幅広い領域で精力的に取材や執筆活動をされている、編集者・ライターの太田美由紀さんによる連載コラム「子どもと教員がいきいきと動きはじめる学校」です。

※筆者プロフィールは末尾リンクから

視点が変わり、新たな可能性が生まれるきっかけは?

昨夏からはじまった連載も、今回で最終回となりました。前回、第11回「困りごと」を開示する では、二つの学校の実践をご紹介しました。

こうあるべきから解放され、評価されることなく安心して自分の意見を言える。価値観が異なっても、お互いを尊重して話をしっかりと聴き、対話ができる。二つの学校の実践に共通するそのような環境を、短時間でも、数人でもいいので可能な範囲で確保することが最初の一歩になりそうだとお伝えしました。

しかし、その状況に持っていくこと自体が難しい場合もあるでしょう。学校はもちろん、企業も家庭も人間関係も、同じ構成のままでは関係性が強化されてしまうことも多く、内部から新しい関係性に組み替えるきっかけがつくれないのです。

そんなとき、先生たちの視点が変わり、新たな可能性が生まれるきっかけとなるのは、「外からの風」を取り入れることです。書籍『学校とは何か』でご紹介した教育委員会が主体となった実践から、ダイジェストでご紹介します。
 

学校や教員からは見えない新たな視点を手にする

学校で、教室で、子どもたちの何を見るか。その視点をほんの少し変えることで、世界はずいぶん変わって見えるようになります。

兵庫県豊岡市の教育委員会では、市内の全小学校1、2年生に演劇ワークショップを導入しています(2022年度から全小学校1年生、2024年度から小学校2年生に導入。先行して、2017年から市内全ての小学校6年生と中学校1年生に演劇的手法を取り入れたコミュニケーション教育を年間7時間実施)。

豊岡市在住の劇作家、平田オリザさんが監修し、演出家でワークショップファシリテーターのわたなべなおこさんがプログラムを作成。取材時には、平田オリザさん主宰の劇団「青年団」からもファシリテーションのサポーターが参加していました。
 

自分たちでつくったステージをくるりと囲んで子どもたちが座る。最初にファシリテーターがデモンストレーションを見せる。(『学校とは何か』より)

 
1年生は、ステージで自分のなりたいものに変身し、見ている人は何に変身しているかを当てるというワークショップ。ねらいは「体や声、言葉を使った演劇的な表現活動を通して自分の考えや気持ちを表出し、受容される経験を通して児童一人ひとりの自己肯定感、自己有用感を向上する」と設定されています。

2年生はグループごとに「お題」を与えられ、その「お題」が観客に伝わるように短い創作を行うワークショップ。「自分とは異なる考え方や価値観を持つ他者の存在を認識し、他者と向き合い、自分との違いを受け止める」「自分と他者との違いをすり合わせ、集団の中で合意形成をとる」というねらいが設定されています。

演劇ワークショップですから、一つの正解があるわけではありません。子どもたちは自由にチャレンジし、表現しますが、失敗もありません。全ての表現をその人にしかできない大切な表現だと捉えます。子どもたち同士でそれぞれの発表を見て、自分たちの表現をパージョンアップしていきます。中にはほかの子どもたちの様子を見ているだけの子もいます。

特筆すべきは、子どもたちだけでなく担任の先生にも影響があることです。ワークショップが行われている間、担任の先生はその様子を客観的に観察し、その横にスタッフの1人が座り、リアルタイムで先生に状況を解説します。

例えば、ファシリテーターは、主体的に参加していないように見える子に対して声はかけても、参加するように注意することはありません。その子の気持ちに気を配り寄り添いながら、自ら参加したくなるのを待ちます。そのとき、ファシリテーターが子どもたちの行動や発言をどのように捉え、それを踏まえて子どもたちにどのように関わっているのか。それによって子どもたちがどのように動き出すのか。子どもたちの行動の裏の気持ちをどう捉えているのかを解説するのです。

ワークショップ終了後、ファシリテーターと担任の先生で行う15分の振り返りでは、気づきをていねいに伝え合います。集中して参加できない子がいた場合には、その子の心の状態をどのように見立てたかを話し合います。ほかの子どもたちからかけられた声にどう反応したか、その子がどんなふうにみんなの様子を見ていたか、小さくつぶやいた言葉の裏の気持ちは何か——。

