前回は、日本の学校教育システムの強みと課題、また、教育の本質が「自由」と「自由の相互承認」の実質化にあることをお話ししました。そして、これからの学校教育において変えていくべきことの1点目が「学びの構造転換」であることをお伝えしました。今回は、残る2点についてお話しします。

生徒が対話を通じて学校づくりに参画する機運が高まる

これからの学校教育において変えていくべきことの2点目は、「自分たちの学校は自分たちでつくる」ことです。多くの子どもにとって、学校は上からあてがわれる場になってしまっているのではないかと思います。しかし本来、学校や授業のあり方、ルールなどは、子どもも交えた対話を通して、合意形成しながら一緒につくっていくべきものです。自分の意見を表明する権利が大切にされた経験が少ないと、自分たちの社会は自分でつくるという使命感も生まれません。私は熊本市の教育委員を拝命していますが、学校改革の一環として校則・生徒指導のあり方の見直しを行おうと、学校管理規則を改正し、見直しに関するガイドラインを策定しました。同様の動きは全国各地に広がりつつあります。

2022年には生徒指導提要が改訂され、23年には子ども基本法が施行されました。校則の見直しに生徒がかかわれるようになった今回の生徒指導提要の改訂は画期的と言ってもよいでしょう。

ただし、目指すのは、生徒や教師などが対話を重ねて一緒に学校をよくしていくことであり、ルールの作成や変更はそのプロジェクトの一部分に過ぎません。校則の見直しに限らず、今の試みは何のためのものなのかと、常に目的に立ち返ることがポイントです。そこを怠ると、「この決まりは嫌だから変えよう」といったただの好き嫌いの議論に終始しかねません。民主主義におけるルールづくり、学校づくり、社会づくりとは、個人の趣味を主張することではありません。誰もが不利益を被らず、皆が自由になるために対話を続け、合意形成を図ることです。だからこそ、学校教育の中で対話を通して合意形成を図る経験を数多く積むことが非常に大切なのです。

鹿児島修学館中学校・高校では、「自分たちの学校は自分たちでつくる」ことの実践として、生徒や教師が車座になって対話を重ねる取り組みを行っている。テーマや状況に応じて、ワールドカフェ(*)形式の対話やオンラインでのパネルディスカッションを取り入れたり、保護者が参加したりすることもある。
*参加者が一定時間の中でたくさんの人と話し合い、あたかも世界を旅するように見聞を広め、自分になかった気づきを得られるようにする対話の手法。

学校を「ごちゃまぜのラーニングセンター」にして多様性を高める

3点目は、「学校を、多様性がもっとごちゃまぜのラーニングセンターにしていく」ことです。今の学校は、校種で分けられ、学年で分けられ、障がいのあるなしで分けられと、非常に同質性の高いコミュニティになっています。高齢者、障がい者、外国人などと、日常的にコミュニケーションが取れる場にもなっていません。自分と似た人ばかりに囲まれていては、異なる意見を持つ人と合意形成する力がつきません。同調圧力も必要以上に高まるでしょう。そこで私は、学校を「ごちゃまぜのラーニングセンター」にしていくことを長年提唱してきました。多様な人たちがあたり前のように同じ場で学ぶ環境をつくることで、学校をいっそう民主主義の土台となる場にしていくのです。福島県の大熊町には、こども園、小・中学校に加えて、大学のサテライト機関、教員研修機関などが1つになった「学び舎ゆめの森」があります。校舎の真ん中には大きな図書広場があり、地域住民も利用することができます。原発事故で長期の避難を強いられた町の復興のために、0歳から15歳までがともに学ぶ学校を地域のハブに据えたのです。この学校の可能性に引かれ、現在、移住者も少しずつ増えています。

今後、地方の過疎化はさらに進み、学校の統廃合が不可避になっていきます。そうした事態を、学校を「ごちゃまぜのラーニングセンター」へと変えるチャンスとするのです。これから10年、15年で、学校はこれまでとは大きくその姿を変えていくと思いますが、その最先端の姿は、都市部以上に、むしろ地方で見られるようになるかもしれません。

学校に「対話」の文化を

これからの学校教育において変えていくべきことの3点はいずれも、「自由の相互承認」の感度を高め、民主主義を学ぶ場とすることが最上位目的です。学校にかかわる当事者同士で対話を重ね、「学校は民主主義を学ぶところだ。自由に生き、自由の相互承認ができるようになるために学ぶ場所だ」と、皆が納得することが最大の推進力です。「そもそも学校は何のためにあるのか」を常に問い合うことを中心にした、対話の文化を学校の中につくりたいのです。その文化や仕組みをつくることができれば、おのずと前述の3点のことが実践され始め、見違えるように学校が変わっていきます。それは私自身がこれまで数多くの学校や教育行政機関とかかわり、そうした変化を目のあたりにしてきたからこそ確信していることです。対話できる文化を持つ学校は、必ずよい学校づくりができます。

ただ、多くの先生も、対話を通して合意形成を図る経験をあまり積んでいないところがあるのではないかと思います。そこで私のおすすめは、まずは校内研修を対話ベースにすることです。各自の肩書をいったん横に置き、全員が対等であることを共有した上で、自分たちの学校の最上位目標について対話を通して合意する。それに先立って、教師になろうと思ったきっかけや、教師生活の中で楽しいと感じる瞬間など、あえて青臭い話をすることも重要です。お互いをより知り合うことで、場に温かい雰囲気がつくられ、対話がしやすくなるはずです。そのような対話を重ねていくうちに、お互いを応援し合う文化もできあがっていきます。そうすると、前編でお話しした「学びの個別化・協同化・プロジェクト化の融合」などにチャレンジしたいという先生も増えてきます。「学びの構造転換」は、このような対話なしには決して実現しません。

市民の土台となる機関を地域・保護者と創りたい

最近の学校は、保護者の反応に対してとても敏感です。言わば転ばぬ先の杖をつき過ぎて、自分たちを余計に動きにくくしてしまっている面も多々あります。子どもたちがトラブルを起こさないよう、「あれもダメ、これもダメ」と、細かなルールを設けている学校もとても多い。でもそれは、子どもが自分たちで考え、行動する機会を、学校自らが奪うことでもあります。それに学校は、保護者のためのサービス機関ではなく、保護者を含め市民がともにつくり合うものです。子どもの学びと育ちを、ともに支える存在です。そこでは地域も保護者も教師も、一緒に支え合わないといけません。

子どもは、無菌室に閉じ込めてしまってはかえって抵抗力が育ちません。だから少々のトラブルがあっても、大人はすぐ手を出さずに温かく見守る場合も必要だと、保護者と対話で共通了解できる機会を意識的につくっていきたいと思います。もちろん、深刻な事故・事件は決して起こらないよう最大限努めることは大前提です。でも、そうした対話の場を通した信頼関係が築けると、保護者もちょっとしたトラブルをすぐに問題視するのではなく、子どもがそこから学び、成長することを、先生とともに大事にするようにもなるかもしれません。逆に、保護者の方からそうしたアクションを起こすことも重要かもしれません。先生、保護者、子ども、また地域の人たちも一緒に、対話を通して学校をともにつくっていく。そんな学校が全国に増えていくよう、私自身これからも活動を続けていきます。

(本記事の執筆者:神田 有希子)

 

苫野一徳(とまの・いっとく)

熊本大学教育学部准教授、熊本市教育委員

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