取材・文/太田美由紀 ※筆者プロフィールは末尾リンクから
撮影/武内太郎

ー シリーズにこめた思い ー
社会の多様化・多層化のなか、一人一人の学びや成長の質をいかに保障していくのかがますます重要になっています。そのためには地域性や個人の発達特性の違いなど、さまざまに考慮すべきことも見えてきています。ただ、課題の原因も複雑化しいて、学校だけ、家庭だけでは対応が難しいことや、従来の制度や発想だけに頼っては行き詰ってしまう事象も増えています。
そこで、学校を起点にして、先進的な取り組みで課題を解決しようとチャレンジしている事例から、これからの教育を考えていきます。
(企画担当・ベネッセ教育総合研究所 石坂 貴明)
 

「みんなの学校プロジェクト」活動の様子。地域の人たちが小学校の子どもたちと一緒にわらを編む。(写真提供:天理市教育委員会)

 
奈良県天理市のレポート第1回では、保護者の相談や要望の背後にある不安や困り感を解きほぐし、保護者や教員の「こども理解」をも促進している「ほっとステーション」についてご紹介しました。

第2回のキーワードは「体験格差」と「地域」。世帯収入や保護者の状況、また、保護者自身の子どもの頃の体験や親子の関係性により、体験機会に格差が出ることや、その格差が家庭や地域で連鎖することが指摘されています。

天理市では「みんなの学校プロジェクト」として、学校を地域にひらき、地域の力を生かして子どもたちの体験を広げてきました。このような学校教育と社会教育を連携させる新しい取り組みを実現させるための「学校三部制」も始動しています。

天理市長の並河健氏と、校長時代に積極的に学校を地域にひらいた天理市教育長の伊勢和彦氏にお話をうかがいました。

※全2回の第2回

学校をハブとした地域コミュニティの再構築

「今、体験格差という言葉が注目されていますが、天理市では、地域の力を生かしてその格差を補うことができると考えています」(並河氏)

天理市長の並河健氏の声は力強く、地域に根ざしたコミュニティスクールへの期待が感じられます。

天理市の人口は60421人(令和7年1月1日時点)。年々減少傾向にあり、少子高齢化が進んでいます。年間の出生数は令和5年度で345人と12年前の約6割まで減少。現在の児童数は2685人ですが、令和15年度には2064人になることが予想されています。

「本市では、70年前に市に合併した町村の構造がそのまま小学校区になっています。自治会組織、高齢者団体、商工連盟、消防団などあらゆる組織が紐づいていて、昔ながらの村落がそのまま生きている地域もある。学校は、災害時に避難所にもなる重要な地域の拠点でもあります。児童生徒数が減っても統廃合することは、行政の視点から「効率化」になっても地域コミュニティの力を弱めてしまいます。そこを残しながらどう生かしていくかを考えなければなりません」(並河氏)
 

天理市長の並河健氏は、8年間外務省に勤務し、日本APEC準備事務局課長補佐やアフガニスタン支援室課長補佐なども務めた。戦略プランナーとしての民間経験も。2013年より現職。3期目となる。

 
市では、令和2年度から市内の小中学校区において学校運営協議会を設置し、それぞれの地域性を生かしながら「みんなの学校プロジェクト」を進めてきました。

中でも、いち早く学校を地域にひらいてさまざまな取り組みをスタートさせたのが、現在の教育長である伊勢和彦氏が当時校長を務めていた天理市立櫟本(いちのもと)小学校です。

地域の人たちが、登下校の見守りからそのまま空き教室に集まり、始業時間までお茶を飲みながら子どもたちと交流できる「ふれあい茶屋」は、地域の高齢者にも子どもたちにも好評です。放課後に公民館で開催される「地域塾」では高校生や大学生が塾長を務め、地域の大人が見守る中で子どもたちが学習しています。また、夏期や冬期の長期休業期間中はその「地域塾」に合わせ、「地域食堂」も開かれ、子どもと大人が昼食をともにします。

学校をハブとした地域の人と子どもたちの斜めの関係は、さまざまな形で広がっていきました。公民館主催の地域の歴史を学ぶ文化教室の講師が小学校で授業も行うこともあり、学校図書館は地域に開放しているため、児童が園児に読み聞かせをする姿や、長寿会のメンバーが読み聞かせ活動を行う様子も見られるようになりました。
 

体育の時間に一緒に体を動かして楽しむ高齢者と小学校の子どもたち。(写真提供:天理市教育委員会)

 
いざというときに支え合える地域になるためには、普段からの交流が大切です。『みんなの学校プロジェクト』では、地域の学校を守りつつ、学校に公民館をはじめ周辺の公共施設の機能を合わせた地域連携型小規模校の実現を目指しています。令和6年度からは、さらに発展させるために東京都三鷹市の取り組みを参考に、『学校三部制』を全ての校区で導入しました」(並河氏)
 

「学校三部制」を導入し、学校を安全に地域にひらく

「みんなの学校プロジェクト」は、学校に公民館の機能を持たせることで今後訪れる建て替えなど設備面のコストも抑えられ、学校教育と社会教育、生涯教育を融合させることができます。地域の多世代交流を進めながら、地域をはぐくむ子どもたちを地域で育てることができます。しかし、このように学校を地域に開く際、常に課題となるのが安全管理や学校の負担です。

