ー 本シリーズにこめた思い -----------------ーーーーー
社会の多様化・多層化のなか、一人ひとりの学びや成長の質をいかに保障していくのかがますます重要になっています。そのためには地域性や個人の発達特性の違いなど、さまざまに考慮すべきことも見えてきています。ただ、課題の原因も複雑化していて、学校だけ、家庭だけでは対応が難しいことや、従来の制度や発想だけに頼っては行き詰ってしまう事象も増えています。
そこで、学校を起点にして、先進的な取り組みで課題を解決しようとチャレンジしている事例から、これからの教育を考えていきます。
(企画・ベネッセ教育総合研究所 石坂 貴明)
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不登校児童生徒が急増し、通常の学級においても特別支援教育や合理的配慮が不可欠になりつつある今、学校の「インクルーシブな環境」へのアップデートが早急に求められています。
多様な子どもたちがいることを前提に、すべての子の学びを豊かにする学校の実現のため、私たちは何ができるのでしょうか。インクルージョン研究者の野口晃菜さん(一般社団法人UNIVA理事)に実践のヒントをうかがいました。
野口晃菜(のぐち・あきな) インクルージョン研究者。博士(障害科学)。筑波大学にて多様な子どもが共に学ぶインクルーシブ教育について研究。小学校講師、株式会社LITALICO研究所長を経て、一般社団法人UNIVA理事として、学校、教育委員会、企業などと共にインクルージョンの実現を目指す。共著に『差別のない社会をつくるインクルーシブ教育』(学事出版)、『LDの子が見つけたこんな勉強法「学び方」はひとつじゃない!』(合同出版)、『発達障害の子どもが「困らない」学校生活へ』(NHK出版)などがある。
野口さんはこれまで、文部科学省「新しい時代の特別支援教育の在り方に関する有識者会議」「通常の学級に在籍する障害のある児童生徒への支援の在り方に関する検討会議」などで委員を歴任。現在は、次期学習指導要領改訂について話し合う中央教育審議会の教育課程企画特別部会で委員を務めるほか、戸田市(埼玉県)、箕面市(大阪府)、狛江市(東京都)などでも、学校や自治体と共に、インクルーシブな学校づくりに取り組んでいます。
その学校づくりにおける大きなカギは二つ。「学校の“ふつう”をアップデートする」こと、そのためには、「教員も安心して働けるチームである」こと——。子どもも先生も安心して過ごせるインクルーシブな環境を目指し、学校や自治体がそれぞれのやり方でアプローチを始めています。
“ふつう”って何だろう? インクルーシブの本質に立ち返る
——今、さまざまな教育現場からどのような変化を感じていますか。
不登校の生徒児童が35万人に迫る(文部科学省調査によると令和5年度は過去最多の約34万6千人)という数字が示すのは、「学校は変わっていかなければならない」という子どもたちからの強いメッセージです。同時に、特別支援学校・特別支援学級の在籍者や「通級による指導」を受ける子どもの数も年々増加しています。
別の場で学ぶ子どもが増えれば、教員の数も必要になります。しかし、教員不足も深刻です。「通常の学級」でうまくいかない子どもは別の場で学ぶ、というこれまでのシステムには限界が来ているのではないでしょうか。
だからこそ、実践としても制度としても「通常の学級のあり方そのものを見直す必要があるのではないか」と私は思います。同じように考えている自治体や学校が増えてきました。
——理想として「インクルーシブ」を追求しようというより、もうそうするしかない状況に追い込まれていると言えそうですね。
まさに、今のままではどうしようもないという切実なニーズがあります。全国の自治体から研修や講演の依頼も多いのですが、私は、「理念や理論だけで解決することは難しい」と考えています。もちろん、国が環境整備や条件整備をすることも重要ですが、加えて、その学校・その地域に合った改革が必要です。
——野口さんが「インクルーシブ」に興味を持った個人的なきっかけは?