豊岡市の教育研修センターに所属する指導主事の柳原守さんは演劇ワークショップを見学するたびに、その効果を目の当たりにしてきたと言います。

「ファシリテーターの方は、必ずしも担任の先生がファシリテーターと同じ視点にならなくてもいいと言います。ただ、外部の方が見ることで、子どもたちを違う面からポジティブに評価してくださるのは、子どもたちには新鮮で勇気づけられますし、失敗してもいいという視点は、教員にとって子どもたちとの関わりの大きなヒントになります

ファシリテーターの声のかけ方や関わり方を見ている子どもたちは、少しずつあることに気がつきはじめます。演劇ワークショップには正しい振る舞いや決まった正解などはなく、ファシリテーターはそれぞれの表現を尊重し、面白がってくれる。そして、「自分なりにどんな表現をしてもいい」ということに気がつくのです。

すると、子どもたち自身もお互いの個性を尊重し、やりたいことや意見の違いを認めながら、みんなが楽しむにはどうすればいいかを考えてパフォーマンスをつくるようになっていきます。

例えば、大きな声を出すのが苦手な子には静かに立っている役柄を、グループの話し合いに参加するのが苦手で動き回ることが楽しい子には体を大きく動かし走り回る役柄を設定するなど、それぞれのやりたいことや得意なことをパフォーマンスの中でどう生かすかを考え、あの手この手で試しはじめます。

「最初の頃はその関わり方の違いに戸惑う教員も少なくありませんでした。私も中学校の教員でしたから、はじめは驚いたものです。しかし、新しい視点を手にして子どもたちの変容を実際に見ることで、なるほどと納得できるようになっていく。学校の管理職からも、ほかの学年の教員にも体験してほしいという声が出るようになりました」(柳原さん)

この取り組みへの視察も多く、兵庫県では宝塚市、養父市、新温泉町でもはじまったほか、京都府の宮津市、与謝野町、大阪府の豊中市、枚方市など、市内全小学校実施やモデル校実施などが少しずつ広がっています。
 

自分自身を子どもの立場に置き換える体験を

大阪府教育庁主催の「障がい理解教育研修」(ベネッセこども基金との連携協定により実施)として、インクルーシブ教育を実践する視点を育成することを目的に開催された研修「ダイアログ・イン・ザ・ダークの体験とディスカッション」についても少しご紹介しましょう。

2024年1月、大阪府下の市町村教育委員会に所属する指導主事を中心に、大阪府教育庁指導主事、府立学校管理職など、合計38人がこの研修に参加しました。あるホールに、純度100%の暗闇——目を凝らしても全く何も見えない空間——をつくり、6〜7人のグループで90分の暗闇体験をします。グループには1人のアテンド、視覚障がいのある案内人が付き添います。

暗闇の中では白杖(視覚障がいのある人が使用する白い杖)を使いながら移動するしかありません。参加者は互いをニックネームで呼び合い、所属や肩書きもわからない状態で不安を抱えながら研修ははじまります。

視覚を遮られた空間ではお互いの微かな気配や声が頼り。「〇〇はここにいます」と「声で自分の状態を伝えなければ、自身の存在さえなくなりそうだった」(参加者)という暗闇で、周囲の情報を共有しながらはぐれないように移動します。

この日のテーマは運動会。暗闇の中の玉入れは、落ちた玉がどこにあるか、自分がどこにいるかもわからなくなってしまいます。何か心配なことがあると、話にも集中できません。話を聞き逃したと伝えたら、アテンドから「何度でも聞いてくださいね」と優しい声が返ってきます。はぐれて困っていると「大丈夫ですよ」と手を差し伸べてサポートしてくれます。参加者は、先の見えない暗闇の中で安心して前に踏み出すためには何が必要かを実感していました。

体験後、インクルーシブについての講演を挟んで60分間の対話が行われます。暗闇での自身の体験をシェアするうちに、アテンドと参加者の関係は、教室での教員と子どもたちとの関係にも置き換えられるのではないか、障がいのあるなしに関わらずどんな子どもにも、教員についても同じことが言えるのではないかという気づきが生まれました。
 

