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【誌面連動】「先生なら、どうしますか?」演じることよりも寄り添うことを選んだ時、 教師としての新しい日々が始まった
大阪府・私立箕面自由学園高校 大東範行

2020/01/16 09:00

教師としての指導観を問われた「あの瞬間」を、当事者の教師が振り返る「先生ならどうしますか?」。本誌で紹介したエピソードの土台となる教師の指導観について、ウェブオリジナル記事でより詳しく紹介します。

大東範行

同校に赴任して9年目。地理歴史・公民科。世界の様々な問題について探究する「グローカルリーダープログラム」などを通じた国際理解教育にも力を入れている。

自分のコンプレックスから、厳格な教師を演じていた

40代前半まで勤務した前任校は、受験指導に力を入れる進学校でした。私はその学校で、厳しい教師として生徒に接していました。そのため、生徒には恐れられていました。

私は元々正義感の強い性格で、「教師になった以上、生徒の過ちはささいなものであってもきちんと正さないといけない」「生徒のことは全部お見通しで、正しい道に導いてやるのがよい教師だ」といった考えがありました。それが生徒から信頼される教師のあるべき姿であり、そうした教師でいられるのであれば、生徒に嫌われても構わないと思っていました。

ただその思いが、純粋に正義感から生まれたものかと言われれば、実はそうではありませんでした。私には厳格で、常に正しい教師として虚勢を張らなければいけない理由があったのです。

私は私立高校から内部進学で大学に進学し、大学院を修了して教師になりました。一般選抜で進学していないこと、そして大学入試センター試験を受けた経験がないことが、進学校の教師として教壇に立つ私に、後ろめたさとしてずっとのしかかっていました。生徒がそのことを知った時、「大東先生は頼りにならない」などとなめられないよう、自分に威厳を持たせるために、必要以上に厳格に振る舞っていたのです。今の私にとっては、「なぜ、そんなことにコンプレックスを抱いていたのだろう」と思うようなことなのですが……。

本来、私が志したのは、そんな教師ではありませんでした。私が教師になろうと思ったきっかけは、高校生の時、一生懸命取り組んだ調べ学習の発表を、「すごくよい発表だった」「人に説明するのが上手だね」「君は教師に向いているよ」と、みんなの前で教師から褒められたことでした。自分が教師を目指すことになった出来事を思い返すと、きっと私は、生徒を励まし、生徒の力を引き出すような教師になりたかったはずなのです。そういった思いがあったにもかかわらず、生徒に恐れられている状況に、心の奥底では満足していなかったと思います。

変わったのは行動ではなく、その裏にあるマインドセット

およそ20年前、私が担任を務めることになった2年生のあるクラスには、問題を起こす生徒が多くいました。問題と言っても、学校行事の時に時間通りに集まらず、いつまでもおしゃべりをしていたり、服装違反をしたりといった程度のことでしたが、そうした言動が見られる度に、私がどの教師よりも率先して彼らを強く叱っていました。

正直、ほかのクラスの生徒、そして私を含めた教師たちからも、「あの生徒たちは……」と、半ば冷たい目で見られていたクラスでした。ですから、担任することが決まった直後は、「これまで以上に厳しく指導して、クラスを立て直してやろう」と奮い立ちました。

しかし、私を含めていろいろな教師が厳しく指導したにもかかわらず、それでも変わらなかった生徒たちです。私が今まで通りのスタイルで彼らに接しても、うまくいくわけがないのは明らかでした。そのことに気づいた私は、生徒を厳しく叱る教師から、生徒を信じる教師へと、自身のあり方を大きく変えることを決意しました。

叱っている姿の私しか知らない生徒の前で、「君たちのことを信じる」「君たちの味方でいるから」と、私は言いました。生徒たちがそれらの言葉をどのように受け止めたのかは分かりませんが、私は本気でそう思っていました。だから恥ずかしさや気まずさは、不思議なくらいありませんでした。

