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- 【誌面連動】『VIEW next』教育委員会版 2024年度 Vol.3
教育によって、まちに新たな付加価値をもたらす 高校生・保護者・企業へのニーズ調査を基に公立大学設置を検討
岩手県 北上市
2025/03/17 09:00
企業を積極的に誘致し、工業都市として発展してきた岩手県北上市。全国的に人材不足が問題となる中、地元企業における高度人材の育成・確保を図るとともに、まちづくりの次となる施策として、公立大学の設置を多角的に検討している。大学設置の検討に関する取り組みについて、北上市役所企画部政策企画課に話を聞いた。
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北上市 概要
岩手県の南西部に位置する。昭和初期から企業誘致を展開。東北自動車道や東北新幹線などの交通網の整備と相まって、県内有数の工業都市として発展してきた。誘致した企業の定着に向けた人材供給も重視。市内には、県立工業高校と情報処理技能者養成施設のほか、情報系コースや工業系学科が設置された高校もある。
人口 約9万1,100人 面積 437.55㎢
市立学校数 小学校14校、中学校9校
児童生徒数 小学生約4,600人、中学生約2,400人
お話を伺った方
坂田信彦(さかた・のぶひこ)
企画部政策企画課
課長補佐
高橋智央(たかはし・ともひろ)
企画部政策企画課
政策マーケティング係 主任
市のシンクタンクが大学設置の可能性を調査・研究
古くから農業が盛んだった岩手県北上市には、かつて農家の長男が家業を継ぐと、次男や三男は職を求めて都市部に流出してしまうという課題があった。そこで、地域に働き口を増やすため、同市は昭和初期から工場を誘致。それらの工場への人材供給を目的として、同市が県に工業高校設置を働きかけた結果、1938(昭和14)年、市内に県立工業高校が開校した。
戦後は、近隣自治体と合併を重ねながら市域を広げるとともに、工場の誘致を拡大。現在は全10か所の工業団地、流通基地、産業業務団地を有する、県内有数の工業都市となった。岩手県の人口が年々減少する中、同市の人口は豊富な求人を背景に、指数は下がることなく横ばいを保っている(図1)。
一方で、市内には高等教育機関が少なかったため、10代後半の転出超過は顕著だった。また、市内企業の求人倍率は高く、人材不足の状態が続いていた。それらの課題に対して2021年、当時の市長は公立大学を設置する方針を打ち出した。
市長の意向を受けて、市のシンクタンクである北上市近未来政策研究所は、市内に大学を設置する必要性や、設置によって得られる効果、大学の設置・運営方法、市のまちづくりにおける大学のあり方などを調査・研究した。当時、同研究所の研究員として調査・研究を担当した、企画部政策企画課の坂田信彦課長補佐は、大学設置はまちの成長・発展のエンジンになり得ると話す。
「本市の人口は確かに横ばいですが、多くの住民が働いている日中は、市の中心部の人通りは少なく、閑散とした状況です。大学が設置されれば、大学生が周辺地域に住み、日中の飲食や娯楽の需要も高まります。アルバイトの担い手にもなるでしょう。大学生が、経済効果とともに、まちに活気をもたらしてくれることが期待できます。大学設置は、若年層の流出の歯止めや人材の確保・育成だけでなく、まちづくりの観点からも大きな効果があることが分かりました」
ほかにも、大学と企業との共同研究やインターンシップの実施、大学と小・中学校、高校との連携、社会人のリカレント教育の実施などが、大学設置の効果として考えられた。身近に大学があり、大学生と交流できれば、小・中学生や高校生は大学を具体的にイメージすることができ、大学進学の希望者が増えることも予想された。大学がもたらす文化水準の向上や、まちのブランド力アップも期待できる。
一方で、市の財政状況で大学を設置できるのか、設置後に入学者数を維持できるのかといった点が懸念された。調査・研究では、校舎を新設した場合や既存の建物を増改築した場合など、いくつかのパターンで設置経費を試算し、経常収益のシミュレーションも行った。加えて、2021年4月に開学した三条市立大学(新潟県)を視察。設置者の三条市は人口が約9万1,300人で、金属加工を主要産業とするものづくりのまちである点が北上市とも似ていた。三条市は、地元産業にイノベーションを起こせる人材を育成し、地域の活力の維持・増進を図ることを目的に大学を設置したということだった。
「本市は地方税が堅調に推移しており、普通交付税(*1)は減少傾向にあります。三条市から大学設置の進め方や経常収支などの話を聞き、本市の財政でも設置の可能性はあり、さらに検討を進めるべきではないかと考えました。市長にもそう報告し、大学設置を本格的に検討するという結論に至りました」(坂田課長補佐)
なお、EBPM(*2)を重視している北上市は、市の政策及び施策の調査研究、政策及び施策への提言などを目的として、去る2018年に北上市近未来政策研究所を設置している。
「民間のシンクタンクに調査・研究を依頼すると、地方行政の機微から離れてしまうことがあります。市役所内のシンクタンクであれば、外部の専門家の協力を得ながら、ある施策を市が実施した場合にどうなるかといった調査・研究を精緻に行えるため、ミスマッチも少なくなります」(坂田課長補佐)
