全国の教育長は、どのような視点で教育施策を考案しているのか。地域に密着しているベネッセの各拠点の支社長がインタビューしていく。第5回は茨城県教育委員会の柳橋 常喜(やぎはし つねき)氏。教員志願者が減少傾向にある中で、教員採用選考試験の見直しや働き方改革を積極的に推進する茨城県の取り組みについて聞いた。
茨城県 概要
関東地方の北東部に位置する県で、首都圏に近接しながらも豊かな自然に恵まれている。日立市、鹿嶋市、神栖(かみす)市を中心に工業が発展し、つくば市は研究開発拠点として名高い。都心からのアクセスも良好で、ビジネス・研究開発・生活環境といった多様な面での魅力を併せ持つ。
人口 約280万6,000人
面積 6,098㎢
公立学校数 小学校431校、中学校201校、県立中学校10校、義務教育学校16校、高校(全日制・定時制)100校、高校(通信制)1校、中等教育学校3校、県立中等教育学校3校、特別支援学校24校
教員数 約2万人 ※県立・市町村立学校の合計
児童生徒数 約26万人 ※県立・市町村立学校の合計
お話を伺った教育長
茨城県 教育委員会 教育長
柳橋 常喜(やぎはし つねき)
(プロフィール)
1987年、東京農業大学農学部卒業。茨城県立猿島(さしま)高校講師や上郷(かみごう)高校、真壁(まかべ)高校、水海道第一(みつかいどうだいいち)高校などの教員を経て、茨城県教育委員会の高校教育改革推進室長、高校教育改革・中高一貫校開設チームリーダー、高校教育課長などを歴任。2024年4月より現職。
聞き手
田邉 心技(たなべ しんぎ)
株式会社ベネッセコーポレーション
関東支社長
1.変化が激しい時代だからこそポジティブに
<田邉>日本の少子高齢化が加速する中、貴県も人口減少が課題と伺いましたが、そうした課題を踏まえて、これからの教育をどうお考えなのか、お聞かせください。
<柳橋>茨城県内の15歳人口は、ピークだった1989年の約5万人と比べると、現在はその半数程度です。その間、海外にルーツを持つ児童・生徒が増えるなど、社会環境とともにその内訳も大きく変化しました。
そうした変化を大人が恐れていると、若者は不安になってしまいます。変化が激しい時代だからこそ、現状をポジティブに捉え、新しい施策を講じていく必要があると思っています。
これからの時代を生きる若者には、社会がどう変わろうとも、それに動じないたくましさや粘り強さが求められるはずです。自ら課題を見つけ、その課題に関する情報を収集し、分析する力の重要性が増していくでしょう。そこで本県は現在、高い創造意欲を持ち、リスクに対して挑戦できる力である、アントレプレナーシップ(起業家精神)の育成に積極的に取り組んでいます。
その一例が、2019年度から始めた「IBARAKIドリーム・パス」です。それは、高校生らが地域の課題解決や自分の夢の実現に向けて立案した企画に、本県が活動資金を提供する取り組みで、生徒が持っている自らの未来を創造できる力を伸ばすことをねらいとしています。
また、今後グローバル化が一層進めば、異文化理解力がより重要になってきます。本県はグローバル人材に必要なスキルと英語力を養成する「次世代グローバルリーダー育成プログラム」を2018年度からスタートさせており、海外大学に進学する修了者が出始めるなど、一定の成果を上げています。
問題は、ここまで述べてきた力を今後、学校教育でどのように育成していくかです。その答えを見つけるのは容易ではありませんが、社会の変化のスピードに対応していけるよう、速やかに取り組みを進めていかなければならないと考えています。
2. 教員採用選考試験を筆記重視から人物重視に
<田邉>変化に対応するという意味では、教員採用のあり方も積極的に見直されていますね。その背景にはどのようなお考えがあるのでしょうか。
<柳橋>社会で求められる力が変わっていく中で、今後はそうした力を育む教育を実践できる人材を確保していかなくてはいけません。
喫緊の課題は、教員志願者が減少する中で、そうした人材をどのように確保するかです。そこで2024年度実施の試験から、1次試験の日程を全国で最も早い5月に前倒し、2次試験の結果通知も8月まで早めました。本県は都心へのアクセスがよく、首都圏の企業で働く人も少なくありません。早めに試験結果を出せるようにすることで、民間企業への就職を視野に入れている学生にも、教職という選択肢を検討してもらえるようにしました。
また、2025年度実施の試験からは、各教科等の専門教科・科目試験に代えて、民間の就職試験で使われている外部試験を受験できる新たな選考枠も設けます。そうすることで、民間企業への就職を志望する学生はもちろん、「教員免許を持っているが、今は民間企業で働いている」といった社会人も応募しやすくなり、学校が多様な経験を持つ人材の集まる場になっていくことを期待しています。
<田邉>試験の内容も見直されていると伺っています。
<柳橋>はい。2025年度実施試験の1次試験は、教育に関する総合的な知識を問う「教職専門」の筆記試験を廃止し、「専門教科・科目」の筆記試験のみとしました。「教職専門」は大学で多くの単位数が充てられており、教員免許を取得された方は既に十分な知識を得ていると判断し、筆記試験を廃止することにしました。「教員の質が下がるのではないか」といった声もありましたが、その懸念は初任者研修を充実させることで解消を図っていきます。「教職専門」の筆記試験を決して軽視しているわけではなく、1次試験では教科・科目の専門性をしっかり見て、実際に教員が現場に出てから困る部分があれば、研修等でフォローする考えです。
