取材・文/太田美由紀 ※筆者プロフィールは末尾リンクから
撮影/武内太郎

ー 本シリーズにこめた思い -----------------ーーーーー
社会の多様化・多層化のなか、一人ひとりの学びや成長の質をいかに保障していくのかがますます重要になっています。そのためには地域性や個人の発達特性の違いなど、さまざまに考慮すべきことも見えてきています。ただ、課題の原因も複雑化していて、学校だけ、家庭だけでは対応が難しいことや、従来の制度や発想だけに頼っては行き詰ってしまう事象も増えています。
そこで、学校を起点にして、先進的な取り組みで課題を解決しようとチャレンジしている事例から、これからの教育を考えていきます。
(企画・ベネッセ教育総合研究所 石坂 貴明)
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戸田市教育委員会(埼玉県)は、戸ヶ﨑勤教育長のもと、教育改革、教育DXのパイオニアとして公教育を牽引してきました(特別支援教育は教育の原点 すべての子どもに多層的な支援システムを)。市内の小中学校では現在、特別支援と通常学級の連携、教員研修による価値観の転換など、各々の学校の特色を活かしながらインクルーシブ教育も進めています。キーワードは「特別でない、特別支援教育」の実現です。

今回訪れた戸田市立戸田東小学校では、昨年度(令和6年度)より、多様性理解や社会モデルについての授業を全学年で実施しています。すべての子どもたちが安心して学び合える教室づくりの一環として行っている、子どもたちが“ふつう”について考える「“ふつう”アップデート」という3年生の授業の様子を拝見し、学校としての取り組みやその体制についてもうかがいました。
 

「同じ」と「違う」を楽しみながら考える

 
「『わたしと友だちの同じところ』はどんなところかな? スポーツが好きって書いている人がいるね。あなたは本が好きなの? ほかに本が好きな人はいますか?」
岡田悦子先生の問いかけに、子どもたちが次々と手を挙げ、「同じだ!」「私も本好きだよ!」などと声が上がる。

「じゃあ、『わたしと友だちの違うところ』はありますか?」
「性別が違う」
「生まれた場所が違う。僕ね、北海道で生まれたんだよ!」
「身長も違うし、趣味も違う!」
子どもたちはワイワイと声を上げ、「同じ」と「違う」を楽しんでいる。
 

 
「違うとどんないいところがあるかな? もしみんな同じだったらどうなるかな?」と先生が問いを深めると、子どもたちは少し考えた。声が少しずつ大きくなる。
「誕生日がみんな違うからたくさんお祝いできる」
「みんな顔が同じだったらなんか怖い(笑)」
「考えが違うとケンカもあるけど、少しぐらいケンカしないと楽しくない!」

「みんな同じだったら子どもが生まれない」「死んじゃう日がみんな同じだったら絶滅する」と、SFのような視点も飛び出した。笑いと驚きが交錯する中で「やっぱり違うほうが面白いよ!」と大きな声が響いた。

岡田先生は続ける。
「今みなさんは、人と違うことをとても大事にできそうな気がします。社会には、男の子、女の子、目が見えない人、車いすの方、学生さん、ご高齢の方——。そう、すべてはあげられないほどいろんな人がいるよね。人それぞれ違うこと、違いを大事にすることを『多様性』と言います。今日は、この言葉をみんなに覚えてほしいのです」

ここから話題はバリア(社会的な障壁・生活をする上での困りごと)へと広がっていく。バリアがあるとき、どうすればいいかについてみんなで考える。
 

戸田東小学校では、バリア(社会的な障壁・生活する上での困りごと)を三角の大きさで表し、その三角がどうすれば小さくなるかを授業の中で子どもたちと一緒に考える。例えば視力が弱い人は、メガネをかけることで、バリアの大きさを示す三角を小さくすることができる。(画像提供/戸田東小学校)

