「会話」だけでなく、「対話」できる力を
私は劇作家として、日常的な話し言葉や動作で舞台を創ることに長年取り組んできました。並行して、演劇の手法を用いた教育活動として、小・中学生や高校生向けのワークショップを多数手がけてきました。今回は、それらの経験から、これからの時代を生きる子どもたちに育みたいコミュニケーション力についてお話しします。
近年は情報化や核家族化が進み、子どもたちは対面で言葉を交わさなくても、単語を発するだけでも、欲しいものが手に入る環境の中で育っています。コンビニエンスストアなどでは、セルフレジを使えば、言葉を発さずに買い物を済ますことができますし、家では、「ジュース」という単語を発すれば、母親が「ジュースを飲みたいのね」と察して出してくれます。コミュニケーションには、言葉を使うもの、言葉以外の手段を使うものなど、様々な種類がありますが、話し言葉を使ったコミュニケーションに関しては、子どもたちは言わば無菌状態に近い環境で幼少期を過ごしています。そのため、日常生活に限って言えば、言語を使ったコミュニケーションを使う必要性が感じられにくくなっている状況にあり、それが人によっては、「子どものコミュニケーション力が低くなっている」と感じる原因になっているのかもしれません。実際には、子どもたちのコミュニケーション能力自体が下がっているとは、私は思っていません。
一方、社会の国際化や多様化が進めば進むほど、多様な人々と多様な環境下でかかわる頻度が高まるため、必要とされるコミュニケーション力の水準は上がります。そうした中で、特に日本人が高めるべきコミュニケーション力は、「対話力」だと思います。
「対話」とは、「異なる価値観を持つ時に、互いが情報や価値観をすり合わせるために行う言語のやり取り」と私は定義しており、価値観や生活習慣などが近い、親しい人同士で日常的に行われる「会話」とは異なるものです。民族や言語、外見の差があまりない、「等質性」が高い日本の社会では、これまでは、言わなくても分かる、察し合う文化があり、その能力が高い人が社会的に評価されてきました。それも1つのコミュニケーション力ではあります。一方、欧米では、主語と述語を明確にし、あいまいな表現は避け、聞き手が理解しやすく、意味の取り違えがないように意図を伝える必要があります。さらに「対話」は異なる価値観をすりあわせる行為ですから時間もかかります。2つの力に優劣はないのですが、日本のようなコミュニケーションのあり方は、国際的には少数派ですし、社会の変化を踏まえると、日本人はもっと対話ができるようになるべきだと思います。そして、異質な存在を受け入れて、ともに成長していくような社会モデルが、国際化する社会では必要になってきていると言えるでしょう。
演劇的手法を活用して対話力を育む
私が拠点としている兵庫県豊岡市には、単学級(全校で1学級)の小学校が複数あります。子どもたちは小さなコミュニティーで過ごしますから対話が苦手です。そこで、中1プロブレム解消のねらいもあって、小学6年生と中学1年生で演劇的手法を使ったコミュニケーション教育を導入しました。さらに数年前からモデル校を定めて小学校低学年にも導入を開始しました。取り組みの前後での子どもたちの変容を調査したところ、自己有用感や授業への参加意欲など、複数の項目で有意に効果が見られました。
演劇は、子どもたちの役割や劇中の場面を自由に設定することができるため、強いフィクション性を持たせることが可能です。等質性が高く、同調圧力の高い人間関係の中では、たとえアクティブ・ラーニングの視点を取り入れた学びの場を用意しても、その場の雰囲気や、大人が期待している落としどころをねらった学習活動に終始してしまうことがあります。それでは意味がありませんから、あえて議論せざるを得ないような場面を設定する、つまり、強いフィクション性を持たせることで、本来目指すべき話し合いや議論が行われやすくなります。その中で、他者と対話をしながら自分を表現していくことで、今必要なコミュニケーション力が養われるのです。
諸外国では小学校から大学に至るまで、演劇の授業・科目があたり前のように設定されており、演劇の教育的効果は、国際的に評価されています。
高校においては、探究型の授業を通じた対話力や共感する力の育成が期待されています。その際、小・中学校とは異なり、高校は進路選択がかかわってくるため、各校には、生徒にどのようなコミュニケーション能力を育成したいのか、より具体的な方針を定めておくことが期待されます。折しも、総合型選抜・学校推薦型選抜(旧AO・推薦入試)が拡大するなど、入試方式が多様化しており、身につけたコミュニケーション能力が入試でも生かされる機会が増えています。生徒が、身につけた資質・能力を最も発揮でき、評価してもらえる入試方式は何かを見極め、アドバイスすることが、これからの教師には一層求められるでしょう。そして、学校教育で身につけたコミュニケーション能力が、社会に出てからも存分に生かされることを願っています。
(本記事の執筆者:神田 有希子)