暗闇の体験後、別室に集まりインクルーシブの講演を聴き、対話を行う。(ベネッセこども基金ホームページ https://benesse-kodomokikin.or.jp/activity/performance/2024/05281058.html
より)

 
「わからないって不安なんだと思った。今いる場所やこれから起こることだけでなく、人に対してもそうで、認めてもらえる声かけや失敗しても大丈夫という雰囲気がとても大事」

人って実はすごく助けてほしいし、誰もが不安な思いを持っている。本当はもっと確かめ合いながらつながりたい生きものなんだと感じました。そのとき、肩書きや関係性が邪魔になることがある。それをリセットできる状況を日常でもつくることが必要

これらはごく一部ですが、暗闇での90分を体験した参加者から出た感想には、リアルな実感と嘘のない言葉の力がありました。

大阪府教育庁市町村教育室小中学校課の指導主事(当時)である小林大志さんは、この研修を次のように締めくくりました。

信頼関係ができた中で対話をすると、こんなにも深まるということにも驚きました。『主体的・対話的で深い学び』と私たちはよく言いますが、『深い学び』とはまさにこういうことなのだと身をもって体感できました」
 

あなたが一歩踏み出すことで学校は変わりはじめる

今回ご紹介した二つの事例は、教育委員会が主導して「外からの風」を入れた実践です。今はこのような問題意識を持つ教育委員会が増えていることをまずはお伝えしたかったのですが、私はこの取材を通して、私たちが持っている価値観や視点を問い直し、組み替えていくためにはリアルな現場での体験が鍵になっていることに気づかされました。

子どもとの関わり方を客観的に見る機会をつくる。自分自身を子どもの立場に置き換えられるような体験をする。私たちの価値観を組み替えるのは、心身がざわつくようなリアルな体験です。知らない誰かの体験から抽出されたわかりやすいキャッチフレーズを読んだだけでは何も変わらない。私は文章の無力さをまざまざと感じました。

学校の中だけで身動きが取れなくなっている場合には、外部のさまざまな分野のプロフェッショナルに学校に入ってもらうこと、もしくは、先生自身が学校から飛び出し、教育という枠を超えて体験を広げる機会を持つことが必要なのだと思います。

また、体験を体験だけで終わらせないことです。肩書きや関係性を取り払い、それぞれが体験から感じたことを持ち寄り対話する場を経験し、つながりをつくる。そしてそれを校内で広げていくことで次の扉が開きます。

学校はブラックな職場だと言われることも多いのですが、拘束されていると感じるのは時間のことだけではないと言う先生もいました。タスクや規制によって精神や思想が拘束されているように感じるからではないかと、強い思いを伝えてくれました。

選択の余地がなく、やらなければならない仕事が増えていく日々の中で、教員が主体的に学校を変えようと動き出せば、仕事にかける時間はより長くなることもあるかもしれません。

しかしながら、先生たちが失敗を繰り返し何度も挑戦を重ねることで、子どもたちがいきいきと本来の姿を発揮できるようになると、その様子を見て手応えを感じ、先生自身もさらに動き出すという現場がたくさんありました。ベテランの先生も子どもたちの姿を見ることでどんどん変わっていくのです。これまでに取材した公立の学校や教育委員会の方たちからは、そのような事例をいくつもうかがうことができました。

教育委員会、学校、学級、職員室の数人の先生、どこからでもそのきっかけはつくることができる。バタフライエフェクトと言われるように、一人が踏み出す一歩は蝶の羽ばたきのように微力かもしれませんが、それが、いつか大きな波となって広がり、学校を、教育を、未来の社会を変えていくはずです。
 

 

本連載をお読みいただきましてありがとうございます。これからも「子どもと教員がいきいきと動きはじめる学校」があれば取材に伺い、より良い学びの実現につなげたいと考えています。今後もベネッセ教育総合研究所の活動にご期待ください!
(本企画担当・石坂 貴明)

 
 
※本連載は、太田氏が学校取材を担当した以下書籍より再構成、改変したものです。詳しい事例については書籍をご参照ください。

『学校とは何か 子どもの学びにとって一番大切なこと』(汐見稔幸 編著)
本体価格 1,000円(税別)、出版社 河出書房新社
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309631769/