 
視力が弱い人はメガネを使うよね。足が不自由な人は?——「杖とか車いすを使うよ」「周りの人が助けてあげる」「スロープとか、エレベーターをつける」
日本語がわからない人がいたら?——「日本語教室に行くとか?」「周りの人が日本語を教えて、周りの人が英語を学んだらいいと思う」「翻訳機を使うのはどうかな」

社会モデルや合理的配慮について、実際にその言葉を使わなくても、十分に子どもたちは理解できているようだ。岡田先生は、必要なタイミングでみんなの意見をまとめてわかりやすくポイントを伝える。
「バリアを表す三角(前出のイラスト参照)を小さくするにはいろんな方法があるね。道具を使ったり、人に助けてもらったり、この人が変わるだけじゃなくて、周りを変える方法もあります。みんなにとって三角はありますか? その三角を小さくするにはどんな方法がある?」

次々に出る意見は実感と結びついたものだ。そのうち休み時間にも話が広がっていった。「足を怪我してると、ドッジボールができないよね」「ボールを変えればいいんじゃない?」「ルールを変えればいい!」

そこまでみんなで確認した後、岡田先生が作った「多様性いろいろすごろく」を使って、班ごとに分かれて対話を進めた。
 

「多様性いろいろすごろく」では、止まったマスで指定されたカードを引いて、出たカード書かれていることについて、班のみんなで一緒に考える。

 
子どもたちは、「自分とはさまざまに違う人たちと一緒に生活するうえで、どんな工夫ができるか」について、日常に引き寄せて考える時間を存分に楽しんでいるように見えた。
 

「大規模校だからできない」ではなく、「だからこそ仕組みで支える」

 
戸田東小学校は中学校との施設一体型の小中一貫校で、小学校1年生から中学校3年生までの児童生徒を合わせると1500人、教職員が100人を超える。小学校だけでも児童は986人(令和7年度)、高学年は1学年6クラスという規模感だ。「市内でも落ち着いた学校」と語る校長の髙橋博美氏は、自身の立場についてこう切り出した。

「私は、いわばCEO的な立ち位置です(笑)。最高経営責任者として戦略を立て、経営方針を決めて、あとはそれぞれに任せて全体の統括をします。そういう環境の中ですから、前向きにチャレンジしてくれる職員が多いと感じています」
 

校長の髙橋博美氏の名刺には、「校長(CEO)」と肩書きが明記されていた。「学校を管理する(目標達成のために具体的に実行し、調整する)のではなく、経営する(大きな目標と方向性を描く)」という強い意志が込められている。

 
教育の柱としては、生活や総合を軸にしたPBL(プロジェクト型学習)による学びの改革を前任者から引き継ぎながら、スクールワイドPBS(ポジティブ行動支援)を取り入れ、子どもたちのポジティブな行動変容を促すことを目指している。

その考え方は、子どもたちだけでなく教員に対しても貫かれ、組織運営も“プロジェクト型”だ。研究推進のAプロジェクト(研究推進委員会に相当)、生徒指導のBプロジェクト(スクールワイドPBS)、そのほかにも健康増進やDXを進めるプロジェクトなどC・D・Eが稼働。全教員がいずれかに所属し、月1回・90分のプロジェクト会議を実施している。

たとえばDX・ICT系のプロジェクトでは3Dプリンタや新アプリの操作を実地で学び、Bプロジェクトではケース会議で支援を具体化する。その内容は最先端かつ多岐にわたり、従来の委員会を“プロジェクト”に置き換えることで、受身の会議ではなく “学び合いの場”として機能させ、横学年への展開を速める。髙橋校長は「話を聞いて終わりではなく試してまた持ち寄る。その循環を重要視している」と念を押した。

多様性・公正性・包摂性の理解・尊重を推進する「ふつうのアップデート」は、Bプロジェクトに含まれる。多くの教員がいる学校だからこそ、教員にも多様性があり、さまざまな価値観がぶつかることもある。しかし、それさえも包摂し、互いの理解を深めながら共に考えていくことが必要になる。髙橋校長は、そこに細やかな目配りを欠かさない。

