私は、陸上競技という、記録や順位がはっきりと表れる個人のスポーツを小学生から続けてきて、幸いにも結果を出すことができました。しかし、スポーツの真の醍醐味は、よい成績を残すことや対戦相手に勝利することだとは思いません。プロ選手ならばともかく、子どもであればなおさらです。では、学校教育におけるスポーツには、どのような意義があるのでしょうか。教師の働き方改革の面からも注目を集め、議論されている、これからの部活動のあり方も含め、私なりの考えをお話ししたいと思います。

他教科では評価されにくい「他者への貢献」が、
スポーツでは評価されやすい

体育の授業であれ、部活動であれ、学校で行うスポーツが、算数・数学や国語、英語といった教科と大きく異なる点は、他者への貢献が表立って評価されやすいことです。「協働性」が評価されるようにはなりましたが、それでも、友だちに数学の解き方を教えてあげる行為は評価されにくいでしょう。しかし、サッカーで友だちのゴールをアシストしたり、野球で犠牲フライを打ったりすれば分かりやすく評価され、試合であれば、スコア上の記録にも残ります。
また、スポーツを起点として、教科学習への興味・関心が高まることもあります。例えば、中高生の頃の私は、数学にはあまり興味がありませんでした。しかし、陸上競技の専門誌でバイオメカニクス(*1)の記事を目にし、データや数式を使ったアプローチで自分の力を高める方法があることを知り、数学に関心を持つようになりました。
ほかにも、スポーツをより深く理解しようとするならば、海外の文献を読んだり、専門家に話を聞いたりすることが必要になりますから、そうした活動を通じて国語力や英語力が向上し、国語や英語自体への関心も高まるでしょう。さらに、一定の運動をすることは、それ以外の時間における集中力を高める効果もあります。身体を動かすことで様々なストレスを発散し、他によい影響が及ぶことは、皆さんにも経験があるのではないでしょうか。
そのように、スポーツが教科学習に与えるよい影響は多岐にわたり、かつ大きいものであると言えます。

*1 バイオメカニクス:バイオ(bio:生体)+メカニクス(mechanics:力学)から成る造語で、「生体力学」とも呼ばれる学問分野。スポーツの世界では、身体の動きが変わることと速度の関係を数値で表すことで、より効果的なジャンプの角度や走る速度を求めることができる。

これまでの部活動の位置づけや構造に
とらわれ過ぎる必要はない

「部活動からたくさんのことを学んだ」といった話は、よく耳にすると思います。私自身も、人生で大切なことの多くを部活動で学びました。しかし、これまでの部活動の位置づけや構造にこだわっている限り、先生方への負担は増し、近い将来、部活動は消滅せざるを得なくなるでしょう。教育の一環と位置づけながら、その活動は事実上教師の自主性に任される――そうした状態を今まで継続できていたこと自体が奇跡です。これからの部活動は、活動の継続を担保しつつ、先生方の負担減をもっと真剣に図るべきです。
また、そもそもスポーツは楽しむものであり、チームの勝利が優先されて、試合に出られないまま3年間を過ごす生徒がいることを「仕方がない」と考えるのは、いかがなものかと思います。欧州では、スポーツから何かを学ぶという感覚がありません。ただ楽しいからやっているのです。そのため、技術のレベルにかかわらず、皆が試合に出て、そのスポーツを楽しみます。すべての子どもがスポーツを楽しむという理念の下、高校生までは全国大会がありません。全国大会を開催すると、チャンピオンを決めるためにトーナメント制を採らざるを得ず、試合に出られない補欠の子どもを生み出してしまうからです。対して日本の部活動は、勝利至上主義であったり、活動からいろいろなことを学び、成長することが前提となっていたりするケースが見られます。そのため、一部の生徒や教師にとっては、息苦しさを感じる側面があります。海外と日本、どちらの考え方が優れているとは言えませんが、教師に過剰な負担を強い続けてまで教育的意義を追求するよりも、欧州のように、多くの人々が生涯にわたってスポーツに親しむことを重視する考え方は大切であるように思います。

「指導者が必要」な練習は、
もっと減らすことができる

今後は、生徒のためにも、教師のためにも、部活動の時間を大幅に削る必要があると考えます。具体的には、1週間で、できれば5時間以内、長くても10時間以内には抑えたいものです。1日90分の練習を週5日とすれば、週7~8時間程度になります。月曜日から金曜日のうち、休養日を除く4日と、土日のうち1日を使うイメージです。それ以外の時間は、子どもたちが遊び、学ぶ時間に充てるべきです。より上のレベルを目指したい子どもは、その間自主練習をすればよいですし、週に1、2回スポーツをしたい子どもは、部活動以外のやりたいことをすればよい。集団練習と個人練習(ウェイトトレーニングなど)の時間を分け、個人練習のパートは、最初だけコーチが基本の型を指導すれば、あとは個人で行えますし、ICTを使えば、練習記録を管理したり、個人練習と集団練習の連携を図ったりすることができます。また、米国を中心に、最近はオンライン指導の仕組みが発達していますので、活動場所に行かずに指導をするといった選択もできるとよいでしょう。そのようにして、指導者が指導の時間を圧縮して個人練習の時間を増やしつつ、地域のクラブへの移行を進めるといった、ハイブリッド型の仕組みを整えるべきです(*2)。

そう考えると、部活動の定義は、もっと自由に考えてもよいかもしれません。教育課程外の活動でありながら、結果的に何らかの学びがあるものはすべて部活動と捉えてはどうでしょうか。1つのモデルが東京マラソンです。東京マラソンは、順位や記録にこだわる人もいれば、お祭りとして楽しむことが目的の人もいて、参加する動機やスタイルは様々です。その多様性を受け入れつつ、ビジネスとしても成功していて、持続可能な形で回を重ねています。同様に部活動も、多様な価値観や目的を持つ人たちが集い、広がりを見せていくような形になれば素晴らしいと思います。例えば、「キャンプ部」をつくって、全国の有志の生徒とネットで連携しながら合同キャンプを企画したら楽しそうですし、活動の中から子どもたちは多くのことを学ぶでしょう。

*2 これからの部活動のあり方の詳しいアイデアは、為末氏のブログにて詳しく紹介。
https://note.com/daitamesue/n/n14ad39cb349e

為末氏は、自身の事業母体である株式会社のほかに、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティを運営している。写真は、2019年に、アジア各国の選手を招聘して実施した合宿での1コマ。

地域ごとの異なる事情や国の財源確保などの課題はありますが、中学生・高校生といった、子どもの成長が著しい時期に、子どもにとって本当に必要なことは何かを考えると、その答えは、部活動に連日打ち込むことではないと思います。部活動も選択肢の1つとして用意しつつ、それ以外の時間の過ごし方も本人が選べることが、将来、人間としての幅を広げたり、深みを出したりするための土台にもつながるのではないでしょうか。そして、先生方の負担が減り、スポーツを生涯にわたって楽しもうとする人が、今後一層増えることを願ってやみません。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

 

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為末大(ためすえ・だい)

Deportare Partners代表/元陸上選手

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