教育ジャーナリストの後藤健夫さんがお送りする連載「大人たちのアンラーニング」のススメ。第7回より「探究学習」をテーマに展開しています。今回は、「探究学習」と「大学教育」の関係を考えます。

高校教育が変わり大学教育も転換が求められる

これまで述べてきたように、高校教育は今回の学習指導要領に改訂を受けて大きく変わります。その一方で、高校卒業者数が減少傾向にあり、大学は定員割れを起こすところが増えています。入学者選抜が大きく緩和し始めており、えり好みをしなければ大学に入れるような「大学全入化時代」なのです。いずれは、選抜機能が残る大学は入学困難な難関大学となるものの、国公立大学を含めて多くの大学は選抜機能が緩くなり希望すれば入れる大学になり、大学は大きく二極分化するようになるでしょう。

価値観の多様化、評価の多軸化、活躍の多面化に対応するために

こうした中で、大学は、多様化し複雑化する社会に対応していかなければ生き残れません。東京大、京都大でも多様化する価値観、それにともなう多軸化する評価、そして、入学後、卒業後に多面的で多様な活躍を求めて、一般選抜のような学力試験のみならず、学校推薦型の選抜試験を設けることになりました。
京大は、学校推薦型の導入を検討している頃、大学幹部が人事院に呼ばれて「東大や京大の選抜試験は、世界有数の難しさかも知れない。しかし、卒業生を見てみると、ハーバード大やMIT(マサチューセッツ工科大学)などに比べると活躍が見劣りする。何かがおかしいのではないか」と問われたことで、特色入試の導入を決断したと聞いています。
これまでの学力試験一辺倒な選抜試験には限界があったということです。数年前にAPU(立命館アジア太平洋大学)が『混ぜる教育』という本を出しましたが、多様な学生を入学させて、彼らが混じり合うことに大きな価値があるのです。
そして、多様な価値観の感度を上げる教育が、いま、高校では「探究学習」として展開されているのです。

 

求められる大学教育の転換

第5回で述べたように、今回の大学入試改革は、大学入試とその前後にある高校教育、大学教育の一体的な改革ですから大学教育も大きく変わることを求められています
これまでのように大学でも一方的に知識を伝授するような講義はビデオ動画で十分であり、むしろ大学の授業は小さなグループでディスカッションをすることにより、他者の考えを理解したり自分が想像をしていなかった状況をイメージしたりすることで、思考を深めて鍛えていくことが求められるのだと、東京工業大で行われた「国際教育シンポジウム」でMITの当時のエリック・グリムソン副学長が指摘したのは2014年のことです。その後、東工大では入学生すべてが受講する「東工大立志プロジェクト」といった、講義を聞いた翌週に小グループで対話をするといった講座を開設しています。図らずも、コロナ禍で、大学の授業はリモート授業になりましたが、多くの大学で、インターネットを介して知識の伝達を動画で行い、小グループでディスカッションするスタイルが導入されるようになりました。
また、早稲田大の教室は定員50名以下のものが8割を占めるようになったとも聞きます。大学の教育のサイズは小さくなり、大学の授業も一方的に教員が知識を伝授するものから、双方向に教員と学生、あるいは学生同士が意見を述べたり問いを発するようなものになっています。コロナ禍で、教室の定員を減らした結果、大規模定員の授業を持て余すようになりました。今後は大規模教室そのものを持て余すようになるでしょう。
こうした変化は、高校で「探究学習」で学んで入学してくる学生たちに大いに歓迎される動きです。

大学で担っていた教育が高校教育に

先日、大学関係者から「最近は英語がよくできる学生が増えていて、1年次に置いている英語の講座を見直さなければならない」と聞きました。その大学では「700を超える講座が英語で開講されているので、英語の授業で<英語を学ぶ>のではなく、一足飛びに<英語で学ぶ>講座を受講させるべきではないかといった議論を始めなければ」と少し焦った様子でした。
今回の大学入試改革では、英語は「読む」中心の大学入試で良いのかとの疑義がなされて、「読む」「書く」から「聞く」「話す」までを含めた英語の4技能を求めました。実際に英語の資格試験やアセスメントでは、この4技能を判定するようになっています。こうした動きに高校教育は対応した結果として、大学での従来の英語の設置講座を見直さなくてはならなくなっています。
大学教育で見直しを迫られているのは英語だけではありません。
今回の学習指導要領の改訂では、教科「情報」ではプログラミングが必須となりました。「総合的な探究の時間」ではPBL(プロジェクト型/課題解決型学習)が行われたり教科横断的な取り組みがなされたりするでしょう。
英語(自然言語)、プログラミング(人工言語)、PBL(課題解決)、教科横断(学際)は、どれもSFC(慶應義塾大学湘南キャンパス)が開設されたときに、これからの大学教育で重視するものとして挙げられたものです。
学習指導要領が改訂されて、これからは、コミュニケーション中心の英語教育、シャッター商店街解消や商品開発に取り組むPBLなどを既に高校で終えてしまった学生が入学してくるのです。
「探究学習」を国際バカロレアで学んだ学生の中には、日本の大学ではもう学ぶことがないと言って、大学院進学までのモラトリアムとして学部時代を過ごしています。大学教育が変わらなければ、大学で学ぶことがないと主張する学生が激増してしまうことになりかねません。もちろん、高校までにこのように学んできてくれれば、多くの大学は大歓迎でしょう。早くからより専門的なことを教えることができるからです。しかし、従来の初年次教育や一部の専門科目を見直すことになる大学は少なくないはずです。

時代に応じて学ぶ、生涯学習への環境整備

いま、大学教育で担っていた教育が高校でなされるようになったときに、大学教育はどのように変わっていくのでしょうか。
大学教育に関して、第5回第8回では、自ら学ぶ「意欲」や「主体性」、第6回では「成長実感」について述べましたが、これらも、今回述べたような背景があってのことです。
高校で「探究学習」を経験したのであれば、大学ではより探究的になれるように「主体的で自立した学習」に主眼を置いた教育がなされるべきでしょう
英語にしてもプログラミングにしてもスキルです。こうしたスキルは学び方を知っていることが重要です。
学び方を知っていれば、過去に学んだ知識や技術が時代とともに陳腐化したとしても、新しい知識や技術の獲得もしやすくなるはずです。「探究学習」で獲得した「学び方を学ぶ」ことが活きるのです。
いま、政府が、産業構造の転換を意識して、リスキリング(学び直し)を推奨していますが、「主体的で自立した学習」「学び方を学ぶ」ができれば、時代に即応できるはずです。
こうした状況下で、政府や産業界が注力すべきことは、常に意欲的に学び続けることができるような環境整備、特に時間的な余白を生むための働き方改革です。

後藤 健夫

教育ジャーナリスト

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