私の専門は脳科学ですが、現在、東京藝術大学で現代アートを研究しています。実は、脳とアートは大変興味深い関係があり、アートが趣味・娯楽や学校教育の1教科にとどまらないことを脳科学が示しています。今回は、私が脳科学者の道を選んだ理由や、これまでの経験から日本の高校や大学に期待していることについてお話しします。

個性的と言われた小・中学生時代、
自分のことを深く知るために脳に関心を持つ

小学生の頃は、ちょっと変わった子どもでした。例えば、学校で出された宿題は、やるのが当たり前とされていましたが、私はあまりやりませんでした。理解できないところをできるようにすることが宿題の目的だと思っていたからです。そのため、理解できていることが宿題に出たら、やる必要はないと考えていました。テストの点数はよかったものの、教師が求める優等生像とは程遠く、担任にはけげんな顔をされてしまうこともしばしばでした。クラスメートからも、「自分たちとは違う」「変わっている」とよく言われました。しかし自分では、何が違うのかが分かりませんでした。

中学生になると、自分は周りのみんなが持っている「社会のルールブック」のようなものを持っていないのだと気づきました。友人はTPOをわきまえた言動ができるのに、自分は言ってはいけないことを言ってはいけない場面で言ってしまう。相変わらず成績はよかったのですが、それだけで許されるのはせいぜい学生時代まで。社会で生きていくための暗黙のルールを理解していないと、将来困難を抱えることになるだろうと思い、悩み始めたのも中学生の頃です。恐らく、脳の働きが関係するのだろうと考え、多くの文献に目を通しましたが分からずじまい。それでも脳への興味・関心は高まっていきました。

脳を研究するため、医学部ではなく、工学部へ

高校入学後は理系を選択し、国立大学を目指しました。受験勉強はよい経験だったと思います。勉強は頑張れば、着実に力がついていったからです。「今日はここまでやろう」と自分に課したタスクを日々こなし、ゲームを1つずつクリアしていくような感覚が楽しかったことを覚えています。また、クラスメートは目指す進路が違っても、大学合格という目標は同じでしたので、共通の目標に向かって一緒に頑張ることができました。その意味で、高校生活はそれなりに楽しく過ごすことができました。

目指したのは、東京大学。設置されている学部や自宅からの距離に加えて、リベラル・アーツを重視する学風にひかれたことが同大学を目指した理由です。進路選択時には、脳のメカニズムを知りたいという思いは既にあったものの、当時は脳科学という確立された学問領域はなく、私の関心のあることを研究することができる研究室があるのかどうかまでは明らかにすることができませんでした。大学に合格後、教養課程では知識の幅を広げていく楽しみを感じました。また、この2年間で、後の専門課程における業界地図のようなものを大まかに知ることができたのは、その後の選択のみならず人生における進路の取り方を学ぶという点でも非常に大きな意味がありました。

大学2年次の進学振り分け(現・進学選択)で、私は工学部を選びました。脳に興味があったのならば、医学部を選択すべきだったのではないかと思われるかもしれませんが、私は自分が医学部に不適格だと思っていました。そのため、臨床をやるつもりはまったくありませんでした。また当時は、脳の働きを精緻に調べるための機器が十分に整備されていなかったため、まずはそのような機器を開発する技術を学び、高精度な機械を自分でつくりたいと考え、工学部に進みました。

自分の進路選択に責任を持つ強さを

高校での進路選択や大学での進学振り分けを経験して感じたのは、自分が何を、どのように学びたいのかを絞り込んで固めていくプロセスの大切さです。自分のやりたいことと、それを実現させることができる場所が高校の段階で明確になっていれば、目標に向かって突き進むことができるでしょう。しかし、そこまで具体化することができる高校生はそう多くはないと思います。大学入学後、しばらくの間は視野を広げ、教養を深めてから自分の目指す道を選べるような教育システムが、もっと広がることを願っています。

同様の理由から、高大接続がさらに進化してほしいと思っています。高校の3年間を受験勉強だけで終わらせず、自分のやりたいことを見つけるための様々な経験を積む時間とするべきだと考えます。そして、高校の3年間で見つけた自分のやりたいことを大学で深めていく、そういった高校と大学の連動性をもっと高められたらと思います。そのためには、高校生のうちから大学のことをもっと知る機会を増やす必要があります。自分の高校時代を振り返ると、脳の研究が大学でどのように行われているのか、大学生や大学院生に話を聞く機会がもっとあればよかったと思っています。現在は高校でもキャリア教育が行われ、探究学習が重視されていると聞きます。そうした教育がさらに深化していくことを願っています。

ただし、高校や大学だけに変化を期待するのは好ましくないと思います。卒業後の進路選択は、自分の人生の分岐点となり得る大切な節目です。高校生は、保護者や教師の意見をうのみにするのではなく、自分自身で考え、選択し、その結果に責任を取ろうとする強さを持つことがとても大切です。周囲の意見に従って失敗したとしても、最終的にその責任を負うのは自分自身なのですから。

美は人間を救う可能性がある?
脳科学のアプローチから研究を続ける

最近は、リベラル・アーツの重要性が広く認知されるようになりました。それ自体は喜ばしい半面、リベラル・アーツのことを正しく理解している人が少ない点を危惧しています。日本語では一般教養などと訳されますが、単に教科横断的な知識やスキルをインプットすることではありません。リベラル・アーツはほかの動物にはない、人間だけが持つ、高度な価値判断の知的行為です。そのことは、脳とアートの関係にも関連しており、私が現代芸術を研究している理由の1つでもあります。

なぜ自分は周囲と同じような思考や言動ができないのだろうという、私自身を探究することとも言える理由から、私は脳科学を研究してきました。しかし最近は、長い目で見た人類の存続と脳のかかわりについて考えています。哺乳類の総数のうち9割は人類とその家畜であるという試算があります。繁殖という観点からみれば、事実上、地上の覇者といえるかもしれません。けれども多くの人から不安や不満、怒り、悲しみ、怨嗟の声が、絶えず聞かれるのもまた事実です。人類はどうしてこのような苦しみの中に栄華を誇っていられるのか。今は、この疑問をどうにかして解決したいがために、私は脳科学的なアプローチで未来を捉えるという手段を引き続き選択しました。その中で「美」がこの問題を解く鍵になる可能性があることに着目しています。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

中野・信子(なかの・のぶこ)

脳科学者 東日本国際大学特任教授、京都芸術大学客員教授。

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