「個人モデルから社会モデルの考え方へと移行する中で、環境への第1層支援(学校や学級全体を対象としたユニバーサルな支援)が大事なことはみんな頭では理解しています。しかし、中には、これまでのやり方を否定されたと受け取り、納得感を得られない教員も当然います。本当に全員が腑に落ちるまでは時間を要します。ただ、子どもたちの環境や身近な地域、そして世界の変化が加速する中で多層的な支援システムの必要性を感じて本気になってきた教員が増えてきているとも感じています」
 

「多層的な支援システム」では、この子は第1層、この子は第2層などと固定するのではなく、「国語は第1層支援で理解できるが、算数は第2層支援が必要」など、活動内容や成長段階により効果が見られるよう支援方法や指導方法を変えていくことを目的とする。(画像提供/戸田市教育委員会)

 
戸田東小学校には、学校全体の仕組みと教員一人ひとりの実践が重なり合い、日常の授業と学校の文化を同時に変えていく仕組みがある。「大規模校だからできない」ではなく、「大規模校だからこそ仕組みで支える」姿を模索しながら各プロジェクトを通して何度もトライすることで、こうして実現へと着実に歩みを進めてきた。

今回、「“ふつう”アップデート」の授業を全学年全クラスに展開するきっかけをつくった岡田先生は、前任の戸田市立喜沢小学校での経験を戸田東小学校に持ち込んでいる。1年目となる昨年度は、1年生から6年生まで合計34学級の授業を一手に担ったが、今年度は、通級指導教室2人、日本語指導教室1人、特別支援学級4人(うち1人が岡田先生)、合計7人が分担し、授業実践する体制が整った。

「一人の先生の取り組みで終わらず、学校全体に広がる仕組みがある」と岡田先生も手応えを語ってくれた。
 

“ふつう”にとらわれていたことへの気づきからのスタート

 
戸田市のインクルーシブ教育研修やPBS(ポジティブ行動支援)に触れる中で、自身の価値観が大きく揺さぶられたと熱く語る先生がいる。5年生担任で生徒指導主任を務める佐々木里紗先生だ。

「以前は、『忘れ物をしないのが“ふつう”』とか、『“ふつう”は前の日までに準備すれば持ってこられるよね』などと指導していました。でも今は、『どうしたら忘れ物をしないかを一緒に考えよう』と心から思えるようになりました。実際に、クラスの子どもたちと忘れ物の対策を相談したり、みんなでアイデアを出し合ったりして、そこから、その子ができそうなことを選んで試すなどもしています。私が当たり前だと思ってきたことが、そうではない子もいるということを実感できたんです。私もできることから少しずつですが、“ふつう”アップデートを始めています」
 

佐々木里紗先生は他市より昨年度赴任。現在は生徒指導主任であり、5年生の担任を務める。

 
昨年度市外から赴任してきた佐々木先生は、担任していた4年生のクラスで岡田先生が行った「“ふつう”アップデート」の授業を見たとき、大きな衝撃を受けたという。

「これまで、いかに私が“ふつう”ということを子どもたちに押し付けていたかにハッとしたんです。その授業は子どもたちに対するものでしたが、私自身が子どもと同じような目線に立って岡田先生の授業を受けていました。私はこれまで、子どもたちに“ふつう”であることを当たり前に求めていた。私自身が視点を変えなければ息苦しさを感じる子がクラスにもいるかもしれない。これはどうにかしなきゃいけない。そう思ったんです」

その後、佐々木先生の授業づくりも変わっていった。かつては学級全体が同じペースで進むことを重視した一斉授業が多かったが、今は、非同期型の授業が増えている。子ども同士の学び合いを意識的に取り入れ、意見の違いやペースの差を尊重するようになった。

「校長が、“もくもく学び”と“わいわい学び”という言葉を使って保護者の方にも説明するのですが、一人で学ぶほうが力がついていく子もいれば、友達との会話の中で自分の思考が整理されて学習が深まることもあります。私から一方的に教えるだけでなく、子どもが自分のやり方で表現したり、仲間と支え合ったりする場面をどう仕掛けるかを考えるようになりました。『違う』ことを価値として捉えるようになったのは、自分にとっても大きな転換です」

