人はいくつになっても学び続けることができる――僕はそう確信して、行動してきました。戦後初の独立系生命保険会社「ライフネット生命」を創業したのは、還暦の頃です。新しい知識との出合いにワクワクし、楽しいと思ったことはとことん突き詰めて本質を理解し、自分なりの考えを持つこと。その大切さや素晴らしさを、現在は大学の学長として世界に伝えたいと働きかけ続けています。今回は、これまでの僕の経験を交えながら、「知ること」「考えること」が教育上どのように大切なのか、その一端をお話ししようと思います。
誰にも負けないくらい本を読み、勉強して知識をものにする
今でこそネット通販型の保険は普及していますが、20年程前までは、保険商品の購入方法と言えば、代理店の営業担当者による対面販売のほぼ一択でした。また、戦前に制定された法律の壁や、それまでの商習慣などに縛られ、日本は世界有数の市場規模を持っていたにもかかわらず、業界内の自由度や事業の透明性などは、海外の先進国と比較して遅れていました。大学卒業後、日本生命に就職し、国内外の生命保険業務に携わっていた僕は、日本の生命保険を変えたいと、60歳にしてゼロから保険会社をつくることを決心したのです。
創業に至るまでも、その後も、ライフネット生命が困難を乗り越えられたのは、僕1人の力ではなく、経営パートナーや出資者など、多数の人たちの尽力の賜物です。その前提で、事業を支えるために僕が誰よりも努力し、負けないと自負しているのは、保険に関する知識です。20代の頃から、世に出ていた保険の書籍は読み尽くしました。主だった保険会社の社史までもです。読んで分からないことがあれば必ず調べたり、誰かに質問したりして、必死に勉強しました。そうした積み重ねの結果、保険のことで知らないことはないと断言できるまでになったのです。
豊かな知識を裏づけに熟考を重ねた結果、下した判断には説得力が伴います。日本生命に勤務していた頃、一見、直感だけで即断即決していた上司がいたのですが、彼の判断は後から見ても適切なものばかりでした。判断の対象をあらかじめ勉強し尽くしていたからこそ、ここぞという時に最適な答えをすぐに見いだせていたのだと思います。その上司の姿勢を僕も学び、今日まで実践し続けてきたからこそ、道なき道を切り拓けたのだと思います。もし、学校の先生方に、「子どもに伝えるべき、未来を生きるために必要なこととは何か」と聞かれたら、僕は「知ること」「考える力」だと答えるでしょう。
中学校時代に憧れたアレクサンドロス大王をきっかけに、
能動的に情報を得て、「なぜ?」を考える癖をつけた
知識への興味は、幼少期から強い方でした。本もよく読んでいました。中学生の頃に歴史書を読み、最も憧れていたのが、マケドニアのアレクサンドロス(アレキサンダー)大王です。大王に関する本を片っ端から読んでは憧憬する中で、「大王は何年も戦争を続けているのに、なぜ一度も負けることなく、領土を拡大することができたのだろうか?」と疑問を覚えるようになりました。僕は中学生ぐらいまでは体格が大きい方で、よくけんかをしては大抵勝っていたものですが、負ける時もありました。だから、はるかに大規模な戦争を続けて、兵力も減るはずなのに、負けなしとはどういうことだったのだろうかと思ったのです。いろいろと調べてみると、大王は、新しい兵力を外部から取り入れては遠征先に送っていたことが分かりました。さらに調べたり、考えを巡らせたりした結果、人員補充や軍需補給のために必要な道路整備や情報収集の仕組みは、彼自身が初めて考えたのではなく、別の統治者が過去に構築していたネットワークを乗っ取って再整備したことに気づき、そういうことだったのかと、腹に落ちてすっきりしたことを今も覚えています。
本を読んで知識を豊かにすることの大切さは論を待ちませんが、さらに、その知識を受け身で得るだけでなく、自分が納得している知識や科学的に明らかなことと照らし合わせ、「なぜだろう?」を繰り返しながら情報を受け止め、考え、自分の中で知識を腹落ちさせることが重要です。それによって、対象に対する理解がより深まり、知識の汎用性が高まるなど、得られるものが大幅に増えます。僕の場合は、幼少期に、「なぜ? 何で?」を連発し過ぎて、親が答え切れずに本を買い与えた結果、読書にのめり込んだといういきさつでしたが、「なぜ」のきっかけをつくり、その答えを得るためのすべを伝える保護者や教師の働きかけも大切だと思います。今、世界は、自分の頭で考えることがより重視される社会へと変化しています。子ども時代に身につけた「考える癖」は、自分の意思決定や表現が必要とされる場面で、生涯にわたって役立ち続けます。その意味で、子どもはもちろん、大人も、考えながら知識を豊かにする作業を怠ってはいけないのです。
(本記事の執筆者:神田 有希子)