戻ったのかという質問があがった。それに対し小川先生は次のように答えた。

小川先生にはかつて用意したシナリオどおりに授業を行っていた時代があった。しかし、それが全く通用しない高校に赴任したことを機に、生徒とのインタラクティブを重視した授業を行うようになった。小川先生はそのライブ感に楽しさを感じると同時に、学習が苦手な生徒から学ぶことが多いことに気づいたという。

「生徒には常々、台本どおりに未来に向けて着実に歩んで行くのではなく、時には自分はこれがやりたい、こんな課題を解決したいといった、開拓者的な人生の方が楽しいと伝えてきました。校長も意義のある仕事で充実していましたが、定年が数年後に迫り残りの教員人生をどのように過ごすかを考えた時、私自身が開拓者になろうと考えたのです」(小川先生)

これを受け角田氏は「バラエティ番組も想定外の面白いハプニングが起こると楽しい番組になります。それと小川先生が現場に戻ったことは重なるような気がします。人はよく人生をドラマにたとえますが、実際は何が起こるかわからないバラエティ番組に近いと私は思っています。ひょっとしたら小川先生もバラエティ的な人生を歩まれているのかもしれません」と語った。

筋書きがないという点は世界史にも言えることだと、小川先生は言う。

「世界史の教科書には多くの筋書きが書かれていますが、本当はその奥にさらにたくさんの歴史が存在しています。授業ではそこも含めて生徒と一緒に考えながら、時には教科書に書かれた筋書き以外のハプニングを見いだし、場合によっては自分たちで独自のストーリーを構想する。その中で、その歴史を見つめている私自身もものの見方、考え方を問い直していくところに歴史の授業の面白さを感じます」

最後に、角田氏が視聴者のチャットのコメントを取り上げた。

「遠回りすることの大切さは昔から言われてきたが、この議論の先に行かない難しさを感じる」という意見に対し、角田氏は「そこに答えはないので問い続けること自体が大切ではないでしょうか。議論が古いというのはそれを語りつくしてきた大人の言い分であって、そうした見方を知らない若い人たちに問い続けることで、人類が少しずつでも進歩していくのであればそれだけで意味があると思います」と語った。

小村教育イノベーションセンター長は、次のように語りトークを締めくくった。

「私たちが選んだ道、意思決定をしたことが正しいかどうかの判断は未来でしか行えません。その意味で、歴史教育は過去から学ぶものであると同時に未来への挑戦でもあるといえるのではないでしょうか。これからは未来から問われている自分を意識させるような歴史教育が重要になるかもしれません」

視聴者からの意見・感想

◎昨年、「歴史総合」の授業を受けた高校生です。1年間という時間の制約がある中で、どれだけ多くの問いを投げることができるのかという点に難しさがあると感じました。また、歴史の教科書はよくも悪くも語り口が堅いイメージがあるので、気軽に聞けるような授業があったら楽しいと思いました。

◎現役の高校生です。今回のお話で遠回りの大切さが心に残りました。私も例えば授業で英単語を覚える際、ただ暗記するだけではなく、成り立ちまで知ることで理解が深まり定着にもつながると実感しています。また、目の前に何があるかわからない状況にワクワクするという話は私も感じていたことなのでとても共感しました。

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