また、2024年度実施の試験から、2次試験の小論文を廃止し、替わりに模擬授業を取り入れました。生徒を支援・指導する際に必要とされるコミュニケーション能力をより確認できるようにしたいという考えからです。一般的な面接よりも、模擬授業を行ってもらう方が、教師に求められるコミュニケーション能力を受験生がどの程度身につけているのかを把握しやすいと考えました。
<田邉>模擬授業は、具体的にどういった形式で行われるのでしょうか。
<柳橋>受験者に10分間で授業の導入部分を実演してもらい、その内容について面接官が質問するという形式です。実際の授業も、最初の10分間で児童・生徒の心をつかめるか否かで、それ以降の授業の質が変わります。
なお、この面接の評価の観点は「表現力、伝える力、創意工夫など」の3点です。面接官は3人で、その中には教員経験者だけではなく、行政職員も加えることにより、多角的な視点で評価するようにしています。
3.「業務適正化」と「やりがい向上」を目指す働き方改革
<田邉>教育委員会内でも、それぞれの経験を生かした教員採用選考試験改革に取り組まれているのですね。同時に、学校現場の働き方改革も積極的に進められていると伺いました。
<柳橋>そうですね。これまで何年もかけて全県を挙げて働き方改革を進めてきました。時間外在校等時間を客観的に把握するとともに、テレワークや時差出勤なども取り入れることで、時間外在校等時間は全校種で着実に減少しています。
また、学校で行う業務の明確化と適正化を図り、外部のサポートをお願いできる業務は委託するようにしています。例えば、本県では44の市町村のうち、36の市町村の中学校が部活動の地域移行を進めています。2024年9月から原則として土日の部活動をすべて地域に移行した市もあります。
業務の適正化という点では、小・中学校において、時間割を工夫する自治体も出てきています。具体的には、新年度が始まる4月は膨大な事務処理に対応するための時間が必要なことから、1日の授業時間を5時間にし、削減した授業時間は5月以降でリカバリーするという工夫です。
長時間勤務を減らし、教員の心身の健康を保つことが最優先ですが、一方で、「働きがいの向上」という視点も忘れてはいけません。教員という仕事の魅力は、時間をかけながら子どもたちとのかけがえのない関係性を築いていくことにあります。その魅力がなくなってしまわないよう、業務時間を削減しつつ、子どもたちと向き合う時間の確保を図っていきたいと考えています。
<田邉>2024年度からは「働き方改革ブレイクスルー会議」を開催し、さらなる改革を検討されています。同会議の設置のねらいを教えてください。
<柳橋>これまでの取り組みによって、課題の整理をすることはできたのですが、課題に対する具体的なアクションとしてはどのようなことが考えられるのかというと、なかなか新しいアイデアが出ていませんでした。そこで、全学校種の、様々な立場の先生方に集まってもらい、それぞれの現場で取り組んでいることや工夫について情報交換しようと考えたのが、本会議設置の始まりでした。
本会議のメンバーの年齢や性別、経験年数などはバラバラです。校長を始めとする管理職だけでなく、中堅や若手の教員にもメンバーとして入ってもらっています。そのように、多様な視点で考えることで、新しいアイデアが生まれる可能性が高まります。メンバーの中には民間企業経験者もいて、職員室で実現できるような民間企業での取り組みを紹介してもらっています。2024年は半年間で7回、会議を開催しました。先ほどお伝えした、小・中学校における4月の5時間授業制の導入も、本会議から出たアイデアです。
<田邉>確かに、「働き方改革は、もうやり尽くした」と感じている自治体も多いと思います。新しいアイデアをどう生み出すかが今後のポイントになるでしょうし、それを校種を超えて共有するのは、とても意義深いことだと感じました。
最後に教育長ご自身の教育に対するお考えをお聞かせください。
<柳橋>私は日本の学校教育は本当に素晴らしいと思っています。教科横断的な学びの機会もありますし、授業の中には、社会につながる様々な“気づき”のチャンスがあふれています。
例えば、私は農業高校で教えていた経験があるのですが、そこでは大豆からみそを作るといった実習の授業がありました。そうした授業では、理科の授業で習得した発酵や微生物のはたらきに関する知識と、保健体育や家庭科の授業で習得した料理や栄養素に関する知識とをつなぎ合わせることで、人間の身体や健康を総体的に理解することができた生徒も少なくなかったと思います。さらにそこから新しいビジネスの種を見つけた生徒がいたかもしれません。
そのように、日本の学校・教師は素晴らしい取り組みをしていることを多くの方に理解していただきたいと思っています。そして、すべての児童・生徒が自分の本当に好きなこと、興味があることに挑戦できる教育環境を構築したいと考えています。そのためにも、現場の先生方のサポート体制のさらなる充実を今後も図っていきます。