私自身が、小学6年生の時に日本からアメリカの公立校へ転入したことが大きかったですね。通常級に在籍しながらESL(英語が第二言語の子のためのクラス)に通っていました。日本では、自分は“ふつう”だったのに、アメリカに行った途端に文化も言語もわからない、“ふつう”ではないマイノリティとなりました。そして同時に、私が通っていた学校では、障害のある子と共に学ぶことが“ふつう”でもありました。そのころの体験が今の活動の原点になっています。
「インクルーシブ」は障害の分野から出てきた概念ではありますが、障害のある子どもの権利を保障するためだけに必要なものではありません。外国にルーツのある子ども、性的マイノリティの子ども、貧困状態にある家庭の子ども、特定分野に特異な才能のある子どもなど、学校には多様な子どもたちが通っています。一方で、現在の教育や福祉はカテゴリーごとに縦割りで検討されることが多く、横断して全体のありかたを見直す構造にはあまりなっていない。
しかし今、外国につながりのある人の数も増え、家庭環境も多様化するなど、社会の状況はどんどん変わっています。合理的配慮の提供も全面的に義務付けられました。これまで以上に、自分と背景や事情が異なる他者とお互いの権利を尊重しながら生きるとはどういうことなのか、私たちは子どもたちと一緒に考えていかなければならない。
多様な子どもたちを学校に合わせるのではなく、多様な子どもたちがいることを前提として、子どもたちと一緒に学校や社会を変えていく必要があります。
——学校ではどんなことができるとお考えですか。
従来の枠に子どもを押し込むのではなく、学校の“ふつう”を見直すことこそ「インクルーシブ」の本質です。国連も「同じ空間にいるだけでは不十分」と指摘しています。そこで私は、「“ふつう”をアップデートしよう」と呼びかけています。今の学校の“ふつう”は、誰のためのものなのか。そこに目を向けることから、学校改革は始まります。
“ふつう”は、社会的マジョリティによって決められます。社会的マジョリティは、数が多いだけでなく、より権力を持ち、主流とされる集団です。例えば、多くの学校では、手書きでノートをとるのが“ふつう”ですよね。机に向かってじっと座ったまま45分間勉強することが“ふつう”、休み時間は友だちと一緒に遊ぶことが“ふつう”——。その“ふつう”こそが多様な子どもたちが安心して学ぶ上での「障壁」になっていないでしょうか。
実際、学校で出会う子どもたちは、とても多様です。発達障害のある子もいれば、家でケアを十分に受けることが難しい子もいます。あるいは、他者との関わり方が独特だったり、周りの人とは違う表現方法を持っていたり。そんな子どもたちにとって今の学校の“ふつう”は障壁になってしまっていないだろうか、と問いかけることからはじめます。
(具体的な実践については、狛江市、戸田市などの取材記事を後日配信予定)
インクルーシブに正解はない。学校ごと、地域ごとに探し続けるプロセス
——現在は、学校とどのように関わっているのですか。
先ほど、理念や理論だけで解決することは難しい、つまり単発の研修だけでは難しいとお伝えしましたが、必要なのは構造の見直しです。現在、戸田市(埼玉県)ではインクルーシブ教育戦略官として、大阪では箕面市支援教育充実検討委員会、枚方市支援教育充実審議会などに委員として参画しています。国が条件整備をしつつ、同時に行政と学校が連携しながら、今後どのようにその地域でインクルーシブ教育を進めていくのかという方針を行政の方たちと考えることも増えてきました。もちろん、学校の現場にも足を運んでいます。
しかし、「これさえやればインクルーシブ教育が実現できる」という魔法はありません。外部の専門家がふらっとやってきて「これが正解だからこの通りやってください」と押しつけるのは、むしろ新たな抑圧となります。私は、現場の先生や職員の方たちと「その学校(地域)らしさ」を大事にしながら対話を通して、一緒に模索することを大切にしています。