*1 普通交付税は、地方交付税の1つ。地方交付税は、地方公共団体間の財源の不均衡を調整し、どの地域に住む国民にも一定の行政サービスを提供できる財源を保障するために、国が自治体に分配するもの。
*2 Evidence Based Policy Making の略称で、政策の企画をその場限りのエピソード(事例)や経験に頼るのではなく、政策目的を明確化した上で、合理的根拠(エビデンス) に基づくものとすること。
企業や高校生へのニーズ調査で、入り口と出口のエビデンスを確保
大学設置の構想を練る本格的な検討ではまず、ニーズ調査を行った。北上市が位置する県南地域の企業を対象として2022年度に行ったニーズ調査では、大卒の人材ニーズが高いことが分かった(図2)。現在、大学設置構想の業務を担当する企画部政策企画課政策マーケティング係の高橋智央(ともひろ)主任は、次のように語る。
「地域企業の求人は圧倒的に高卒者が多いと思っていましたが、本調査の結果では大卒者に回答が集まり、また、大学新卒者の採用を今後増やしたいという回答が55%に上りました。企業に話を聞くと、技術が日々進化し、世界との競争が激しさを増す中で、より高度な知識・技能を持つ人材を必要としており、企業の人材ニーズが変化していることを感じました」
2023年度には、岩手県内の高校2年生とその保護者、それぞれ約1万人を対象にしたニーズ調査を実施。高校生4,029人、保護者999人からの回答をまとめたところ、高校生、保護者ともに、経済的な負担が少ない国公立大学への進学を希望し、高校生の志望分野は工学系が最も多いことが分かった。また、進学を希望する学部などを有する大学が北上市内に設置された場合、その大学への進学を「希望する」「候補として考える」といった前向きな回答は6割超に上った(図3)。
「本調査では、本市に工学系の市立大学を設置することを前向きに捉えているのは約130人と算出されました。その結果は、大学設置への大きなエビデンスになると捉えています」(高橋主任)
地域の企業や教育関係者の意見を聞くために2回にわたって実施した「北上市大学等設置検討会議」では、市内の高校の校長から、「北上市を中心とする県南地域の生徒は、家庭の経済事情によって県外への大学進学を断念する生徒が相当数いる」といった話があった。公立大学の設置は、そうした生徒にとって大きな希望となると考えられた。
図3 岩手県内の高校2年生に対するニーズ調査の結果
岩手県内の高校2年生及びその保護者各9,922人を対象にアンケート調査を実施。回答数は、高校2年生4,029人、保護者999人。
※北上市役所の提供資料を基に編集部で作成。
100年先のまちづくりに向けて今、大学設置に投資
調査結果を踏まえて2024年度、「工学系単科大学」「入学定員100人程度」という方向性がまとまった。キャンパスは、JR北上駅と北上市役所を結ぶ間のまちなかを候補地とした。収益を上げるため、校舎は大学生に親和性の高いテナントなども入れて、複合施設にする計画だ。
2024年12月には、新設大学をテーマにしたワークショップを実施。市内4つの高校と、隣接する西和賀町にある高校から、高校生が21人も参加し、新設大学で学びたい内容やキャンパスの機能などについて議論した。すると、「大学生以外の人も活用することができ、地域の人々が交流する場になるとよい」「英語教育にも力を入れて、外国人留学生を呼んでほしい」など、様々な意見が出た。
「市内のある高校では、2023年度から2年連続して、1年生の授業で『北上市立大学の設置の是非』をテーマにディベートを実施しました。また、市が公表したニーズ調査などのデータや大学の動向などを生徒は実によく調べていて、ワークショップでは多様な意見が出ました。高校生が新設大学や市政に高い関心を持っていることに、頼もしさを感じました」(高橋主任)
大学設置に関する市民への説明会は2024年7月に開始。2025年1月末までの7か月間に36回実施し、延べ約2,200人が参加した。どの会でも市民からの質問は、「人口減少や少子化の時代に、入学者は集まるのか」「収支の見通しは立っているのか」の2点に集中した。
「入学者の確保については、ニーズ調査の結果など、エビデンスを示して説明し、理解を得られるように努めています。また、収支の試算は、開学までに必要となる校舎整備費などと開学後の運営費のそれぞれについて示し、国からの交付金などの見通しを説明しているところです」(高橋主任)
2024年度内には大学の基本構想を完成させ、2025年度に最終的な意思決定、そして2030年度の開学を目標に、具体的な大学づくりに入る予定だ。坂田課長補佐は、大学設置はまちが発展する大きなチャンスになると、言葉に力を込める。
「本市の規模の自治体が大学を設置するのは大きな挑戦です。5年先、10年先といった短期ではなく、30年先、50年先、ひいては100年先の北上市のまちづくりに向けた投資であり、税収が上向いている今がそのチャンスだと捉えています。大学は若者が集う教育機関です。まちなかを歩く若者が常にいることは、まちそのものの高齢化の歯止めになります。まちに新しい付加価値をもたらす次の一手として、大学設置の取り組みを進めていきます」