「櫟本小学校の実践は多世代交流の素晴らしいモデルですが、他校ではなかなか広がりませんでした。そこでまず、飽和状態だった学校の負担を減らすために『ほっとステーション』を立ち上げたのです(詳細は第1回参照)。さらに学校を地域にひらくための施設管理の負担を減らすために導入されたのが『学校三部制』です」(並河氏)

天理市では、従来の授業時間帯を「第一部」、学童保育やアフタースクールなど課業外の学びを「第二部」、学校内でのその他の地域活動を「第三部」と位置付けています。学校現場の役割と責任を「第一部」に限定し、教員が子どもたちに向き合うことに集中できる環境を整えます。「第二部」と「第三部」を学校内で実施するに当たり、学校施設の管理責任も校長ではなく教育委員会が集中して負うよう規則も改正しました。

 

時間で切り分けるのではなく、機能で切り分け責任を三部に分ける。電子錠、監視カメラ、非常用通報装置の設置など安全管理も強化。(画像提供:天理市教育委員会)

 
さまざまな設備面でも安全対策を強化していますが、学校を地域にひらくことは一般的な貸しスペースとは大きく異なります。社会教育活動として公民館で活動している地域団体の利用者が対象ですから、信頼できる地域の大人たちの目に守られる学校に変わっていく。学校を社会から隔離し、限られた教員だけで子どもたちを守るよりずっと安心な環境となるはずです」(並河氏)

教育長の伊勢氏が語る櫟本小学校での子どもたちと地域の人たちの様子は、その言葉を裏付けています。

「登校の見守りをしてくださった地域の方が、ふれあい茶屋(教室)で子どもたちとお茶を飲んでいると、子どもたちが高齢者に、『地域でちょっと怖い人を見かけたからなんとかしてほしい』などの相談をすることもありました。誰かに見守られている、応援してもらっているということを感じた子どもたちは、自分たちも誰かのために何かをしたいと自然に思うようになっていきます。それこそが、子育てや教育の大事なところなのだと思います」

並河氏は、令和6年度に向けた「人口減少社会適応都市宣言」の中でこの取り組みについてもしっかりと触れています。

「人口が減っていくことを止めることは難しいのですが、自治体間で人口の取り合いをしても根本的な課題解決にはなりません。少子化を解消するのではなく、人口減少はある程度認めざるを得ない現実と正面から捉える中で、どのように適応できる街になっていくかを考えたいのです」(並河氏)
 

政治と教育の連携が未来の社会をつくる

「市長の言動には、ブレない軸があります。孤立や生きづらさを生み出さないように、人のつながりを取り戻し、まちづくりをすること、子どもたちを人材ではなく一人の人間として幸せに生きていけるような教育を目指したいという思いを私たちは共有している。天理市の実践も、日本の教育が変わっていく一つのきっかけとなりうるのではないか、とよく話しています」(伊勢氏)
 

天理市教育委員会教育長の伊勢和彦氏。教諭、教頭、校長を務め、2020年、天理市立櫟本小学校校長を定年退職。2021年より現職。

 
市長となる以前、並河氏は8年間の外務省勤務を経験しています。誰もが暮らしやすい社会をつくっていく上で教育がどれだけ重要であるかをアフガニスタン支援を通して実感し、東日本大震災後には、さまざまな国から支援を受ける側として地域社会の重要性を痛感しました。

「日本は豊かな先進国であることが当たり前のような時代が続いていました。ところが東日本大震災の後、いろんな国から支援を受ける中で、日本は支援する一方ではないのだと実感しました。国際競争力が低下し、少子高齢化が進み、前提が大きく変わったのです。地域社会ではさまざまなジレンマがありますが、私の根底には、まずは、みんなが豊かで、みんながハッピーな地域をつくりたいという思いがあるんです」(並河氏)

並河氏は、安倍元首相襲撃の現場にも居合わせました。その際、誰よりも早く歩道から飛び出し、救命措置を呼びかけたことで、事件から一週間後に奈良新聞の取材を受けています。

「他者の尊い命を奪うことは決して正当化できない。しかし、地方行政を担っている者として、孤立した人への対策を社会全体でやる必要があるのかなと思う」(2022.7.15奈良新聞より)

その記事を読んだ伊勢氏は「社会のありようや社会の矛盾、どうしたらそれを防げるのかを、根本的に考えられる人だと思った」と言います。

戦後、日本は戦前の反省から教育には政治が介入しないことを徹底してきました。しかし、大津のいじめ事件(2011年、当時中学2年生が同級生たちからのいじめを苦にして飛び降り自殺をした事件。学校と教育委員会の隠蔽体質が大きな問題となった)が大きなきっかけとなり、首長と教育委員会が連携して教育行政について協議する総合教育会議が設けられるようになりました。

これから定められる「天理市教育大綱【第三次】」の案として、天理市はその基本認識を次のように示しています。(令和7年1月天理市総合教育会議)

この教育大綱の目的は、社会が必要とする人材を『製造』することではない。私たちは、次の時代を生きる人間が、幸せに生きていくための力を共に育むことを目指す。育み合うことを通じて、私たちが生きる地域コミュニティ自体を育むことを目指す。

教育大綱の副題は、「集団指導からひとりひとりの『しなやかさ』をはぐくむ『共育』へ」。これからの社会をつくる教育には、地域コミュニティが欠かせません。天理市では、教育と行政が一体となって、その理念をさまざまな実践に落とし込んでいます。