大前提として、先生たちは皆さん子どもたちのためを思い、差別をなくしたいと考えています。よい教育をしたいとも考えているわけですから、一度一緒に立ち止まって「どうすれば、多様な子どもたちがより楽しく学校生活を送ることができるか」「今の学校の“ふつう”は本当に子どもたちにとって必要なのか」を考えましょうと伝えています。
——学校や地域によってやり方は異なるということでしょうか。
はい。もちろん異なります。それぞれの学校の実践の背景には、それぞれの先生思いや経験、そしてその地域ならではの事情などがありますから。子どもたちの多様性と同じように、先生たちの多様性もとても大事です。
一人ひとりが大事にしている思いを聞いていくと、「実はこんなふうにモヤモヤしている」「自分のやり方はこれでいいのかと不安になる」などの葛藤を話してくださいます。先生同士でそのような葛藤を話し合う機会をつくるようにもしていますが、こうして安心して一緒に考える関係性をつくることは、インクルーシブを進めていく上でとても重要だと思います。
——ダメな理由を数えるのではなく、その地域や学校で大切にしてきたこと、その先生が大切にしてきたことを尊重しながら、一緒に考えていくということですね。
その通りです。たとえば、私が関わっている戸田市ではICTの活用やPBL(プロジェクトベースドラーニング)など、もともとあった土台を生かしながらインクルーシブな学校づくりを進めていますし、箕面市では以前から、特別支援学級に在籍している子どもも基本的には通常の学級で共に学ぶ環境がありました。今はそれを土台とした上で、学級運営や授業における基礎的環境整備を整えたり、必要に応じて合理的配慮を提供したりしていこうという動きがはじまっています。
学校全体の校内研修でインクルーシブについての共通認識を持ったうえで、先生たちが自主的に対話をはじめた学校もありますし、今年3月に行ったイベント「ふつうの日」(写真参照)に来てくださった先生が、2週間後に「総合的な学習の時間を使って、“ふつう”について考える授業をやってみました!」と教えてくださることもありました。
イベント『「ふつうの日」UNIVAインクルーシブ教育プロジェクト発表会』(2025年3月1日開催)では戸田市教育委員会・箕面市教育委員会・狛江市立狛江第三小学校が実践を発表。首長、教育長をはじめ全国25の教育委員会や自治体の職員、教員、保護者など、対面・オンライン合わせて404名が参加し、熱気に包まれた。インクルーシブな学校づくりへの関心の高さがうかがえる。(写真提供/一般社団法人UNIVA)
——最終的に目指す方向は同じでも、アプローチは多様であるということでしょうか。
子どもたちの学びも、先生たちの関係性も、インクルーシブへの道も、すべて入れ子型だと感じています。私自身も多様性の一部でしかなく、一人でできることは限られていますから、いろんな人とチームを組んで取り組んでいます。自分にはない視点を持つ人と一緒に取り組むことがとても大事ですよね。
目指したい大きな方向性としては、通常の学級が多様性を包摂できるように実践も制度も変革していきたいということですが、それぞれが自分の得意なことを発揮して、それぞれに生かし合いながら、多様なアプローチで実践も制度もアップデートしていくことが重要だと考えています。
「社会を変えていける」という実感を子どもが持てるように
——学校をインクルーシブにしても、社会に出るとインクルーシブではないので、将来子どもたちが困るのではないか、という声が聞こえてくることもあります。インクルーシブ教育は学校や社会の働き方改革にもつながるのでしょうか。
最近は企業向けの研修も増えています。今は、海外からの労働者、障害者の雇用率も増え、自分と異なる事情や背景を持つ人と協働すること、そのための「合理的配慮」や「環境の工夫」が不可欠な時代です。ですから、逆に、多様な人と協働する経験がなかったり、「合理的配慮」について知らなかったりするほうが社会に出て困るのではないでしょうか。
「今の社会はインクルーシブではないから子どもは社会に合わせて我慢しなければならない」、ではなく、だからこそ子どもたちと一緒に「よりインクルーシブな社会に変えていけると実感を持つ」ことが重要なのではないかと思います。