さらに、自身が担当する学級での第1層支援(全体への支援)を充実させることで、通級指導教室でのソーシャルスキルトレーニングが必要だと感じていた子どもたちの状況も変わっていくという考えも持てるようになってきた。

「ある子が学級で過ごしづらい状況になっているとしたら、それは社会側がつくってしまった障壁(バリア)が原因で、こちら側がやり方を変えたり環境を変えたりすることで、その子が過ごしやすくなると野口さんの本(『子ども主体ではじめよう! 学校全体で取り組む多層型SST 気になる子が複数いる学級・学校が変わる』)で学んだはずなのですが、それを実践するのはなかなか一人では難しくて。だから、私だけ、その子だけが頑張るんじゃなくて、私も含めて学級全体でソーシャルスキルを上げていくのがいいのではと思うようになり、それについての授業をクラスでもやってみました」
(※編集部注/2024年、このシリーズで先に紹介した、インクルージョン研究者の野口晃菜氏(教育現場におけるインクルーシブとは?——学校の“ふつう”をアップデートするために参照)が戸田市の「インクルーシブ教育戦略官」に就任している)
 

あえて授業のゴールや目的を設定していないことを子どもたちにも明示し、子どもたちへのアンケートをもとに、ソーシャルスキルについて一緒に考える時間とした。上記スライドは、実際に子どもたちが提案したアイデア。(画像提供/戸田東小学校)

 
「アンケートをとると、たくさんの子どもたちが仲間の輪に入ることが難しいと悩んでいることがわかりました。子どもたちはそれぞれの立場で、私では思いつかないアイデアをたくさん出してくれました。子どもたちの姿が私をまたハッとさせてくれます。私、頭ではわかっていても、どうしても今までの考え方から抜けきれないときがあるんです。そういうときは、野口さんの本(前出)を何度も見返して、あのハッとしたときの気持ちに立ち返っています」

目の前の子どもたちと一緒に、佐々木先生自身も少しずつ、そして確実に、“ふつう”をアップデートしているようだ。
 

異動が生む新しい芽 —— 戸田市から広がる教育改革

 
岡田先生は、前任の喜沢小学校で「誰ひとり取り残されない学校づくり」を掲げ、インクルーシブ教育を実践してきた教員の一人だ。その実践は書籍『学校全体で挑む 「誰ひとり」取り残されない学校づくり すべての子供のウェルビーイングを目指す』にもまとめられ、多くの教師や教育関係者に共有されている。その岡田先生が戸田東小学校に着任し、新しい授業を始めたことで、戸田東小学校にも新たな風が吹き込んだ。

一般に、公立学校の課題として「素晴らしい実践や学校改革をしても異動で途切れてしまう」と言われることが多い。しかし戸田東小学校では、教員の異動によって実践が別の学校へと持ち込まれ、新しい芽が育ち始める。髙橋校長も「新たな先生の動きが取り組みを広げる契機になる」と語るように、岡田先生の着任は学校全体のインクルーシブ実践を加速させた。

こうした動きは、戸ヶ﨑教育長が掲げる「“ふつう”のアップデート」「誰ひとり取り残されない教育」とも強く結びついている。市全体で授業や校内文化を変えていく改革の理念が、一人の教師の実践と重なり、それぞれの学校の現場で具体化されている。戸田東小学校での取り組みは、その象徴的な事例だと言えるだろう。教師の視点が変わり、学校の文化が変わる。その積み重ねが子どもの環境を整え、その環境がさらに学びを支える。

戸田市の教育は、制度と人の両面から動いている。制度が教師を支え、教師の実践が制度を具体化する。そして教師の異動が、新たな現場で改革を根づかせ、広がっていく。その循環が続く限り、「誰ひとり取り残されない」教育はさらに広がっていくはずだという期待を抱いた。