ただ、保護会で保護者に同じことを言う時は、教師になって1番といってよいくらい緊張しました。「子どもたちを信じようと言うけれど、誰よりも先生が、これまで生徒たちを疑ってきたじゃないですか!」。そんな批判の声が上がったらどうしようかと、内心とても不安でした。それでも、信じてもらうしかない、言うしかないと思いました。

以来、生徒たちと私の向き合い方は大きく変わりました。とは言え、校則違反は見逃さず、厳しく指導することは変えませんでした。変わったのは行動ではなく、マインドセットです。以前の私は、休み時間は職員室ではなく、廊下を歩いたり、教室で過ごしたりしていましたが、それは生徒が何か悪いことをしていないかと監視するためでした。しかしマインドセットが変わると、生徒の興味・関心や交友関係を知ることを目的に、生徒たちの近くで時間を過ごすようになりました。

生徒の気持ちに寄り添えば、生徒はそれに応えてくれる

クラス担任にはなりましたが、私は生徒たちに特別なことをしてあげたわけではありませんでした。ただ、朝のホームルームは楽しい時間にして、1日をスタートしてもらえるようにしようと思いました。そこで、日頃私が目にする生徒の様子、一人ひとりの生徒のよさ、個性を感じたシーンやエピソードをホームルームで話すことにしました。私のそうした話を聞くことで、生徒たちは互いのよさを認め合い、担任に自分は認めてもらえている安心感を得ることができるのではないかと思ったからです。

クラスの雰囲気が明るく、穏やかになるに連れて、私の中にあった無用のコンプレックスも消えていきました。生徒と進路について面談をする際にも、自分の高校時代の進路選択について、わだかまりなく話せるようになりましたし、コンプレックスを抱えていたことを生徒、そして同僚にも打ち明けられるようになりました。

ただ、私のマインドセットの変化は、単なる気の持ち方でなし得たことではないとも思っています。一般選抜で大学に進学していないということにコンプレックスを感じていた頃の私は、その負い目を拭い去るために、教材研究に没頭しました。教科指導に関する校外の勉強会にも時間が許す限り参加しました。そうしているうちに、最難関国立大学を目指す生徒たちから、「大東先生の授業は面白い」といった声が聞こえるようになりました。それも、怖い教師を演じて生徒との距離を取り続けるのはもうやめようと思えるようになった理由の1つかもしれません。

いずれにしても、私が今も教師を続け、やりがいを感じることができているのは、30代半ばであの生徒たちの担任になったおかげだと確信しています。虚勢を張ることをやめた2年間で、自分が本来目指していた教師になれましたし、生徒の気持ちに寄り添えば、生徒はそれに応えてくれることを、生徒から学びました。

先日、私の教え子で今、同僚として働いているT先生に、「当時のことを覚えている?」と聞きました。彼は、「最初のホームルームで、『君たちのことを信じる』と大東先生が言ったことは、今でも覚えています」と答えました。そして、「毎朝のホームルームでの先生の話が面白いから、学校に頑張って来ているというクラスメートも多かったんですよ」と教えてくれました。さらにこうも言いました。
「厳しくて、怖い大東先生のままだったらどんな2年間になっていたか、分かりません。でも、おそらくクラスには安心感が生まれなかったように思います。大東先生が生徒のことを信じようとしたから、僕たちも『何かあったら大東先生に相談すれば大丈夫』といった気持ちで学校生活を送れていたのだと思います」と。

かつては、厳しく、常に正しい教師であろうと生徒の前で虚勢を張っていた私ですが、今は、自分の指導や生徒への接し方について、「本当にこれでよいのだろうか」と振り返ることを忘れないように心がけています。そして私自身、できるだけ生徒への声かけは、ほかの教師の目に触れる場所で行い、その教師から助言をもらうようにしています。生徒にも同僚にも、自分自身を可能な限りオープンにしながら、自分らしい教師であり続けたいと思っています。

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