そのためには、先生たち自身の多様性が大切にされる環境が必要ですし、先生たち自身の声が大切にされて、先生たちも「環境や社会を変えていける」という実感が持てることが重要だと思います。まずはインクルーシブな職員室を目指している学校も少なくありません。
「私はここが苦手なんだけどどうしよう」「それならあの先生が得意だよ」などと、一人ひとりの先生が「力のある先生」になることを目指すのではなく、それぞれの得意を生かしたチームで、インクルーシブ教育を実践していける仕組みが必要です。
——学校によっては、他の先生と話し合う時間がないという状況もあります。
まさに次期学習指導要領改訂に向けては、「多様性に対応するための余白」について話し合われているところです。先生同士で話し合う時間を業務時間内に確保すること、そして余白が持てるような制度改革は必須です。同時に、学校の中で「チームとして働く文化」を根づかせるには、仕組みだけでなく、文化を変えていく必要もあると思います。
なんでも一人で解決できる先生がよい先生とされやすいですが、悩みや葛藤を共有することは悪いことではない、と思えるといいなと思います。そのような学校を見ていると、そういう文化が子どもたちに伝わっていると感じます。
研修に呼ばれると、一方的に講師の私が話すことを期待されることが多いのですが、研修の時間に、通常業務の中では話していないようなことを話すこともとてもよいと思います。
例えば「先生同士で、お互いの素敵なところ・得意なところを言い合ってください」というワークをすると、ほんの数分時間をとるだけで先生たちの表情が変わります。ネガティブな指摘だけではなく、ポジティブなフィードバックをお互いにする機会をつくると、自分自身も気づかなかった自分の得意なところに気づくきっかけになります。そのほかにも「モヤモヤトーク!」と題して、先生たちが日々の葛藤をただ話すこともあります。「自分もモヤモヤしていた」「モヤモヤや葛藤を口に出していいんだ」との感想も多いです。
管理職の先生が、「先生のがんばりを見ている」「応援している」と言葉で伝えることで、職員室の空気が変わる様子も見てきました。先生たちの背中が軽くなると、子どもたちへのまなざしもあたたかくなる。実際に、そういう学校経営をされている校長先生はすでにいらっしゃって、そのような学校に行くと、先生たちがお互いの得意を生かし合うチームになっていると感じます。
——野口さんも、やはり先生方にはそのように関わられるのですか。
子どもたちにこんなふうに関わってほしい、という姿勢で私自身が先生たちとお話しします。助言を求められることも多いのですが、できるだけ私は、「先生の思いを聞く」「一緒に考える」ことを意識しています。例えばこんな方法もありますよ、といくつか提案しますが、「どれが合いそうか」「やってみたいか」は私にはわかりません。
インクルーシブとはいえない環境で教育を受け、育ってきた中で、急に「インクルーシブ」と言われても、不安になったり、モヤモヤしたり、葛藤が生まれたりするのは当然のことだと思います。
先生たちが何か抑圧されているなと感じるときには、そこから解放して、心理的安全性をつくりたい。心理的安全性が確保された環境にいる先生たちからは、ワクワクが伝わってきます。「もっとこうしてほしい」「もっとこうしたい」ということを先生たちが安心して言える環境になれば、インクルーシブは進んでいくと思っています。本来、学ぶことも、教えることも、ワクワクして楽しいことです。
——現在は、新しい学習指導要領を検討する中教審の有識者会議にも参加して、現場の声を届けていらっしゃいます。
少なくとも、よりインクルーシブな方向に進めていこうという意図があって私が呼ばれているのだと理解しています。私たちには——大人も、子どもも、何かを表明することでそれが考慮される、自分は環境を変えていける、社会を変えていける、そんな体験が必要です。
先ほども言いましたが、すべては入れ子です。社会も、地域も、学校も教室も、一人ひとりの関係性もそうなっていくようにしたい。そのために、先生たちの声を広く届けていくことも、私の役割の一つとして大切にしていきたいと思っています。

太田美由紀







